「ジェイソンて誰ですか?」





アルバイト女子の素朴な質問にパートさんたちは笑い転げた。『イチャイチャ仲良くしてるカップルのもとにチェーンソーを持ったヤバい男がやってくる日』なんだとかで、昔のホラー映画にひっかけたイベントみたいなものらしい。





パートさんたちは世代間ギャップを嘆き、アルバイト女子は「彼氏いないので私は大丈夫です」って真顔で。彼氏いるけど俺も大丈夫です。真顔で言いそうになる。イチャイチャも、仲良くもしてない。みんなが盛りあがってる横で俺はひとり緊張で呼吸がヘンになってる。






・・・






「早すぎない?なんで当日じゃないの?」




智に誕生日プレゼントを渡す。

それだけのために付き合わされてるまーくんの言い分はわかるんだけど、誕生日に会う約束をする勇気が俺にはもうない。





おばちゃんにバレてからの智はあきらかに俺を避けてる。連絡は減ったし、店でもよそよそしいし、おまけに仕事で出張だと思ってた智の連休はプライベートな旅行だった。





おまけのおまけに、俺の知らないプライベートな旅行先で、智は翔くんと会ってた。ずどーん。翔くんに嫉妬する日がくるなんて。智がなにを考えてるのか俺にはもうぜんぜんわからなくて、まーくんにも微妙に気を遣わせる。





「LINEきてる?」


「……こない」


「いっしょに買い出しは?」


「…………」


「…仕事、忙しんじゃないの?」


「…………」


「…………」





電話をくれてうれしかった。おばちゃんの分までお土産をもらったことも。それでもモヤモヤが消えない。早く帰ってきてなんてわがまま言ったことも後悔してる。智、どう思ったかな。




「お♪翔ちゃんもうすぐ来るって♪」




スマホ片手に鼻歌まじりでご機嫌なまーくん。予想に反してすぐ来たのは智だった。ぐ。形式的なおつかれさまを伝えるけど顔見れない。ため息。





「…俺トイレ行ってくる」


「えー翔ちゃん来ちゃうよー早く早く♪」


「和、コーヒーのみ過ぎだぞ」


「………」





…のまないとやってられないよ。緊張でアル中寸前みたいな俺をよそに、あごがはずれそうなでっかいあくびしてる智。のんき。こんなテンションちがうもんかな…。ため息。





13日の金曜日。ジェイソンが来るならまちがいなくまーくんのとこだ。駅ビルの奥にあるトイレまで歩きながら、そんなふざけたことをつぶやいた自分を呪った。










・・・









「智!ダメッ!!」





どれくらいの時間が経ったのか。

俺は俺自身の叫び声で現実にもどった。





不鮮明で断片的な記憶。

ドアを開けて最初に目にしたのは翔くんの背中。その背中が不自然なほど低い位置に見えたのは、不自然な体勢でトイレの床にひざをついて髪の毛を鷲掴みにされて、洗面台に顔を突っ込んでいたから。





鏡に映った男の顔。無表情。

この男の翔くんに対する異常なまでの執着。それがどこから生まれてくるかなんて、今考えても無駄なことがぐるぐるよぎる。男から翔くんを引き離そうと手をのばせば、男がその手に握りしめたものを翔くんの頭にかざした。





チェーンソーよりは小さい。でも確実に殺傷能力のあるそれで事に及んだ。この状況が偶然じゃないことだけはわかった。翔くんの上着やかばんの中のものが床に散乱していて、激しく揉みあったらしいことも。





そこから登場人物が増えていく。

背後からふたりの男が現れた。





男の行為を模倣するようにそいつの髪を鷲掴みにすると、そのまま壁に顔面を打ちつける潤くん。鈍い音。ちいさな叫びとうめき声。不規則に激しく咳き込む翔くんに、なんで今そんなものを持ってるのかバスタオルを手渡したのはユウくんだった。





次に現れたのは智。

トイレのドアの前で俺と顔を見合わせる。その場に立ちつくして、パラレルワールドに迷いこんだみたいにこの状況を理解できてない。





「潤やめろ!」





もはや戦意など失いつつある男へ、それでも執拗に潤くんはおなじことをくり返した。男の鼻や口から吹き出したもので壁のタイルになにかを描こうとするみたいに。「潤やめろ、頼むからっ」翔くんがその背中を羽交い締めにして男から引き離したとき、潤くんのポケットからこぼれ落ちたものに俺だけが気づいた。





色ちがいのおなじものを、2つ知ってる。それはほかの誰にも見られてはいけない気がして、腕が、体が、勝手に動いた。こぼれ落ちたそれに手をのばす丸腰の俺に向かって、顔の半分を朱く染めた男はその手の中にあるものと、最後に残された感情をふりかざした。





「智!ダメッ!!」





サビついた一斗缶のごみ箱は洗面台の脇に置かれていた。両手でそれを持ちあげると男の頭めがけて振りおろそうとする智。その両足に咄嗟に、必死にしがみついた。叫ぶことしかできなかった。





終わりはあっけない。

ユウくんが男の手首を曲げてはいけない方向へわずかにひねると、握りしめていたものをあっさりと手離して床にくずれた。は。は。は。断続的に吐き出す息は過呼吸を思わせたけど、直後、うなり声とともに歯を食いしばって泣きだした。





最後にまーくんがやってきた。

なにもかもが終わったその場に居合わせた顔ぶれに混乱を隠せない。それでも翔くんと男の姿を見つけるとすべてを理解して、恋人の名前を叫びながら駆け寄って抱きしめた。





智に腕を引かれて立ちあがろうとしたけど、まだ手足が震えてる。男をひとりにしてみんなでトイレの外へ出ると、カラカラに干からびたのどで声を絞り出した。





「な、なんで?なんでふたりがここにいるの?」


「偶然ですよ。カズさんの姿が見えたのにぜんぜん出てこないから心配で…、翔さん、彼と当時から親しくしてたんですか?」


「……、え?」


「ユウくん、あいつのこと知ってるの?」





学生時代に翔くんがバイトしてた喫茶店。男はその店の客だった。潤くんとそこをよく訪れたユウくんの記憶に残った理由。好青年な今の風貌からは想像できない。地味で陰気。黙々と必死に勉強する姿。と、翔くんの接客を受けるときにだけみせた密やかな、笑顔。





特別な想いがあったんですよ。きっと。

ユウくんの言葉はやさしかったけど、誰のなかにも後味の悪さだけを残した。





「あんたどこでなにしてたの?」





それまでひと言も口を開かなかった潤くんが、まだ咳き込みながらふらつく翔くんと肩を並べて帰ろうとするまーくんを呼び止めた。





「死 にかけたんだぞ?わかってんのか?」





潤くんが言い終わるよりも先に、両手で胸ぐらを掴みあげたまーくんの後ろ頭を智が叩いた。「助けてもらったんだろうが、礼ぐらい言え」俺も背中を引っ張って止めたけど、それでもまーくんは手を離さなかった。





「潤、俺の責任だ。おまえは関係ない」





助かったよ。ありがと。

まーくんの腕をおさえるように手を添えながら、潤くんへ頭をさげる翔くん。わずかな空白のあと、なにかが尽き果てたようにゆっくりと、まーくんは手を降ろした。






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