「俺、外泊届け出してきたからね?」
待ち合わせて開口一番、生真面目な表情ではっきりとそう言われた。今年は帰省しないと聞いていたけど、その真意はそういうことだった。
大晦日。いつかくるだろうその日が思いのほかはやくやってきた。ふたりで神社を参拝していろんな意味での無事を祈って、コーヒー納めをして、山ほど食材を買い込んできた。
「雅紀すごいね、お母さんに教わったメモだけでそんなすごいの作れるの?天才じゃん」
「ほんと?うれしい♪どれも簡単なものだよ?翔ちゃんはひとり暮らし長いのにぜんぜんできないね?」
あいつに言われたセリフの再放送。キッチンに並んでお手伝いという名のつまみ食いをすれば、触れた肩から緊張が伝わる。それをひた隠すように笑う顔を見上げれば、あいつよりも背が高いんだ、と、今さらなことがまたよぎる。
素直でやさしくて一生懸命。スキンシップが多くてすぐ距離を詰めてくるところは以前からで、それがあまりに自然で、彼の特別な感情に気づけなかったほど。となりにいて心地よかったし、つきあいはじめた今もそれはかわらない。
いくつかの誤算はあった。ひとつは誕生日プレゼント。レザーのベルトがついたキーリングは俺と色ちがいのおそろい。オーダーしてから時間はかかるけれど、「それかっこいいね♪」と、彼が気に入っていたから贈ることを決めていた。
待ち合わせたとき『友達』だった男が帰り道には『恋人』になっているなんてだれも想像しない。その結果、ムカシノオトコへの贈り物とかぶってしまったことは予知能力でもなければ避けられない。
もうひとつは彼のせっかちな性格。おそろいの贈り物を受け取った喜びをおさえられずに、マンションの前の路上ではじめてのキスになだれこんでしまったこと。ごめんごめんごめん、と、何度も何度も謝るところが彼らしいといえばらしかったけど。
俺、緊張してるかな。よくわからない。
こういうことはもうないと思っていたから。
「翔ちゃん」
「ん?」
「ごめんね、俺……焦り過ぎ?」
純粋無垢。勇猛果敢。猪突猛進。そんな彼だからこれほど早くこの日がきた。でも本当は、俺自身がこの日を待ち焦がれてた。焦っていたのはむしろ俺で、だから大切なことを忘れていた。
そうなってみないとわからない。どんなことでも。俺は俺自身のことをなにもわかっていなかった。受けとめられないことよりも、受けとめられることのほうが、受けとめきれなかったから。
「、翔ちゃんごめんっ 痛いの?!大丈夫?!」
雅紀が狼狽えた声を出す。むりもない。俺が涙を流して動けないでいるから。懸命に呼吸をととのえようとしても、視界がぼやけて息があがる。
ふいにあいつの名前を呼びそうになって、両手で口をおさえた。裸で抱きしめあったら、舌をからめるキスをしたら、うすれかけていたはずのものが一気に。
自分のなかのあいつの存在をだれかに消してほしかった。そう願う一方で、あいつ以外の人間を、俺は絶対に受けいれられないとどこかで信じてた。そうあってほしかった。なにもかもが矛盾して、こころもからだも追いつかない。
「……翔ちゃん、むりしないで…やめよ?」
「や、……ヤだ、いいから…」
「…でも」
いやだ。泣いて口をおさえながら首を横にふれば、雅紀は不安そうなを顔して。でももう止められない。止めたくない。いまここで断ち切らないと、記憶や感情を、体をぜんぶ上書きしないと、このままずっとあいつが消えてくれない。
『翔くん』
どこにいても。だれといても。なにをしてても。あいつは俺の目の前にあらわれて、あのころの、あのときの俺をいっしょに連れてくるから。
生まれてはじめて男とベッドにはいったら、相手が昔の男を思いだして泣き止まないなんて。それでも最後まで抱けとすがってくるなんて。これが悪夢じゃなくてなんなのか。でも雅紀にとっては、現実。
後悔した。友達のままでいればよかった。こんなにやさしい人につけこんで、最悪な経験とトラウマだけを残して、俺たちはこんなかたちで終わってしまう。
「翔ちゃん」
「…え?」
「俺、…ずっとガマンしてたんだよ?」
もう止まれるはずないじゃん、て。涙目で鼻をすすってまたあいつとおなじことを言う。俺は翔ちゃんのことがぜんぶ欲しいんだよ。そう言ってくれるから。
それからはもう、目の前のまぼろしを打ち消したくて目の前の人の名前を呼び続けた。どちらのなのかわからない汗や涙や体液が混ざったものにまみれながら、望んでいるのかそうじゃないのか、目的も意味もわからない行為をつづけるしかなかった。
それでも、意識がふりきれそうなほどの快楽がどこからか思い出したようにやってきてくれて。雅紀はちゃんと最後まで、俺のことを抱いてくれた。
二度とないと思っていた行為にすべてを出し尽くして、亡骸みたいな俺を雅紀がシャワーまで連れていってくれた。やっぱり、あのときとおなじ。たちこめる湯気のなかでそう思った。けど、あのときとちがうのは、
「……ありがと」
その言葉を口にしたのも、泣いていたのも、
俺じゃなくて雅紀だった。
・・・・・
自分という人間の浅はかさ。ほかのだれかのものになれば、過去の人の記憶や苦痛は消えてくれると思ってた。だから目が覚めたとき、背後から腰にまわされた腕をかつての人だと錯覚した自分を呪った。
「翔ちゃん!あけましておめでとうっ♪♪」
寝起きから辛気くさい俺に正月らしいあいさつとキスをくれる恋人。「ほらほら雑煮食お♪」って。あんな悲惨な初体験の翌朝とは思えないそのあかるさと笑顔。大型犬みたいにわふわふすり寄ってくるから、うそみたいに呪いがとけた。
目が覚めたらいないかもしれない。その可能性すら考えていた。想いが、行為とともに深まったことはゆるがない事実。だからというわけじゃないけれど。
「雅紀ちょっといい?あのさ、正月からこんな話するのもなんなんだけど……」
「それはヤダッ!!」
俺の顔の正面にその大きな手の平をもってきて、無言で見つめあう。気のせいじゃないと思うけど、俺はまだなにも言ってない。
「さっそく別れ話とか、ヤダよ?」
「……はい?」
「だってそのあらたまったテンションてそういう話するんでしょ?? ヤダです!!」
……えーと、ふたりソファに並んで正月のお笑い番組を観ています。色とりどりの袴や着物姿で笑いあう人たちを眺めて、恋人が母親に教わって作ってくれた雑煮を味わってるこの状況で、そんな話を持ちだすほど空気よめない自分ではないと思ってる。
「これみてほしい」
本来なら先にしておけばよかったんだろうけど、なにしろ恋人のせっかちが想定を越えた展開になってしまったから。テーブルにおいた冊子を目にして、面食らった表情は仕方がない。
「…ごめん、こういうのあんま知識なくて…」
「俺もそんなにくわしくないよ。ただ、自分のことちゃんと確認したいから協力してほしくて」
いっしょに雑煮を味わいつつ説明。なるべくほがらかになごやかにはつらつと。だって正月だし。内容が内容だし。『協力』の意味するところが、検査を受けるためにあける期間とか、それまでそういった行為はできなくなってしまうとか。
「翔ちゃん」
「ん?」
「俺のエッチへんだった?」
餅をのどに詰まらせた。せき込みながらそういうことではない誤解しないでほしいと、さらに丁寧な説明を試みる。あなたとの行為でへんなところはおおむねなかったし、むしろとてもすてきで有意義だったし、その結果はあなた自身がご覧になった通りだと。言ってて自分が恥ずかしい。
「そんなにずーっとできないの?もうすぐ翔ちゃんの誕生日なんだよ??」
「そこはまぁ、なんというか……誕生日って必ずしもそういうことしなきゃいけないわけじゃ…」
「そんなぁー、せっかく翔ちゃんのはじめての誕生日なのにぃぃぃ」
あんなこともこんなこともしたかったのにぃぃぃ、と、彼の素直と正直と欲望がダダ漏れしてる。笑っちゃいけないと思うとよけいに。
「これ、…まえの人と一緒に受けたの?」
不意打ち。視界が揺れるほど心臓が跳ねた。けど表情は変わらなかった。と思いたい。なぜそこに及ばなかったのか自分に腹が立って、考えた。
「別々だけどお互い受けてる、かな…」
限りなく真実に近づけてそう答えた。潤とのはじめての経験のあと、ひとりでそれを受けたから。うその申告で得られた検査結果に意味なんてないけれど、そうしないではいられなかった。
想いの深さがどうやってはかれるかわからない。けれど、はじめての夜に俺よりも年下の潤がみせてくれたものは、まぎれもなく俺への心遣いや敬意だったといまでも感じてる。おなじことを今度は俺が雅紀に。だからつまり、別れた男の二番煎じ。
「これ、ふたりでいっしょに受けたい。いい?」
「ふたりで?検査は別々だけどいいの?」
「それでもいい!だって翔ちゃんが俺とのこと真面目に考えてくれてるんだもん、俺もちゃんとする。ぜったい我慢できる!ふたりでいっしょに安心する!!」
と、恋人は頼もしく豪語した。しかし若い彼の現実はそれなりにきびしかった。それぞれの忙しさで会えないのはむしろ好都合で、ようやく会えたと思ったら痛々しいほどそわそわが隠せてなくて。見ていられない。
「雅紀大丈夫?あんまりムリすんなよ?口ではしないほうがいいけど手でヌくぶんには問題ないよ?どうする?してあげよっか?」
俺の提案に恋人は大きなため息。
「……翔ちゃん、俺すんげーがんばってむちゃくちゃ我慢してんのわかる?そうやって誘惑したりたぶらかすのマジで勘弁してください…」
「はは、たぶらかす?おまえ自分のカレシにたぶらかされてんの?ウケる♪」
「まじめに話してんだけど?」
すいませんっ。即謝罪。若い性は適度に解放しないとこんなふうにグレてしまうものだと知った。気遣いが空振りして叱られたりもしたけど、プラトニックな時間のなかでたくさんの会話を重ねた。俺の誕生日も。それはからだを繋ぐこととはまたちがった、とても特別なものを共有したと感じられてうれしかった。
だから無事にその日を迎えたとき。
はじめてみたいに照れくさくて緊張した。
のは俺だけだったみたいで。行為に必要なアレやコレをみんなコートのポケットに忍ばせて、万全の準備をしていたせっかち過ぎる恋人には笑ったけど、ガマンできないのはお互い様で。ベッドどころかソファまでもたどり着けなくて、玄関での秘め事になってしまったのは不可抗力だと言い訳したい。
かつての人はすこしもあらわれなかった。
ずっと恋人のことだけを想って、感じてた。
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