奈良・元興寺は、すごいお寺だったんです。 | 2016年は、真田丸

2016年は、真田丸

使い方がよく分かりませんが、自分のメモとして

1月10日大学のスクーリング(科目名;奈良文化論)で奈良町、奈良公園に行った。名誉教授の浅田隆先生(この道では有名な先生で著書多数)の引率で、解説をいただきながら、方々を回った。なんとも贅沢な話だ。

まずは、元興寺の話
今までに、元興寺は、2回来たことがあったが、なぜ、このお寺が世界遺産かと不思議に思っていた。
ところが、元興寺は、すごいお寺であることを、先生のお話を聞き現地を歩き、体感した。

   日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛寺)平城遷都にともなって、蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺(佛法元興の場、聖教最初の地)である。
すなわち、奈良では、老舗中の老舗のお寺である。

猿沢池をはさんで北の興福寺、南の元興寺と言われ、広大な寺地と伽藍を有した。(今の奈良町の場所はすべて元興寺に含まれていた)
また学問の中心であり、興福寺の北寺伝『御蓋流』に対し南寺伝『飛鳥流』と言われたが、平安中期には、衰退する。
その後、平家による南都焼き討ち等を経て、伽藍は荒廃し、堂塔が分離してゆくことになる。
中でも、極楽坊と呼ばれる場所は奈良時代の元興寺の学僧智光法師が居住した禅室で、我が国浄土三曼荼羅(智光、当麻、清海)の随一である智光曼荼羅(掌中示現阿弥陀如来浄土変相図)発祥の地とする信仰が生まれ、真言宗のお寺として現在に至っている。
 
私が最も感動したのは江戸時代まで存在したという、
五重塔の塔趾である。
一般に言う元興寺とは離れたところにあり、塔は、72メーターの高さがあったとの事、大きな礎石が残っている。

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塔趾にあった現地案内版 
赤の表示が、五重塔のあった場所
伽藍の配置はは奈良町全体に及ぶ

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現在の元興寺

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塔趾入り口の門(2つある)

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塔趾入り口の門
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奈良町の町並み

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元興寺塔趾の石碑

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礎石

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現地案内板

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現地案内板