口先で歌わない
アナウンサーは、聞きやすい発音で正確に内容を伝える仕事です。
ですが、それゆえに、その声のままでは、朗読や歌など芸事には不利だと思います。
たとえば、アナウンサーは、息がマイクに入らぬようにします。一方、役者や歌手にとって、息は、表現の大切な手段の一つです。
調音ばかり訓練しているのは、日本の新人アナウンサー式、見本通りの声の出し方で、声をそろえていくと、個性を抑えています。マニュアル通りがよしとされているからです。
ことばがあって声があるのではなく、声があってことばとなり、せりふや歌となるのです。
赤ん坊のようにお腹から声を出して、泣き叫んでごらんなさい。
喃語というのは、ことばを覚える前のムニャムニャことばです。これでも、何か欲しいと伝えるには足りるのです。
一方、私たちがどんなに流暢にことばを話しても、その国の言語がわからない人には伝わりません。無表情に言ったら尚更でしょう。しかし、声の感じで伝わることもあるのです。
歌は、必ずしもことばで表現しなくてはいけないわけではありません。スキャットなどもあります。
とはいえ、ー日本では、歌といえば、ことば中心でした。
ことばがよりストレートに伝わるから使うわけです。会話では、ことばが意味や内容を具体的にするからです。なら、なぜ歌を使うのか、そこを考えなくてはなりません。
言語以外のもの、表情、そして所作、その前に声そのもののもつ力で伝える努力をすることです。これは世界万国、老若男女共通だからです。
悲喜哀楽、感情は、まさにそういうものでしょう。
声そのものに、すでに大きな力があるのです。その力を最大限生かし切った上で、ことばを使うと思えばよいのです。
音楽そのものは音のもつ働きで心を動かします。ことばよりも先に音ありき、つまり、歌の前に声があると思うことです。
声が浅いと、口先加工型の声となります。体から出せる深い声なら、ひびいて通るので、口先は微調整でOKです。こうして出せたことばを「音楽的言語」と私は言っています。
ことばなのに歌のようなものです。
日本語は、音楽的な傾向が強いのですが、日本人がそう使えていないのです。
ことばが途切れ途切れとなり、ブツ切れの歌になりやすいのです。そこは発音のときにも注意することです。
[口を動かさず声にする]
発声した瞬間、舌の位置で母音(アイウエオ)は決まります。唇やあごは動かさなくとも、アイウエオと言えます。
あまり、口をはっきり動かしすぎると、声が体と結びつきにくいのです。
口を動かさないで、ひびきをつなげるつもりで次のことばを読んでみましょう。
1)アオイアメ、アカイアメ
2)アシタは、どうなることやら
3)アナタにアゲタ、ワタシのアイを