「脳と流行と世代」1984年 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

この年に中2になる。

中2秒がいまだに何なのか実感できない。

 

 

 

1万円(福澤諭吉)・5千円(新渡戸稲造)・千円(夏目漱石)の新札発行。これがなければ、新渡戸稲造を知らずに生きただろう。

 

グリコ・森永事件。キツネ目の男に似た教師がいて、災難やったろうなあと。とにかく厄介な事件であった。

 

ロサンゼルスオリンピック開催。とにかくカール・ルイスの印象が強すぎた。山下泰裕や具志堅、森末の金メダル以上に。

 

そして、この時に流れていたオリンピアが、まさか世界最強タッグリーグ戦のテーマになるとは思ってもいなかった。

 

日本初の衛星放送始まる。私が実質的にこの恩恵を受けるのは、代ゼミのサテライン講義がはじまってからなので、まだ先の話となる。

 

シンボリルドルフが無敗の三冠馬となる。私はミスターシービーのファンだったのが、帝王が皇帝に負けるというのはやむを得ないと。

 

ファッションが分からないのは、毎度の話。マニッシュルック、リセエンヌ・ルック、イタリアン・カジュアル。なんのこっちゃ。

 

携帯用CDプレーヤーのディスクマンは当時は買わなかった。

まだカセットテープでええやと思ってたんで。逆に今は持っている。

 

くれない族。言葉は知っていたが、夫にかまってもらえずヤケになった主婦という意味は今まで知らなかった。

 

ヤッピーも、同様に意味は知らず、いい意味だとは思ってなかった。若手エリートサラリーマンがこんな呼ばれ方だと恥ずかしい気がする。

 

ピーターパン症候群になったことは一度もない。

まる金、まるビは、一文字を〇で囲むハシリの気がする。