「脳と違和感と敬語」 | 福盛貴弘の脳炎日記

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日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

正直意味がわからないマナー

 

 

 

 

そもそもことばなんてものは、時代によって変わる。

それほど口うるさく指摘する必要はない。

 

自分が使ってきた言葉が基準となっていて、それとは違う場合に違和感を覚えるのは構わないと思う。

 

その違和感がどの程度のものなのかを自覚する必要がある。敬語の場合は、対人関係に影響を及ぼすので。

 

「とんでもございません」がすでに誤用でなくなっているのは、文化庁から2007年に答申が出ている。

 

「とんでもないことでございます」のほうが仰々しい。

厄介な意識高い系かと疑ってしまう。

 

「とんでもある」がないから、「ない」のみを変化させるのがだめだという文法的屁理屈は聞く耳を持たなくていい。

 

「~てほしい」なんてのも、もともとは「~て」の後には動詞しかつかなかったのに、形容詞がついた変化例。

 

近畿方言が共通語に参入した結果である。

実用的に問題ないなら、変わっても受け入れればいいだけのこと。

 

誤用表現は、使う人が増えたら正規表現になる。

それは歴史が証明している。

 

へたくそな敬語でも、それなりにちゃんとしようとしてるんやなあと思ったら、いい大人は受け入れればいいだけ。

 

と言いつつ、「~っす」だけは受け入れることができない。これが丁寧語だと思い込んでいるのだけは、やめてもらいたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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