罪と、向き合う、生き方とは。 | 島キョウの書くブログ

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一生、許せ無い、と感じさせるような事故は。

一生、許される事では、無い、と論される。

一生分の罪を、背負う、という事は。

その重みに向き合い、地べたに這いつくばって、やがて、歩けなくなり、そのまま、亡くなる、という事。

…そうだろうか?

僕も、十数年前、ネット上で、仮面を被り、迷惑行為に大暴れをした時期があったが、それは、一生、許されない事だと感じる。

…断じて。

被害者側としては、一生、許さないだろうし、ネット上で、荒らし回った形跡は、簡単には、消え無い。

あえて、その言葉の重みを、ネット上に残す、管理人も居る。

先日、交通事故で、亡くした相手が居たのに、自らは、出世して、謝罪を求める親族に、繰り返し求めないで頂きたい、と通達をした方が、居たらしい。

僕個人としては、何か、重大な、勘違いをして居るように、感じる。

一生、掛けて、罪の重みを感じると、被害者や、親族達に、想いや、伝える事は、大事。

ただ、何度も謝れ!地べたに這いつくばれ!このまま亡くなってしまえ!、と伝える親族達にも、少し違和感。

ただ、一番の勘違いをして居るのは、やはり、加害者。

出世した事と、出世して居無い事は、関係無い事だし、その過去の罪、という重みから、逃げるより、その事故、という重みから、蟠りを無くす事の方が、大事では、なかろうか?

一生、掛けて、罪と向き合って観せます!、とシャン、と背筋を張り、申し訳御座いませんでした、と罪を認める。

失ったものは、2度と帰って来る事は、無い。

例えるなら、自分と親しい存在だった生き物が、明日、突然、亡くなるとしたら、それは、一生、記憶に残るだろう。

悲しみと向き合う、親族となるだろう。

ただ、加害者側の出世を妬むのも、被害者側としては、違う気がするし、加害者側として、出世して、過去の事故、という記憶から、逃げるのも、違う気がする。

僕も、被害者側であれば、一生、許せる事では、無いけれど。

加害者側が、どれだけ出世しようが、出世、とその事故については、関係の無い事。

一生、許せ無い事。

お互いが、真摯に向き合って頂きたい。

何より、1番の被害者は、事故に巻き込まれた、本人であって、そこに互いに、意識的に向き合って頂きたい。

長くなったが、以前、ブログに書き込む予定だったのに、エラーが出て、書き込みを投稿出来ず、悲しい想いをした事がある。

これも、事故だが、やはり、ネット上の言葉は、誰にでさえ、観られる可能性があるので。

軽率なネット上の言葉を書き込む際は、気を付けて頂きたい。

ちなみに、自分も、過去とは、常に背中合わせ。

ネット上で暴れ回って、周囲に迷惑を掛けまくった、あの頃に戻りたく無いから、ネットの発信を、過ちを繰り返さ無いように、使って居る。

二度と、繰り返したく無い、過ち。

それが、一生の罪だから、同じ過ちを繰り返したく無い。

繰り返さ無い事が、正しい事だから。

僕は、一生の罪を、背中に合わせて、生きる。