山形市の城下町の基本は戦国時代末期、最上義光(よしあき)により作られた。
山形城の面積(三の丸まで)は、全国でも5番目の広大なものである。その外側を羽州街道が、鍵形に迂回して通っている。
明治時代以降は、羽州街道沿いに官公庁ができ、山形県の、県庁所在地として発展してきた。
最上義光は時代ドラマでは悪役っぽく出てくるが、実は、文武両道を備えた大変な名君で関ヶ原の合戦の戦功により57万石の大名となり、広い領国を統治した。
最上義光にとって最大の不幸は彼の死後、相続争いのお家騒動のため、幕府の命令で、1622年改易(滋賀〇〇藩1万石、その後さらに5000石に減封)となったことである。そのため、史実を示す資料がほとんど失われてしまった。それにしても57万石が1万石に減らされると言うのは、驚いた。
最上義光の統治した時代は非常に短かったが、地元では現在でも英雄で明治維新後も、この地が、政治経済文化の中心であったことは、最上義光よるところが大きかったと思った。(上田における真田昌幸みたいだな)
文翔館(旧県庁)
無料で一般公開されている。
歴代の県知事に関する資料等、展示。
文翔館内部
文翔館内部 会議室
❶最上義光記念館
❷県立博物館
❸山形城 櫓内展示館
❹県立美術館(ピカソ、ルノワール等の絵もある)
二の丸東大手門
二の丸 虎口門
最上義光像
本丸一文字門
石垣、櫓等の復元が急ピッチで進められている。
金箔瓦も出土している。
山形県から出土
教育資料館建物
教育資料館
教育資料館内部