日々をのほほんと暮らす -18ページ目

日々をのほほんと暮らす

毎日に張りを。暮らしにゆとりを。人生に華を。
アラフォーになって気づく事は沢山。
そして、アラフォーになるまでやらなかった事も沢山。
人生をサボってきたつけが首を絞める。
これからをのほほんと行きたいそんな中の人です。

震災21日目 今日は特にいい天気でした。


震災後、初めて朝からガソリンスタンドに並び、1時間で満タンゲッツ!


少しづつガソリンが入ってきた気がします。4月中旬には満たされるとか…。


ディーラーに電話してオイル交換済ませました。(燃費が悪くなってきていたので…)


そろそろスタッドレスタイヤともお別れの時期。来週の月曜にお別れしてきます。


のほほん、のほほん、続のほほん

そして嫁の実家のS石市に行ってきました。奥には蔵王連山が綺麗に見えました。


いわきの友達に救援物資を送る任務を嫁父がこなすようでその物資運びに。


皆元気でした。93歳のおじいちゃんも元気でした。


京都から来た方から肉をもらったようでおすそ分けをいただき、牛肉をゲット。


そうそうに帰宅。行きは高速でしたが、帰りは国道4号線から岩沼市を経由。


岩沼市に入り、沿岸方面に行くと道路沿いはがれきの山。


田んぼには車。がれき以外何もありません。


ごみくずのように何かの貯蔵タンク(写真)が流されてきていました。


本当に固いのかと思うような壊れっぷり。津波は怖いです。


のほほん、のほほん、続のほほん

言葉がありません。言葉になりません。


数ヶ月前、両親が仙台に来た時に亘理まで行った道(写真)。


のほほん、のほほん、続のほほん

道路沿いに田んぼが広がっていたところも見る影もありません。


涙が出そうになります。そして、海水の匂いがすごい。


近くの嫁の知り合いにも会ってきました。


こちらはお元気そうでなによりでした。


空港近くも道路わきには車。


電柱に激突している車や、どうなったらそうなるのかわからない車が数台。


そして近くには撤去したと思われる沢山の壊れた車が整然と並んでいました。


帰り道、名取エアリによってティッシュペーパーと食糧を買って帰りました。


エアリでは閖上青空市が開かれていたりと傷跡は深いですが、


少しづつ前に進んでいると最近感じます。


今日は4月1日。結婚記念日(正確に言えばプロポーズした日&入籍した日)


前年度は本当に色々ありました。2人揃って無事なことに感謝です。


来年も2人揃って4月1日を迎えれたらいいなと思います。


(新しい家族ができていればいいなと思っています。)








震災20日目 今日も晴れ だけど風がひゃっこい。


偉そうなタイトルですみません。


今日は夜勤明けです。少し寝ましたが、妻が夜勤に出かけるので起きました。


さて、連日テレビで様々な放送があっています。


ネット上では情報が溢れています。


アメリカまで放射線が飛んだ!との話もなんか聞きました。


あなたは、「えぇー!!大変だ!!」と思いますか?


それとも、「それって、どうなの?」と思いますか?


確かな事は私にはわかりません。ですが、後者です。


情報は錯そうするものだと思います。


しかし、あなたの目と耳は確かなものを見て聞き、頭は冷静に考えていますか?


はっきり言って私は自信がありません。


ですが福島の風評被害はつらいものだと思います。


福島の農家の方は先の展望が見えず自殺に追い込まれた方もいます。


今後、こういった悲しいニュースは増えるんじゃないでしょうか。


安全と銘打っても消費者は避けるものです。それは理解できます。


知っていますか?


安全と言われている野菜が1日に何トンも廃棄されていることを。


知っていますか?


震災の影響で飢えている人がまだいることを。


知っているけど、それはそれ。


それでいいのでしょうか?


沢山の影響がでている原子力発電所…


今後どうなるかはわかりません。


世界中の国が助けてくれている現状。


助ける…。世界中の国から物資は入ってきます。


だけど、今後ますます日本の物は海外に輸出が難しい現状となってくる気がします。


なら、日本の農産物や海産物はどこに行くのでしょうか。廃棄でしょうか。


地産地消、日本人が日本を信じて盛り上げなければいけないと思います。


今、日本はとても難しい立場に立たされていると実感します。


そういう自分も流されている一人なので、偉そうなこと言えませんが…。




震災19日目 天気は晴れのち曇りってとこかな?


そういえば震災5日位前に被害が大きかった七ヶ浜(コンビナート火災があったとこ)


の近くのラーメン屋「蔵」に後輩と行ったんです!美味しかったんですが…


海が近く、津波は店の天井付近まできたみたいです。テレビでやってました。


悲しいですね。いろいろ考えると、今はまだお酒を飲む気にはなれません。


あ、食欲はちゃんとありますから!心配なく。


で、そのときにこんなものを見たんです↓
のほほん、のほほん、続のほほん

コレ、わかります?原付に見えます?なんと四輪だったんですよ!


あ、でも右前輪が取れていたみたいなんで三輪…?か?


追い越して前から見たら、なんとメルセデスのエンブレムが。


え?つけたの?それともオリジナル?レアなの?


なんか興奮して、見ていたら、勘違いした隣車線のおばちゃんが


こっちに向かって手をふってくれました~。え??


ガソリンがなくてここもどうなっているかわかりません。


だけど、我慢します!我慢したガソリンが必要な人に渡っているといいな。


こんななか市内をバイクでブンブンいってる若者にはいかないでほしい。


今日は夜勤です!荒れそうだなぁ~


震災18日目


今日もいい天気。


今日は休み。被災(11日)以来、初めて布団を干しました。


のほほん、のほほん、続のほほん

風はまだ少し冷たい。明日も12度まで上がるという情報。


温かくなります。だけど、土曜からまた寒くなる模様。


どうなっている東北の天気…。


梅に桜と春の訪れを知らせてくれないかな。


んで、いま思い出した。震災の次の日に、七輪でご飯を炊いていたら


義祖父宅の梅が蕾を持っていたのを思い出しました。


被災地の人たちの心にも癒しを与えてくれると思います。


今日、ローカル番組「OH!バンデス」を見ていました。


おばんです=こんばんわです。


石巻が映っていました。ある人は、震災を思い出すと


体が震えて声が出ないそうです。


地震は私たちの心に深く傷跡を残しています。


テレビを見てPTSDになっている方も多くいると聞きます。


スピッツの正宗も活動を休止したとテレビで見ました。


つらくても頑張ってる人もいます。無理をしないといけない人もいます。


でも皆人間です。体は故障します。少しの息抜を混ぜて頑張りましょう。


そうそう、あと、興味深いのが子供の精神に良くないという話。


命の大切さは、幼児に諭す事は早く、恐怖のみを抱かせるそうです。


皆さん、子供と一緒にテレビを見るときは十分に気を付けてください。


今日の晩御飯は温野菜と魚の煮つけにします。


あと、納豆も実家の高菜もあります。食材はおいしくいだきましょう!


では。






震災17日目


今日は晴れ。春がきていますね。夜勤でしたが、定時で終わり。


震災後、三寒四温どころではなく四寒も五寒もした気がします。


朝7時半位か?震度5弱の地震がありましたね~。


揺れた揺れた。患者さんは「大丈夫よ!」と言っていた。


患者さんのほうが強いんですね~。


少しづつ復興も進み、今日は牛乳&豆乳が購入できました。


野菜、肉類もありました。スーパーのおばちゃんと少し世間話をしました。


ガソリンはもう少しかかりそうかな…。長蛇の列でした。後輩は4時間並んだと…


外出は控えましょう。といっても行くところもないんですが。


ボランティアに行きたくて仕方ありません。 


今日、病院で聞いたら、うちの病院からは支援には出ないらしいです。


自転車で行ける範囲でのボランティアを考えている今日この頃。


きっとできることはあります。頑張りましょう!


今日の晩御飯は、マーボー豆腐とささみの炒め物でした。


2011.3.11 東北大震災。多くの人の運命を変えた日。あえて小説調に…

 

 3月11日、私は集中治療室で勤務していた。いつもと変わらない日常。いつも通りに過ぎる日常だと思っていた。しかし、同日14時46分 『地震』は突然きていつもの日常を破壊した。小さな揺れから一段階、また一段階と上がっていく強い揺れ。自分は「地震!地震!でかいぞ。」と叫んだ。皆、手の届く範囲のME機器を支えながら揺れに耐えていた。本震が過ぎた後も繰り返し来る余震。落ち着いたと思ったら次の余震。その繰り返しだったと思う。揺れを繰り返すうちに病棟は非常電源の光へと切り替わった。病棟内を患者とその周囲を確認する職員。医師が「県内すごい被害だ。院内もひび割れや天井の抜けがある!」と病棟に来た。病棟へ非番の同僚がぞくぞくと駆けつけた。次第に雪が降り始め、窓から見える鉄塔が雪で白くなり、消えていった。大げさだけど、神様が怒っているように感じるくらいの吹雪だったと思う。F先輩が「お前、嫁の安否わからないんだろ!ならすぐに帰れ!駅の南側で火事が起こってるらしいぞ!」と気遣ってくれた。バタバタと帰宅の準備をしている私に休憩室のテレビは一本の白い線が見えた事を覚えているが、それが岩沼や荒浜に向かってくる『津波』だったと知ったのは震災から3~4日後の自宅に帰った時だった。

 友人から自転車を借り、帰途についたのは17時頃だったと思う。40分程かけて自宅へ。途中、ヘルメットをかぶった人達や興奮気味に話すカップル達。仙台の街は「被災地」となっていた。割れた道路、落ちている看板、道路には積雪、消えた信号、鳴り止まない救急車・消防車のサイレン。いつもの仙台とは大きく異なった風景だった。仙台に来て早2年、いくら地震に慣れてきたからといって、想像はしていなかった。いたたまれない気持ちとなったが

五橋の国道は信号の消えた無秩序な道路となっていた。なんとか車列と人ごみをすり抜けて自宅に帰った。

 自宅に着いてドアを開けると、倒れたスノーボード等が散乱。2階に上がると嫁の姿はなく、ほうじ茶とその瓶が割れていた。新築だったからか自宅の被害は小さい方だった。明らかに人為的に床に置かれた揃いのマグカップや空っぽの貴重品入れ。地震後に嫁が家にいた証拠だった。「あぁ、避難したんだな。」と一度はホッとした。だけど駐車場を見ると、愛車はなく、「あぁ、あいつ行ったな。しかも車で…」と思った。嫁は地震後に祖父の家に行っている、しかも車で。心配事が増えた。自転車(ママチャリ)に再び飛び乗った。家を出ると周囲は暗くなろうとしていた。家を出るときにリュックに詰めたのは動揺してか祖父宅の長期滞在を予測してか、二人の下着と嫁のパジャマだった。

 自転車に乗り、仙台の街を横目に自宅から祖父宅へ。暗くなった仙台市街には車のライトだけが光源となっていた。自宅へ急ぐ人達の群れ。皆、安否確認のために携帯電話を片手にもっていた。法華クラブでは今まさに客室へ安否確認に向かうであろうホテルマン達がいた。コンビニには軒並み人の列。暗い店内で買い出しをしている人達が見えた。皆、必死だ。自分に必死な者、家族のために必死な者、自分を支えてくれるお客様のために必死な者。皆、必死に頑張っていた。祖父宅へ向かいながら、道路に私の車が並んでないか、事故車はないかを確認していく必要があった。しかし、ずっと渋滞している車道を全て確認できるわけはなく、1時間程で祖父宅に着いた。余談だが、嫁は普段30分程で到着するところを4時間かかって祖父宅についたらしい。

 到着後、急ぎ祖父宅へ入った(突入と言っても大げさではないくらいの勢いだったと思う。)するとロウソクの光に照らされながら普段通りにご飯を食べている祖父の姿…。祖父は「あぁ、川平さん。(相変わらず名前を間違っている…)お腹すいたでしょう、ご飯食べなさい。」と。突然来た私に嫁は驚いた顔で抱きついてきた。震度6強の地震にあっても動じない祖父。なぜかきれいに片付いている祖父宅(色々倒れなかったのか?)疑問はたくさんあったが、言葉を飲み込んだ。祖父のみぞ知るといったところか。なんにせよ、二人の無事にホッとした。嫁は震災時、布団の中にいて、倒れそうな46インチのテレビを倒れないように支えていたらしい…。できる嫁だ。(震災直後に自宅に帰った時、倒れていないテレビに正直驚いた。)その後は必要な物をまとめて急ぎ祖父宅へ向かったそうだ。しかし見事なまでに普段とライフスタイルが変わらない祖父だった。2部屋に1つづつカンカンに暖めた灯油ストーブ…。燃料事情を説明するが、なんのその。「寒いだろう。大丈夫だ!」と一蹴…。おいおい…。

 ロウソクと懐中電灯の明かりの中、ラジオの情報に耳を傾ける。初めて聞く被災地の情報。大船渡、南三陸町が津波によって壊滅。普通に暮らしていると「壊滅」という言葉は聞くことがないだろう。気仙沼、石巻、岩沼、名取は津波で壊滅的被害。愕然とした。死者はどんどん増える…。行方不明者は1万人超…。規模が違う。私が今まで聞いたどの震災と比べても間違いなく一番だった。まさに「未曾有」という言葉しか当てはまらないものだった。各地での地震や噴火、様々な報道を耳にしていたが、被害者、行方不明者、倒壊家屋数、どれをとっても群を抜いていた。東北に来て今まで行った事のある街の情報を聞くたびに胸が痛くなった。田舎の人情あふれる街々。14時46分まで普通どうりに機能していた都市は今、なくなってしまった。映像はなく、音声のみでの情報だったが被害情報は耳に痛いものだった。余震はやまない。ラジオからの音声に耳を傾け20時頃に床に就いた。夜から嫁は夜勤のため起きたのは22時位か。車で夜勤へ行く嫁。交通手段がないため仕方ないとはいえ、とても心配だった。不安な顔の嫁を送り出す「気を付けて行くんだよ。頑張って!」と。嫁がいなくなった祖父宅はラジオだけが響いた。被害を聞くと、涙が出る。だけど、逃げずに心に焼き付けておかなければならないと思いラジオに聴き入った。朝にかけても余震は続いていた。悪夢みたいな長い一日が終わった。

 

私はこの3月11日のことを一生忘れない。日本中が混乱に陥った出来事。

被災地の方々の思いを若い私達が感じ、生きていかなければならないと思う。つらいニュースで溢れている日常にも、少しづつ物資の普及や通常のテレビが流れ始めている。しかし、戻ってきた日常に流されるのではなく、こうしている間にも苦しんでいる人達がいることを決して忘れてはいけないと思う。実際にその地を知らない人には身近な事に感じないかもしれない。だけど、同じ日本なんです。必要なところに必要な物を。そして必要な力を!できることは必ずあります。一歩踏み出して下さい。

『助け合おう東北!助け合おう日本!』

私の実家はとても遠い。両親、兄弟、親戚、友達、多くの人からの連絡をもらい、遠くても支えてもらっていることを知った。その人達に「ありがとう」と伝えたい。そして今は帰れないけれど、近いうちに帰って顔を見せようと思う。

最後になりましたが、今回の大震災で被災された方へお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた多くの方へお悔やみ申し上げます。

 

ちなみに私の安否確認もネット上に乗せられていた。遠く離れた家族と親戚が無事を祈っていたそうだ。家族と連絡がついたのは数日後のことで、電話ができたのはさらに数日後であった。

 

 

登録して放置を続け、初書き込みとなります。


最近、朝・夕の冷え込みが少しづつ強くなってきた気がします。


毎日汗をかいていた寝苦しい夜もさよならの気配。夏もいろいろ遊びに行きました。


海水浴・日本一の花火大会・釣り。冬は温泉・ウインタースポーツが楽しみです!


話は変わりますが、結婚してはや1年。いろいろ喧嘩はありますが、仲良く行きたい


ものですね。兄弟の結婚式まで後少し。実家に帰るというものはいいもの


帰る機会はあっても距離が遠くてはなかなかね・・・。残り7日、楽しみにしてます!