声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話 -5ページ目

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

歌手、声優、俳優、芸人、ビジネス、一般、声に関心のある人に。
プロ、トレーナーも含め、トップレベルのヴォイトレ論を展開します。

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本物は、自分の中にある


 声ひとつ音楽ひとつ取って、どれがよいか悪いかを判断することは、難しいことです。同じだけの年月をかけても、そこで生じる個人差には雲泥のものがあります。人々を感動させる、その価値を高く評価させる何かが、本物にはあるのです。

 日本のヴォーカルは、世界からみると決して恵まれていません。日本人が苦手とする個としての意識の確立、それを他の人のまえで表現することは、自己の存在を自他ともに認めさせようとする本能的な活動なのでしょうか。

うまいとか下手とか一喜一憂していると、井の中の蛙で終わってしまいます。

その辺のコンテストで優勝しても、うまいといわれても学園祭バンドなのです。似たようなものです。(日本の場合、お客さんの問題もあります。)

 

 デビューにしろ、ライブや作品制作にしろ、あまり他人に頼らないことです。目標を高くとらなくては、よいものが出てくるはずがないのです。

本物は、世界のなかには数えきれないくらいいます。

その本物たるものがあなたの心に棲みついたとき、あなたは本物になる試練へ一歩踏み出せるのです。

今までになかった新しい個性、全く違うスタイル、それをパワフルにものにしていく熱い情熱に期待したいと思います。

メロディ処理

 

 ことばにメロディをつけたときに、その音をとるだけでなく、多くの人は伸ばします。これも、多くの日本人に共通する勘違いです。高くすることも伸ばすことも別のことです。

単にメロディをとるという、あるいは、半音動かしただけの課題に、どうして難易度を上げるのでしょう。

同じイメージを持てば同じように処理できるのに、違うように扱うから問題がどんどんと難しくなってしまうのです。

課題はできることで行なうこと、これが大切です。

 

  1)音を高く上げる(低く下げる)

  2)伸ばす

 

 この二つは、歌うための条件ではないのです。一流のヴォーカルは、伸ばすと意図したところ以外は、ことばをかなり短く切っています。

表現するために、難しく伝わりにくくしないことです。

日本人の歌に対するイメージ感覚を一時切って、目一杯大きくするようにしてください。

 

※語っているときは歌っているように、歌っているときは語っているように、というのが理想です。
この二つが離れてしまっている人というのは、声が使えていないのです。声が使えているのでしたら、ことばも声域も一つになります。

 そこに音楽の要素としてメロディ、リズムなどが入っても、表現力は変わらないどころか、パワーアップするのです。思いっきりシャウトして歌っているところから、急に低くなったりことばになっても、しぜんに移行できるはずです。

 ことばを語っていると、歌のように聞こえ、歌っているときは、ことばが語られているようになって、初めて歌になるのです。

 

イメージと表現

 

イメージする力とイメージを声で表現できる力が必要なのです。

この問題を徹底して解決します。それが地力のつくトレーニングだと私は考えます。

1)イメージする力

2)そのイメ-ジを表現する力

 

 考えてみれば、人生というのもまた、自分で将来像をイメージして、それを実現しようと生きているわけでしょう。そんなに特別なことでもないのです。

私が見ている分には、どうもこの二つの力が欠けている人が多いようです。これが上達にとって大切な条件となっていることは知っておいてください。

 

 声の力としてはついているのに、イメージがないために、うまくいかなくなることもあります。

できることに関しては、それを完全に出し切れるように厳しいチェックと調整をします。

できないことはやれませんから、いつもトレーニングは、あたりまえのことをあたりまえに繰り返すだけです。だからこそ厳しいのです。

 本人の上達への強い意志がなくては、飽きたり満足したりして最高のことが続ません。

 

 体や他の条件はできているのにうまくいかないのは、イメージの問題が多いのです。勘がよくなくてはアーティストは務まりにくいということです。100パーセントを常に出せる声力というのが、本当の実力を支えます。

 

 例えば、一つのことばを読みます。

「いつも」でも「アオイ」でもよいでしょう。

それをドドドとかミミミという同じ音で取ります。

あるいは半音だけ変化させ、ドレドとかミレミにする。

 

すると、ほとんどの人は、読んだときの半分のパワーしかない、

しかも口先だけのことばになってしまいます。少し音を上げると、残りの半分の人もできなくなる。

これも、イメージの問題です。

口先で歌うというようなイメージしかないと、そんな声しか出てこないのです。

 

今ある実力の10分の1も出せていないのです。ただし、これを充分に出すのは、トレーニングでなく、半分は心理的なもの、慣れです。上達したように感じるスクールの教育のほとんどは、この慣れであって、それでは、本当のトレーニングとは言い難いと思うのです。

 

○地声と裏声、なるべく地声を使うこと

 

私は、地声を中心に伸ばしていくことを勧めています。

声の表現には、いろいろな要素があるので、自分の使いたいようにすればよいのですが、裏声中心の場合は、表現するにも、かなり高い完成度が要求されてくるからです。

個性も出しにくいからです。

「ブレスヴォイストレーニング」では、地声で声を深め、扱いやすくします。

そこで目一杯、声域も声量も伸ばします。

その上で、裏声やファルセットを、応用すればよいと思います。

 

話し声は地声で、頭部にひびかせて使う声を裏声と思っている人が多いようです。しかし、地声と裏声は共鳴させるところの違いでなく、声帯の使い方での違いです。

胸声発声のときには、声帯全体が振動します。

これを声帯を厚くして発声するという人もいます。

それに対し、頭部発声のときには、声帯は薄く、一部分の振動が中心となります。

 

「ブレスヴォイストレーニング」では、地声も胸声発声に重点をおいています。

これは、ほとんどの日本人が充分に胸声で声を出し切れないうちに、鼻先のひびきだけで歌おうとして、無理をしているからです。

日本人は、鼻の方にはひびきやすいので、トレーニングとしては、その逆を重視すべきとも思います。

歌うときは、マイクに近い頭部が意識の中心になる人が多いようです。

ですから、せめて、声に神経を集中できるトレーニングのときには、そこでできないこと、つまり、胸部での地声づくりをしておこうということなのです。

このテキストでの「胸にひびかす」とか「胸に入れる」というのは、そういう意味で、決して胸に押しつけるのではありません。

 

ファルセットというのは、頭声よりもさらに、声帯のほんの一部分を振動させた声です。頭声発声が息によって、強弱の調整ができるのに対し、ファルセットは一般的には増幅できない声のことを指します。

これも、歌のなかで、ときたま使う分には、効果的です。

頭部へは、上半身のリラックスができたら、しぜんに共鳴してくるのです。

 

○声の成長と声域について

 

十代のうちは、自分の声域についてはあまり気にしなくてもよいでしょう。

身体という楽器自体が変わっていくのに、声の出る範囲を決めつける必要はありません。

声変わりしてからも、本当の大人の声として安定するには、何年か要するのです。

ですから、つねに柔軟に、自分の声の完成度を踏まえて無理のない声の使い方を心掛けたいものです。

 

変声期になると、男性の喉は、喉頭が「アダムのリンゴ」といわれるように前に突出します。そして、声帯が前後に長くなります。声帯が長くなると声は低くなり、男性特有の太い声になるのです。

変声期は、高音も低音も不安定で出にくくなります。

また、それまでと発声の感じが変わるので、うまく声を扱いにくくなります。徐々に自分の声に慣れるようにしてください。

 

変声期が終わったら、すぐに声が使えるのではなく、充分な訓練期間が必要です。

あわてて、無理な発声で、大切な喉を痛めないように注意してください。

女性にも変声期はありますが、男性ほど顕著な変化が表れません。

ともかく、声にパワーがついて、自由に使いこなせるまでには、時間がかかるのです。

あせらず基本的なトレーニングを充分にしておくことをお勧めします。

声帯の長さは、身長に比例するといわれます。低い声を出せる人は大体、背が高いのです。高い声は、声帯の使い方で伸ばすことができます。