本日も、先日の「先祖供養ツアー」に参加された複数の方から

嬉しい変化のご報告がありました。

 

 

他の皆さんも、

日々の暮らしの中で、小さな小さな幸せの種を見つけ、

神さまとご先祖に感謝していくことで、幸せを掴んでくださいませ。

 

 

さて今日は、人間の持つ「想いの力」がどれほど強いものか、書きたいと思います。

 

人間の「想い」は非常に強いものです。

 

・生きている間であれば、無意識のうちに「生霊(意識)」も飛ばせます。

・肉体に変化を生じさせることもできます。

 

それでは、まず一例を、元春日大社の宮司

葉室 頼昭さんの、ご著書「心を癒し自然に生きる」よりご紹介します。

 

 

葉室 頼昭さんは、日本での形成外科医の草分け的な存在でした。

 

<引用開始>


あるとき一人のお母さんが小学校四、五年生の男の子を連れて来た。 
見たら、男の子のおでこに、ひどい傷あとが残っている。

診察をして、「心配いりません。 きれいになりますよ」と言いました。

それなのに、そのお母さんがその傷をいちいち説明するんですね。

 



上から一ミリぐらいのところが膨れているとか、

そこから曲がって二、三ミリしたら赤くなっているとか、


上から下まで全部説明して、「これがきれいになりますか」と聞かれるから、

今度は「きれいになりません」と答えました。

「いま先生はきれいになると言われたではないですか」と言うのですが、


お母さんがそんなに子どもの傷に心を集中していたら、

 

絶対にきれいにならない。

 



またお母さんの 「念」が、傷を出しますよと言いました。

なぜお母さんがそこまで固執するのかというと、

その子どもが赤ちゃんのとき、お母さんが持っていた剃刀か何かで、
誤って赤ちゃんのおでこを切ってしまったんですね。

それを思い続けていままで来たから、

その傷から目を離すということができなかったのです。

「どうしたらきれいになりますか」と言うから、

 

お母さんが傷のことをいっさい考えない、
忘れる
と言うのなら手術をしてもいいけれども、
 

そうでなかったらきれいにならないから手術をしないと言いました。

 



そうしたら、そのお母さんが「今日からいっさい傷のことを言いません」と言うので、
手術をして、その傷はきれいに治りました。

それからも十日か半月に一回ずつ通院して、一年がたちました。

ところがなんと、前と同じ傷がおでこに現われてきたのです。

手術する前と全く同じ傷です。

 

へこみから赤みかみから、まったく同じ傷ができていた。

こちらが寒気がするほどです。 

 

野口英世が幼いころやけどを負った囲炉裏

 


「やっぱりお母さんは、その傷が忘れられなかったのです。

手術したおかげできれいになった。そこまではいいんです。

ところが、「先生、ちょっと待ってください。

上から五ミリぐらいのちょっと赤いのは大丈夫ですか」と、


すぐにまた言い出した。

それから一年間、来るたびに言い続けていました。

そして一年たったら、まったく同じ傷が現われてきたんです。

それは確かに、自分の手で手術をして、間違いなくそのときに全部取ってきれいになっ ています。


でも、またその傷が出てきた。単に傷あとが目立ってきたということではない。 

 



前と同じ傷が出てきた。

いかに母親のこころが

子どもに影響するかということを、目の当たりにさせられました。
 

<引用終了>

 

葉室 頼昭さんの手術は、神様とともに行っていました。

土台は、あらゆるものに対する「感謝の心」です。

 

これにより、世界でも例をみないほど、後に残らない

みんなが幸せになる手術を行っていました。

 

葉室頼昭さん

 

この例は、母の強い思いが、子供に現実の傷跡として現れたという例です。

 

私たち人間の想いの力は強く、

それは、強い想いであればあるほど、

持続すればするほど、

 

現実世界(3次元の世界)に現れやすくなります。

 

それは、私たち人間が神さまと同じ力を与えられているからです。

 

 

またアメリカの心理学研究チームが

「典型的な二重人格の青年を発見した」と報告したことがあります。

「二重人格」とは、一人の人間に異なる二つの人格が生まれるケースです。

この青年の場合、通常のA人格のときはオレンジにアレルギーがあり、

別のB人格になるとアレルギー症状がサッと消えるという現象がわかりました。

「病気」は「人格」と連動していて、「心が健康」であれば、

「体も健康」だということが実験で証明されました。

 

 

私たちが、考えたこと、意識したことは、

そこにエネルギーが供給されることと同じことです。

 

どんどん、エネルギーが流入し、現実化しやすくなります。

 

五体不満足の著者「乙武洋匡」さんが、

「じゃがいも」のような手と足しかなく生まれた時(著作の記述通り)、



1ヶ月遅れの母子対面の時、


病院の医師や看護婦、周りの人々が手足のない息子を見て、

母が卒倒するのではないかと心配していましたが、

お母さんは、開口一番「まあかわいい」と言ったそうです。

その後もお母さんは、彼の無いもの(手、足)に意識を向けることなく、


彼の全部をひっくるめて愛してくれました。

 

母が、無いもの(手足)に、何時までも執着し、悔み

意識を向け、落ち込んでいたら、きっと母子ともに暗い人生を歩んでいたかもしれません。

 

伊是名夏子さん

 

 

子供が心配だ、心配だと、

何時までも、取り越し苦労をし、心を乱していたら、

 

そこにエネルギーが流入し、きっとそれが、現実化することでしょう。

 

このことは小学生の神様トキ君も同じことを言っています。

 

意識の力は強大です。

 

 

これは私たちの意識の科学でもあるのですが、


私たちが何か意識するだけで、

そこにエネルギーが流れ込みます。

 

(私たちは本来、神さまと同じ力を持っていますから、神さまと同じことが起こるのです。)


例えば、

人の悪いところが気になり意識していると、

 

本当は小さな小さなことなのに、

過大に悪しきことが評価され、

 

自分にはその悪い面しか見えなくなります。



相手も、そう思われていることに

無意識に気付いていますから、

 

自分のことを「悪」と観ている人の前では、

 

「悪」、もしくはさらにパワーをもらい、

「極悪」としてふるまってしまうのです。

 

その極悪人と言う役目を、

 

私たちの無意識から

受け取ったからです。

ですから、悪しきことには

意識を向けないことが大切なのです。



これを「悪」ではなく、

 

どこか良いところを探し、

相手の「良き心」を意識すれば、

 

これと逆の現象が起こり、

良き部分に、エネルギーが流れ込み

 

その人は、

 

天使のような慈悲の人となることでしょう。

ですから、私たちが、

どの部分に意識を向けているか?


それはとても大切なことです。

 

私たちの心を

 

・いつも穏やかにしておくこと、

・感謝の気持ちで満たしておくこと。

人は、
 

・自分のことを「良き人」と見てくれる人に対し、

・自分のことを信頼してくれる人に対し、

・自分に感謝してくれる人に対し、

どのような極悪人であろうと、

善人にしか、なれなくなるのです。

これは、人に限ったことだけではありません。

 

 

神様が作ってくださった被造物、全てに当てはまることです。

どのような人、物、状況に対しても、病気、ケガもですね。。
感謝し、受容(受け入れる)していれば、

 

悪しきことは、忘れ、

 

良きことに意識を置いておけば

それだけで、神様は良きように計らってくださることでしょう。

 

 

 

 

※画像の一部はネットからお借りしました。