池上本門寺・洗足池を訪ねて | 笑う門には福来るのブログ

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【日蓮の終焉の地】

 春の到来を思わせる1日、一度訪れてみたかった大田区にある「池上本門寺」「洗足池」に散歩に出かけてみた。自宅からは東京湾をくぐって車で1時間ほどの近さにある。

 

 大田区池上にある「池上本門寺」は、日蓮宗の七大本山の一つに挙げられていて、日蓮入滅の霊場として知られている。約7万坪という広さにまず圧倒される。第二次大戦の空襲で大きな被害を受けたそうだ。

 

 ここ池上本門寺には、西郷隆盛率いる新政府軍の本陣が置かれ、江戸進攻の拠点だった。勝海舟はここに何度も足を運んだといわれる。

 

 鎌倉時代、病身の日蓮は身延山を出て湯治のために常陸へ向かう。弘安5(1282)年9月18日、この地にあった領主池上宗仲の館に到着し、最後の20日ほどを過ごしたという。そして10月13日にこの地で入滅した。

 

 総門をくぐり加藤清正寄進の96段の石段を上がると仁王門があり、左右の仁王像が迎えてくれる。仁王門の右手に五重塔がある。秀忠が寄進建立した塔で、関東に残る最古の五重塔だとか。

    

 仁王門の前には広い境内があり、「大堂」がデンと構えている。

       

 大堂をお参りして後ろの本堂の先に、「日蓮大聖人御廟所」がひっそりと建てられている。 

      

 左手の紀州徳川家の墓所を通って崖の階段を下りると、「大坊本行寺」があり、日蓮はここで入滅したという。

      

【勝海舟が眠る洗足池へ】

 池上本門寺から車で10分ほど走ると1周1.2キロほどの「洗足池」がある。今でも水量が豊富な湧水池で流れ込む川はない。

      

 平安末期の文献で「千束」といわれた地で、頼朝もこの地に宿営した記録がある

が、日蓮がこの地に来て池の水で足を洗って休息したとの言い伝えから「洗足池」になったとか。

 

 この地には、勝海舟の別荘があり、明治維新後この地に移住して、勝夫妻の墓もあり、現在「勝海舟記念館」が数年前に開館した。勝海舟の一生がよく展示されていて、江戸末期から明治にかけての歴史に想いを馳せた。