嫌な気分になった時、
(私の場合なら「自分を責めること」)
自分が「嫌だ」と思う「存在」を許そう、と書いた。
それは、「嫌なこと」「嫌な相手」を許すという意味ではなく、
自分の中にある、
自分を嫌な気分にさせている「(暴走した)エゴの存在」を許そうという意味。
エゴとは、「抵抗」だから。
エゴとは、自分自身ではない、別の存在なんです。
「存在」って表現すると自分と切り離せて感じれません?
自分が、嫌な気分、不快な気分になってる時、
エゴという存在が暴れてるだけ。
それは、「幸せがデフォルト」で「全てある」
本来の私たちに「抵抗してる」ということ。
だから、その自分と別の「存在」を許すのです。
自分を否定するのも、
私って器が小さいなと思うのも、
他人の反応を気にするのも、
いつまでも根に持つのも、
(全部私の話w)
「エゴ」という「存在」が今いますよー、
暴れてるよー、と認める。
「本来の私」とは「別モノ」ってこと。
それを「許す」んです。
「悪者」にしないで、
嫌がってばかり居ないで、
そのエゴという名の「抵抗」を許す。
「君、暴れすぎやで!」って。
「しゃーないやつやなあ」って。笑
すると、シュワって溶けていく感覚が私は出てきました。
「ヤツ」は小さくなっていった。。
「統合する」っていう表現もありますよね。
許せてないのは、エゴの存在、だった。
「自分自身」なことでは無かった。
エゴが嫌がって暴れてただけ。
その「存在」を許したら、消えていく。
「私自身」と思うから、辛かった。
意味不明な人もいるかと思いますが(笑)
私自身は言語化できてさらにスッキリです。
向き合うって、自己対話ってやっぱりすごいよ。
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