山形県寒河江市のお寺 慈恩寺 | 2016年は、真田丸

2016年は、真田丸

使い方がよく分かりませんが、自分のメモとして

6月18日に参拝した慈恩寺は、1000年以上の歴史を有する、凄いお寺であり、平安時代に作成された仏像14躯、鎌倉時代に作成された仏像29躯を現在まで伝える。
岩手県の中尊寺、福島県の勝常寺と並んで、東北地方を代表する寺院である。

何が凄いかと言うと
戦国時代、戦火により建物はすべて焼失したが、仏像は、僧侶達により外に持ち出され、保管され現在まで伝わることである。

今回見ることができた木造十二神将立像は、鎌倉時代に作られたもので、運慶・快慶の流れをくむ慶派による作品と言われている。
玉眼鋭く、力強い像が多く、奈良興福寺に縁のある寺(寒河江荘は藤原氏の荘園)であると言うのは、なるほどと思った。

建物は、焼失したため戦国時代から江戸時代にかけてのものであるが、寺自体の歴史は古く、山全体が寺であり、宿坊も多く存在する。
山(寺)は、緑多く、茅葺きの屋根に癒され、時間がゆっくり過ぎていく空間のように思え、また、来たいと強く思った。

{EF8C2614-FAC8-478A-9EEE-0194C1114D63:01}
山門

{DE12B62E-404E-46BF-A0F6-D398DD4AC511:01}
本堂

{F72F4823-62B7-4DF3-8617-5F7D4F05D4D4:01}

現地案内板

当山は、724年僧侶・行基によって見いだされ、聖武天皇の勅によって創建したとされる。その後、平安時代荘園主である藤原摂関家により、氏寺である興福寺(奈良)の願西上人に命じ、再興した。鎌倉時代から室町時代にかけては、地頭・寒河江近江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏江戸幕府によって寺領を認められた。江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たない。明治上知令により一山は困窮し帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。

と言うようなことが書いてある。


{2E866173-5AD4-4A77-8448-7556D64ABC14:01}
鐘楼

{9240D0C0-65EB-4F9F-A09A-43CB2BAE194D:01}
三重の塔
{A2ACF56D-3446-4C50-9E77-CD0552A041CD:01}
展示パンフレット

{4E745673-5A8A-457D-B422-CCE2891880CD:01}

展示物詳細(慈恩寺のホームページ)
http://www.honzan-jionji.jp/info/cultureal


{F6B7E7C2-F3E1-4849-8C71-84248B8552E4:01}
慈恩寺観光マップ