声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話 -9ページ目

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

歌手、声優、俳優、芸人、ビジネス、一般、声に関心のある人に。
プロ、トレーナーも含め、トップレベルのヴォイトレ論を展開します。

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○音程練習は、最初から必要ではない

 

私は、正しい音程を過度に重視するレッスンは、弊害も少なくないと思っています。声が出て、音感さえ正しければ音程練習などしなくても歌えるのです。

音程に厳しすぎると、ふしぜんな発声をつくりだすとさえいえます。もちろん、音感トレーニングとして行うことには、反対しません。そこで目的を分けることです。

 

プロのヴォーカリストは音程を外しませんが、それは音程練習に多くの時間を費やしたからではありません。生まれつき音感がよかったのでしょうか。いえ、音楽の流れや心地よさを優先して乱さないのです。音楽の流れをよく聞き、声で真剣に伝えることの繰り返しが、結果的に音程を狂わせないことになります。(案外とテンションや集中力も大きいと思います)

 

歌うには、ことばの抑揚のなかでことばのニュアンスを活かしたまま、メロディをうまく処理していくことが必要です。歌う段階に入ったら、ピッチや音程を考えずに、声が動くのが理想的です。

歌でも、レッスンのときに無伴奏で声を出させていると、いつのまにか身についてくるものです。聞く耳が厳しくなるからです。ピアノなど伴奏にあまり頼ると、よくありません。

○ピッチや音程の悪いのは、発声のせい

 

ピッチや音程がよくないという問題の多くは、音感が悪いのではなく、発声の問題からきています。発声や呼吸の維持が悪いために音(正しいピッチ)に届かないのです。

その場合、低いところなどでは、狂いが生じません。無理に高いところで出せば、下がりがちになるのは当然です。

 

もうひとつの原因は、メロディを間違って覚えてしまった場合です。これは、正しいメロディをとった音源を何度も聞いて直しましょう。

 

音程練習のときは、ピアノで音をならして、すぐに声を出すのでなく、そのひびきに合わせて出すような練習が好ましいです。

ピアノの音は、半オクターブの音程でも高低の差が大きいように聞こえます。日本人の高低に敏感な耳は、それに引きずられがちです。

私は、レッスンの伴奏では重ねて1オクターブ低い音を重ねて弾くようにしています。

手先でなく身体で制球(コントロール)することが必要なのです。なるべく、高低の音質に差を生じさせずに、声を出しましょう。

 

○音の高低を、ことばより目だたせるな

 

歌においては、ことばとの兼ねあいから、単音そのもののピッチよりもメロディをコードの感覚でとらえて、その流れのなかで、ことばの表現を活かしていくことの方が大切ではないかと思います。ピッチや音程を正しくとりながらも、その音の高低がことばの表現よりも目だたないようにするということです。

 

ことばを歌うなかで、うまく音程の連なりであるメロディが処理されていることが望ましいのです。

これを私は「メロディ処理」といっています。

これは、音程をとって、つないでメロディを処理するのでなく、表現のなかでおのずと無意識にメロディが処理されてしまったようにするということです。

 

聞いている人が音程や声の高低に気をとられてしまうような歌は、よくはありません。そうなるのは、歌う人が音程やメロディを正しく歌おうとしているからです。メロディを意識にのぼらせないで歌うことが大切です。

 

一流のヴォーカリストは、リズムグルーヴの流れにのり、そこからはみ出さないので、音の高低が目立たないものです。音の高低が気になるのは、一つひとつの音が、大きなフレーズの声の流れのなかで動いていないからです。声の線が出ないまま、ぶつぎれの点になっているからです。

また、音色がピッチによって異なり、同じでないといった声の器のなさが根本の原因です。

 

まず、曲を譜面で読みましょう。自信がなければキーボードでメロディを入れて正確に覚えることです。

(音源を参考として聞くのは構いませんが、歌唱のコピーには頼らない方がよいでしょう)

○音程より音感

 

音程と言うのは、音の高さでなく、2つの音のへだたりのことです。

ドレミレドもドミソも2つの音の連続した連なりで音楽が成り立っているのです。「ドーレ、レーミ、ミーレ、レード」と、「ドーミ、ミーソ」の音の幅がとれていないのを、音がはずれているといいます(これは、1つの音の高さ[ピッチ]に届かないのとは違います)。

同じ高さの2つの音の間隔、音程を1度といいます。

ドとドが1度、ドとレは2度、ドとミは3度と表します。

 

歌で8度(1オクターブ)以上、隔てた音程が出てくる曲は、ほとんどありません。

曲全体は、1オクターブから2オクターブにまたがる場合もありますが、5度までの音程がほとんどです。

1度は同じ音、2度は隣りあう音、3度と5度は三和音のドーミ、ドーソの音程です。実際のところ、とりにくいのは、ドーファやレーソの間隔の4度、ドーシの7度の音程ぐらいではないでしょうか。

 

2度でも全音(半音2つ)隔たる長2度と半音隔たる短2度があります。そのような違いは、長短増減で表わします。

詳しくは「楽典」で学んでください。

 

同質に使える声としての1オクターブ

 

 最低1オクターブの声を同質でもっていることが必要だと思います。

そう言うと、3~4オクターブの間違いではないか、自分でも2オクターブは出せる、という人がたくさんいます。ここでは、一声でプロとしてわかる1オクターブ、聞いて違いのわかる、価値のある音色での1オクターブということです。

 

声域は、歌のなかでは1条件にすぎません。

広ければよいのですが、広くても使いものにならなくては何にもならないのです。

 

 同質の声として1オクターブというのは、たとえばピアノの真ん中のドから1オクターブ上のド(女性はラからラ)まで、どの音も、長いフレーズでもシャウトでもできる、ことばで言い切れるということです。

 頭の方へひびかせたり、のどを締めて出すのではありません。

カラオケで歌う人なら、どんな人でも1オクターブくらい使っています。

 しかし、ここでは、同じ発声でということにこだわりたいのです。1

オクターブのなかで、どの音も統一したものをもつことです。

 

声区のチェンジで声の出し方を変えているような人もいます。

それが聞いている人に明らかにわかるようではなりません。

高音においては、細く弱く音色を変えている、脱力して浮かせるか、力でぶつけてガナってキンキン鳴らしているかのどちらかが大半なのです。いろいろなくせがついているわけです。

 

くせが出ているというのは、うまくできていないからです。バランスが崩れてきて、この先の発展が望めないという点で絶望的なのです。

そのままでは、くせをカバーするために、さらにくせをつけて声域を広げることになるからです。

 

そういう指針がヴォイトレでは少なくないのです。私からみると、本来のトレーニングと逆方向です。

スポーツ選手でしたら、そこで成績が落ち、その結果、トレーナーも厳しく注意します。歌の場合は、高音にさえ届けばよいと曖昧にやり続けてしまうからよくないのです。

 

くせがない、しぜんな声であるからこそ、いろいろな応用がきくのです。どんなことにも可能性をもってチャレンジし、それを克服できるキャパシティを広げていくこと、それが基本です。

1から始めて10に行き、また1に戻る。これを10回ほど繰り返して、やっと一つ身につく。こういう地道な努力を経て、本当の地力として得られたものが基本の力です。

まず、1オクターブをしぜんな声で使えるようにすることが基本ではないでしょうか。