志賀原発で地震後やっと報道陣に公開 | 笑う門には福来るのブログ

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【能登半島地震から2ヶ月以上経ち報道陣に公開】

 今月7日、能登半島地震でこの地に震度7の地震が襲い大きな被害を受けたと想像される志賀原発について、元日から2か月以上経った後に、やっと北陸電力が報道陣に施設を公開したそうだ。昨日19日付の朝日新聞「科学・環境面」で4段記事でその報告が掲載されていた。

 

 この日は2号機の燃料プールや壊れた変圧器などが公開。地震では、外部電源を受けるための変圧器が損傷して、計約2万キロリットル以上の油が漏れて、一部は海に流れ出たとみられている。油が漏れた部分は銀色のアルミで覆われていたそうだ。

 

 中田北陸電力原子力部長は「余震のリスクがなかなか下がらず、インフラの復旧も滞っていたので」この日になったと説明したようだ。

 

 外部電源は、5系統5回線あるうち1系統2回線がいまだに使えず、変圧器の復旧のめどは立っていないと説明した。変圧器を除いた変電所の復旧は6月をメドにしているそうだ。

 

【18日に社民党調査団も志賀原発へ】

 社民党は、地震発生直後から何度も志賀原発への視察を申し入れていたが、やっと2ヶ月以上経って3月18日に14名の調査団で原発内を視察したことがSNSで報告されていた。

 

 敷地内では今でも段差が確認され、周辺でも海岸の隆起、多くの家屋の倒壊があり、避難計画も絵に描いた餅だったと報告し福島党首は「志賀原発を稼働させてはなりません」と結んでいる。

 

【志賀原発は】

 震度7の地震が襲った志賀町に立地する北陸電力の志賀原発。1号機は54万kWで1993年営業運転開始。2号機は135.8万kWで2006年営業運転開始。2011年の東日本大震災以後停止したままだが、2014年から再稼働に向けて審査が進んでいる。

 

 2016年、原子力規制委員会の専門家チームは、1号機の原子炉建屋直下にある「Sー1断層」などを「活断層の可能性は否定できない」と評価。ところが2023年3月、規制委は「敷地内に活断層はない」とする北陸電力の主張は妥当だとし、2号機の再稼働に動き出した。

 

 経団連の十倉会長も昨年11月に現地を訪れ視察、「安心安全が第一で地元住民の了解を得てという前提であるが、一刻も早く志賀原発が再稼働できるよう願っている」と述べていた。

 

 そして今年元日に地震が襲った。林官房長官は直ぐに会見で「志賀原発は異常なし」と発表。「変圧器の火災が発生したが消火した」と。北陸電力は、現場の勘違いで火災は起きていなかったと発表。ただ変圧器の配管が壊れ、推定約3500リットルの油が漏出し、外部電源の一部が使えなくなって別な系統に切り替えたと発表したが、その後5日になって、6倍近い約19,800リットルだったと訂正した。凄い量の漏出だ。

 

 火災の誤認の件では、現地職員が爆発音を聞き、焦げ臭い匂いがしてスプリンクラーが作動し水浸しになったが、火災ではなかったとする。地震の揺れで、1・2号機の核燃料プールの水が計約420リットル溢れたが、外部への流出はなかったこと、地震発生後1~3メートルの津波が来たことを発表。

 

 更に、1号機の原子炉建屋付近や海側エリアなどで、最大35センチの段差やコンクリートの沈下があったとする。万一の時に消防車などが動き回るには問題がないほどの段差などだったのか。

 

 因みに、原発事故があった際の住民の避難ルートになっている自動車専用道「のと里山海道」は、複数個所で陥没して一時全面通行止めになっていた。

 

 北陸電力のHPで「志賀原子力発電所に関するご質問、設備状況」もじっくり読んだが、例えば油漏れだけでも当初の3500リットルという発表が5日後になって約2万リットルと訂正しただけをみても“大本営発表”はにわかには信用できない。

 

 「気象庁の地震予測では能登地域は大きな地震は想定されておらず、北陸は安心安全」と言われてきたこの地に、元旦に能登半島地震が襲い大変な被害が発生した。

 

 それでも経済性のため、志賀原発を再稼働しようとしているのには俄かに信じられない。北陸電力のHPでは、地震被害は殆どなく、安心安全な施設だ、と喧伝しているが。