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NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

David BowieDavid Bowieの1972年の歴史的名作。
グラムロックの代名詞とも言うべきアルバムで、ボウイの人気とサウンドの方向性を決定付けたアルバム。もともとボブ・ディランに強く影響を受けたフォークロックを歌っていたが、試行錯誤を繰り返しこのアルバムでボウイのスタイルは形成されたといってよいだろう。そしてこのボウイのサウンドやマーク・ボランの活躍によってグラムロックというスタイルのロックが浸透し、この時代の新しいロックとして人気を集めることになる。大げさな化粧をし演劇的なステージをみせるこのスタイルはデビッドボウイのために存在したとも言えるほど、この時期の彼のイメージと重なっている。過去にパントマイムをやっていたという経歴もこのパフォーマンスに大きく影響しているようだ。
このアルバムはコンセプトアルバムで、ボウイ自らZiggy Stardustというロックスターを演じてSpiders From Marsというバンドを率いてひとつのストーリーを演じている。"Five Years"という地球にはあと5年間しか残されていないという切羽つまった刹那的な状況を歌った曲からはじまり、全体としては宇宙人のロックスターが地球の滅亡を救う、という非常にわかりやすいストーリーで、このストーリーをステージで披露する彼のパフォーマンスは非常に完成された見事なものであった。本作からはトータルアルバムでありながら"Starman"他数曲のシングルヒットも生まれており、どれもロックスタンダードとなっている。アルバムのテーマは一聴すると単純で楽観的な内容に思えるが、実はロックを必要としロックがないと生きていけないということは不幸なことであるというボウイらしいシニカルな内容でもある。
この後、ボウイはブライアンイーノと組んだ"Heros"、ナイルロジャーズと組んだ"Let's Dance"など自らのサウンドをカメレオンのように自由自在に変化させていくことになるが、どんなスタイルのサウンドを作っても根底にあるのはこのグラムロック時代のロックであり、どれもボウイならではのオリジナリティのある素晴らしい音楽を聴かせてくれている。もはやボウイはアルバムやライブといった単位で表現するのではなく、存在自体が彼の作品であるかのようにさえ感じさせる魅力がある。彼のそういった柔軟でありながら筋の通った姿勢は多くのフォロワーに影響と衝撃を与えた。固定された音楽スタイルを持たない彼の自己表現の一貫性は数多くのロックアーティストの中でも稀有の存在といえる。そしてサウンドを変えるたびにメディアやジャーナリズトのあいだでは賛否両論が激しく交わされ、良くも悪くも話題性には事欠かないアーティストとしてその人気は今も健在である。
Maroon 5Maroon 5のライブ盤でライブ映像とドキュメンタリーを収録したDVDとセットでリリースされた新譜。
2003年にデビューしたMaroon 5はジュニア・ハイスクール時代からのスクールメイツであったアダム(Vo/G)、ジェシー(G/Key)、ミッキー(B)、ライアン(Dr)で結成されたバンド。もともとはKara’s Flowersという名前で活躍していたバンドが母体となっている。このバンドは1997年にアルバムデビューし、熱狂的でパワフルなパフォーマンスで注目を集めたが、1999年に新しい音楽を探求するためにレコード会社を離籍、ギターを加えR&Bたソウルを取り入れたスタイルを確立し、Maroon 5として活動を再開する。
Maroon 5は10代の頃から、Weezer、Nada Surfといったオルタナティヴ・ロック・バンドを模範として、徐々に経験を積み進化を遂げてきた。そのオルタナティヴ・ロックというベースの上に自らの音楽性に取り込んだソウルとフォークの影響を積み上げ、それがこのバンドのサウンドの基礎となっている。
2002年にリリースされたMaroon 5としてのデビューアルバム"Songs About Jane"は全世界で1000万枚を売り上げる空前のロングヒットとなり、グラミー賞の最優秀新人賞を獲得。日本でも"Sunday Morning"、"She Will Be Loved"が同時に2つのTV CMに使用され、オルタナティブロックとしては異例のヒットを記録中である。発売当時のキャッチコピーはレニー・クラビッツのサウンドにジャミロクアイのボーカルという触れ込みで、これは安直ではあるが、彼らの音楽性を分かりやすく表現していた。
初のライヴ盤となる本作は"Songs About Jane"を引っ提げてスタートさせたツアーの集大成となった2005年3月から5月にかけて行われたUSツアーでの5月13日のサンタバーバラで行われたライヴを完全収録したもの。この日のライヴでは全アルバム収録曲を演奏し、さらにはまりすぎのOasis初期の名曲"Hello"のカヴァーと新曲"Wasted Years"までも披露。アルバム自体捨て曲がないほどの完成度だったため、当然観客の熱狂振りは言うまでもなく、その熱いライブの雰囲気はこのライブアルバムからも十分に伝わってくる。まだアルバムを1枚しかリリースしていないとは思わせないほどの貫禄のあるパフォーマンスを見せ付けている。
彼らのソウルをベースにオルガンを取り入れたモータウンの影響すら感じさせるサウンドは、懐かしくシンプルでベーシックなものでありながら、ソングライティングのセンスとクールで表情豊かなボーカルの力量でまったく新しいオリジナリティのあるサウンドを作り上げた。ロックファンだけではなく、あまたの音楽ファンにアピールできるほどの汎用性と実力に裏づけされた質の高さを持っている。セカンドアルバムの完成が非常に楽しみなアーティストである。
Velvet UndergroundVelvet Undergroundの1967年の名作。
ご存知Velvet Undergroundはルー・リードとジョン・ケイルを中心として結成された当時のニューヨークのアンダーグラウンドシーンを代表するバンドである。レコード会社専属の作曲家として活動をしていたルー・リードと現代音楽を勉強していたジョン・ケイルが1964年に出会い結成、その後メンバーを加えバンド名をSM小説から引用しVelvet Undergroundという名前に変更し本格的に活動を始める。そしてその存在がポップアートの巨匠アンディ・ウォーホールの目に留まり、ウォーホールの”ファクトリー”に出入りするようになる。そしてファクトリーが主催していた"Exploding Plastic Inevitable"という音楽だけでなくダンスや映像、照明に渡るまで総合的なメディアイベントに参加することになるのである。彼らはこのイベントで人気を集め、ウォーホールのプロデュースでアルバムの製作に取り掛かることになる。そしてアルバム製作にあたってウォーホールの勧めでドイツ出身のモデルでもあり歌手でもあった独特の雰囲気を持つ女性アーティスト、Nicoをメンバーに加える。
アルバムはまさに当時のニューヨークのアンダーグラウンドシーンをそのまま露骨に描いた内容で、ドラッグやウォーホールの映画にも見られる悪趣味なSM嗜好などをストレートに表現している。そういった退廃的な歌を淡々と歌うルー・リードのボーカルとメロディーメーカーとしてのセンスに不協和音や効果音を用いたジョン・ケイルの現代音楽的な手法と壮絶なヴィオラ演奏が絶妙に融合し、彼ら独特の耽美な美意識とデカダンスを確立している。まさにルー・リードの持つポップ性とジョン・ケイルの前衛芸術的なセンス、そしてその両方のセンスを合わせ持つウォーホールと3者の個性の邂逅によって生まれた傑作だといえる。そしてこのアルバムからメンバーに加わったNicoの気だるいボーカルも当時としては新鮮で、彼らのシュールな雰囲気を助長させてる。
またウォーホール自身が手がけ、彼のネームが大きく入ったバナナのアルバムジャケットも大いに話題になり、いまやアルバムを聴いたことのないひとでも、この絵を見たことがない人は皆無といって良いだろう。ちなみにLP時代はバナナの皮がシールになっていて剥がすことでバナナの皮を剥くことができるという遊び心のあるジャケットであった。
このアルバムはポップアートの巨匠が手がけたという話題性と、アルバム本来の完成度が非常に高かった割に、リリース当時はセールス的には苦戦を強いられた。彼らの魅力が掘り下げられ評価され始めるのは80年代ニューウェーブが台頭してからのことになる。Velvetsの存在はニューウェーブのアーティストにとってもはや神格化されたかのような存在で、彼らのインテリジェンス溢れるアーティスティックな感性は多くのアーティストの模範となり、今でもインテリロック系のアーティストの中には彼らの影響を直で感じさせるアーティストが多い。
その後、VelvetsはNicoとジョン・ケイルが脱退し、ルー・リード色を強めていく。そういった意味でもこのアルバムはVelvet UndergroundとNico、そしてウォーホールの共同制作として極めて歴史的価値の高い作品であり、ウォーホールの作品の芸術性にも匹敵するポップで普遍性のあるクオリティーの高いロックである。
Grand Funk RailroadGrand Funk Railroad(GFR)の2枚目のアルバムで彼らの代表作。
バンド名にはFunkという言葉が入っているが、ストレートなハードロックバンドである。70年代を代表するハードロックバンドで、同時代のZeppelinやDeep Purpleと比べるとどうしてもB級的なバンドであった感が否めない。そんなGFRもデビュー当初はキャピタルレコードが期待の新人として大規模なキャンペーンを行い、彼らの名前を世界に売り出したが、ZEPPやCreamなど長いフリーなインプロヴィゼーションを聴かせテクニック的にも優れたバンドが多い中で、彼らの曲は非常に短く、構成もシンプルで新しいことはなにもやっていない。テクニック的にもとりあげて褒められるべき点は少なく、当時から日本のジャーナリズムはこのGFRについては否定的であった。
メンバー構成はギター兼ボーカルのマーク・ファーナーを中心とした3人のグループで、このアルバムでシンプルながらもどこかクセのある自分たちのスタイルを確立している。数曲のシングルヒットも生まれ、メディアの評価が冷たかった割には驚異的なセールスを収めたし、とりたてて上手いバンドではないにも関わらず、このアルバムは意外と完成度が高い。短い曲が多く、ストレートなハードロックであるがあまり退屈せずに一気に聴けてしまう不思議な力のあるアルバムである。
そしてGFRといって忘れてはいけないのが、今や伝説となった1971年の後楽園での初の日本公演である。前述のようにジャーナリズムの評価は最悪であったにも関わらず、当時の日本ではZEPPを凌ぐほどの人気を集め、この夏ファンは後楽園に集まった。前座が終わるごろから雷が鳴り響き、GFRの演奏が始まると同時に大雨が降りだし、3万人の観客はみんなスブ濡れになりながら、ただひたすら同じフレーズを執拗に繰り返すマーク・ファーナーのギターに狂喜し合唱した。私の以前の会社の常務はこの後楽園会場に居合わせた3万人のうちの一人で、このライブの演奏と雨の中の観客の熱狂を昨日のことのようにリアルに話して聞かせてくれた。(この常務はZEPPの初来日にも行ったという非常に羨ましい経験の持ち主だった。)
今では後楽園もドームになり、大物ロックアーティストの公演が野外で行われることは少なくなった。ましてや大雨の中行われるなんてことは皆無である。このGFRは音楽的に後世に残したものは非常に少ないが、日本のロックファンにとっては忘れられないバンドのひとつであり、この時代を象徴する存在であったことは確かである。この年のGFRのライブは"1971 Live"というアルバムで聴けるが、この後楽園ライブの雨の中の異常な熱狂や当時のハードロックブームを支えた今や亡きハードロックカフェのドラッグの匂いの立ち込める雰囲気はその場にいた人たち、その時代を共有した人たちだけにしかわからない。このGFRの後楽園の4年後に生まれた私は不毛なことだと思いながらも当時の青春時代を送った人たちが羨ましくてならない。
Rihanna今日現在、世界で大ヒット中のRihannaのデビューアルバム。
RihannaはDef Jamの重役がたまたま旅行中に発掘し、すぐに就任したばかりのCEOのJayZに連絡。その才能を見抜いたJayZは自ら契約書にサインしたことで話題になった弱冠17歳のアーティスト。彼女自身はBeyonceやAlicia KeysといったかなりメジャーのR&Bアーティストから影響を受けたと公言。彼女はカリブ海バルバドス出身で、カリビアンの血をひいており、このアルバムはカリビアンの影響とHipHopを上手く消化させたR&Bとして良質のアルバムに仕上がっている。カリブの人々にとって、ジャマイカはメジャーな存在であり、レゲエのアーティストは彼らの中では大スターなのだそうだ。Rihannaのような若い世代はメディアを通して幼少の頃からレゲエに慣れ親しんでおり、自らのルーツのひとつに加えていてもなんの不思議もない。そうした無意識の中で親しんできた音楽こそ、彼女にとっての"Music Of The Sun"なのだろう。
ダンスホール・レゲエをベースにしたワンコードチューンの先行シングル"Pon De Replay"がフロアだけでなく、全米シングルチャート席捲し、彼女の名前は全世界に広がった。アルバムはCarl SturkenとEvan Rogersが手がけたレゲエの"Here I Go Again"、"If It's Lovin That You Want"、JayZのフックも登場する"That La La La"に唯一のカバーであるDawn Pennの名曲"You Don't Love Me(No,No,No)"とアッパーな曲に加えて、正統派R&Bバラードの"The Last Time"やヒップホップまでバラエティに富んだ内容で、17歳の女の子でありながら、あらゆるタイプのナンバーを歌いこなしている。ビルボード HOT100では、デビュー曲にして最高位2位を取得。2005年に復活したマライア・キャリーの大ヒット曲「We Belong Together」の通算14週1位という大記録の前に、惜しくも1位は取得できなかったものの、その後もセールスを伸ばしこのデビューアルバムは大ベストセラーとなった。
彼女のヒットにはHipHop一辺倒のレーベルであったDef Jamのダンスホールレゲエのブームに上手くのせた戦略的な要因も大きいが、彼女の歌は一過性のブームとして終わることのない実力を感じる。会議室で生まれたのではなく、パルパドスの自然を浴びながら育った彼女の天然の感性である。アメリカのR&B界ではもはや必須とも言えるビジュアル的な魅力も申し分なく、プロモーションヴィデオでは10代とは思えないセクシーで貫禄のあるパフォーマンスを披露している。ポストビヨンセとしてDestiny's Child解散後のR&B界の新しいDivaとなる日も近いかもしれない。日本のFMや街頭などでも現在米国に少し遅れて"Pon De Replay"がヘビーローテーション中、この1曲でまだ夏を引きずっている。
Public Image LimitedPublic Image Limited(P.I.L)の1981年の3枚目のアルバム。
P.I.Lはあのセックス・ピストルズのジョン・ライドンを中心としたグループで、「ロックは終わった」と発言したジョン・ライドンのイメージするポストロックの実践場であった。パンク出身のアーティストがその後オリジナリティを模索していく中で、ジョン・ライドンはあくまでパンクの持っていた音楽的な方法論というかパンクというスタンスを最後まで崩さずにサウンドを発展させた。パンクをスタートにソウルやジャズの要素を加えていったスティングやポール・ウェラー、あくまでパンクにこだわりしがみついたジョーストラマーとは異なり、ジョン・ライドンはパンクの持つ批評性という精神性だけを残しながら新たなサウンドを求め続けたのである。自ら宣言したロックの死を体現し、既成のロックを脱構築させ、新たなロックを作り上げていく彼の姿勢は常に新鮮であった。
セックス・ピストルズ時代はマルコム・マクラーレンの戦略や当初のアナーキーだったパンクのイメージが強く分かりにくかったが、ジョン・ライドンは非常にサウンドに対してシビアで、音に対する完成度という点では決して手を抜かないアーティスティックな側面がある。このアルバムは高音質で聴けるようにと3枚組のEPがメタルの缶にパッケージされた前作“Second Edition”に並んで彼らの最高傑作として知られるアルバム。結成以来試行錯誤を繰り返してきたジョン・ライドンのサウンドに対する方向性が定まってきたアルバムである。このアルバムでも完璧主義ともいえる彼の音に対する気配りが行き届いており、重苦しいビートの中に潜むストイックな効果音や彼のエネルギッシュなボーカルが全体の緊張感とテンションを支えている。重くエレクトリックなビートにエスニックなリズムパターンを加えた前衛的なサウンドは非常に質の高いものであり、今聴いても遜色はない。そしてこのP.I.Lのサウンドを魅力的なものにしているのは、やはりジョン・ライドンの個性溢れる歌声によるところも大きい。
ここで聴かれるサウンドはもはらパンクとしてはカテゴライズされないもので、むしろポップスとも呼べるものである。ロックは死んだと語りながらも過去の音楽に対する畏敬の念を捨てず、常に批評性を持ちながら試行錯誤の末に行き着いたのがここで聴くことのできるこのポップなサウンドであったのであろう。そのジョン・ライドンの徹底した批評意識を捨てない頑固なまでのパンク精神が、このP.I.Lの大きな魅力となっている。
Dr.JohnDr.Johnの1968年の記念すべきデビューアルバム。日本盤はソロ名義だが、オリジナルは彼の率いるThe Night Tripperとの共同名義である。
今やニューオーリンズの名物おやじのような存在で、セカンドラインやブルースロック系のイベントがあると必ず顔を出してファンキーなピアノを弾くDr.Johnであるが、もともとヴードゥーの音楽を世に広めた人でワールドミュージックの草分け的な存在でもある。この"Dr.John"という名前も19世紀のニューオーリンズに実在したというヴードゥー教の王の中から取られた名前で、彼のバンドである"ナイト・トリッパー"とはビートルズの"デイ・トリッパー"から取られている。ソロとして活動する前の彼は若くしてR&B系の黒人スタジオミュージシャンに混じり活動しており、このアルバムは、麻薬不法所持で逮捕(人種差別の復讐であったらしい)され、服役後に作成されたアルバム。彼のバンドの仲間たちと一緒に次第にヴードゥーの音楽を大胆に取り入れたサウンドを確立するに至る。
このデビュー盤のアルバムタイトルである"Gris Gris(グリグリ)"とは西アフリカのダホメで生まれ、ハイチ経由でアメリカ南部に渡りヴードゥーの暗い流れをつくった杖を差し、その後の歌詞の"mambo ya ya"はルイジアナのクリオールカントリーに伝わる民謡をさすそうだ。サウンドは極めてダークで、Dr Johnの呪文のようにつぶやく歌声、ひたすら重いフレーズを淡々と繰り返すベース、ドラムの代わりに使用したコンガのアフロビートがこの"Gris Gris"というオドロオドロしいアルバムを構成している。もとはニューオーリンズのジャズであったりR&Bをベースにはしているものの、そこにあるのはネイティブなアフロサウンドであり、そのサウンドの奥の深さは宗教的で呪術的ななにか得体の知れないものを思い起こさせる。
また、このアルバムに漂うシュールでダークな雰囲気は、スイングジャズ全盛期より華やかなイメージで知られていたニューオーリンズの暗い闇の部分でもあり、派手好きなサイケデリックロックのファンの視点を米国南部へ向けさせ、カルト的なアピールを放って西海岸への人目を集めた。自分たちをプロフェッサー・ロングヘアの八つの幻影と称したその静かで不気味なサウンドは、その後のアフロビートを取り入れたファンクやロックの先駆けなり今でもロック系のアーティストを中心に玄人からも絶大な評価と尊敬を集めている。
その後、Dr.Johnはヴードゥーの音楽を一歩進めミーターズとともにニューオーリンズ独自のセカンドラインファンクというスタイルを築きあげる。セカンドラインファンクはタイトなリズムと華やかなファンクであるが、そのサウンドの根底に流れるものは紛れもなくこのDr Johnのヴードゥー音楽である。いまでもニューオーリンズのロックやファンクは、このヴードゥーの呪いのようなサウンドから逃れることができず、ロックでありながらもワールドミュージックとしての魅力を兼ね揃えた奥の深い音楽であり続けている。
Peter GabrielPeter Gabrielの1986年のアルバム。
ピーター・ガブリエルは昨日のBlogでも触れたとおりGenesisのボーカリストで、1975年にGenesisを脱退後はソロとして質の高い仕事を残している。
Genesis時代にもその兆候はあったものの、ソロになってからの彼はダンスミュージックというかアフリカのナイティブなビートやインドやアジアのリズムなどワールドミュージック的な要素を積極的に取り入れている。今でこそワールドミュージック志向のアーティストは少なくないが、この当時いちはやくダンスミュージックでもこの第三世界の音楽に注目していたのは当時Talking Headsに在籍していたデビッド・バーンとこのピーター・ガブリエルくらいだろう。特にピーター・ガブリエルのアフリカへの傾斜は徹底しており、南アフリカのアパルトヘイトの犠牲者ピコのことを歌にし歌い続け、"WOMAD"という民族音楽のフェスティバルを自費で開催するなど、単に音楽的なものだけを取り入れるのではなく、精神的な要素や文化、政治問題にまで言及することにより、アフリカの音楽の持つ芯のあるパワーまで自己の音楽の中に吸収しようとしていたのである。
ソロとしての初期の活動は以上のように、ただひたすらアフリカンビートと自己の音楽の融合を目的として試行錯誤されるが、そういったアフロビートをストレートに導入した4枚目のアルバム"4"でその融合は一応の完成をみる。
このアルバムはその次にリリースされたもので、プロデュースをU2でのブライアン・イーノとの共同作業でも知られる音の魔術師ダニエル・ラノワが担当。サウンド的には前作までのネイティブなビートにホーンセクションを加えたソウル風のナンバーなどポップな要素も前面に押し出し、“Sledgehammer”など数曲の大ヒットも生まれている。ガブリエルが持っていたポップで良質なメロディーメイカーの素養とアフリカ音楽への影響が融合した極めて質の高いアルバムとなっている。ケイト・ブッシュとのデュエットした“Don't Give Up”のゴスペル風のアレンジとリチャード・ティーのピアノは絶品としか言いようがない。
そしてなにより、全編に漂うダニエル・ラノワのアレンジがこのアルバムをただの陳腐なポップスに終始させていない。極めて音響至上主義ともいえる空間を感じさせる冴えた技法はガブリエルのハイブリッドなポップスと見事に調和している。ガブリエルのサウンドの持つ音韻とラノワの音響のもっとも見事な邂逅によって生まれた傑作アルバムである。またガブリエルは今や80年代サウンドとして嘲笑の対象にさえもなるこの時代のエレクトリックなサウンドをネイティブな黒人音楽の融合を自己のサウンドの中で解決させた数少ないアーティストであり、多くのアーティストが短命に終わってしまった80年代の模範といえるくらい素晴らしいアーティストであったと言える。彼の音楽のクオリティはその後90年代に入るまで上昇していき、90年代に現れる新世代のアーティストたちへの橋渡し的な役割を担った。90年代に入り、しばらく活動が止まっていたが2002年には10年ぶりのアルバム"Up"を発表、音響的でミニマムなサウンドを推し進め、彼の音楽の持つ高いクオリティがいまだに健在であることを見せ付けた。
GenesisGenesisの1974年のアルバムで邦題は“眩惑のブロードウェイ”。
今となってはフィル・コリンズが加わってからのポップロックとしての印象が強いバンドであるが、もとは1966年にピーター・ガブリエルを中心に結成されたバンドで、当時はクリムゾンやイエス、ピンク・フロイドに並んでプログレ・ロックとして人気を集めていた。この頃のGenesisのサウンドの要はピータ・ガブリエルによるところが多く、彼のビジュアル的なイメージや文学的な詩作が大きな特徴となっていた。彼のいかにも英国人的なニヒリスティックなユーモアやどこか陰のある文学性に富んだ歌詞は、同時代のピンク・フロイドにおけるロジャー・ウォータースなどの詩の世界と比べても勝るとも劣らないほどクオリティの高いものであったといえる。
また、ピータ・ガブリエルは正当な2枚目スターでありながら、気ぐるみをきたりとビジュアル上コミカルなキャラを演じて見せたり、視覚に訴えるステージを行い、詩作や曲作りからステージパフォーマンスまで一環した独自の美学を貫いた。
結局、ピーター・ガブリエルはGenesisから脱退しソロ活動を歩み、Genesisはフィル・コリンズという新しいスターを迎え入れることになる。フィルの加入によってサウンドは一気にポップな方向性へと傾斜し、結果ヒットも増えたが、このバンドの根底にあるピーター・ガブリエルの作り上げたシニカルなサウンドは常にGenesisのサウンドの根底に存在していた。
このアルバムは、そのピーター・ガブリエル在籍時最後のアルバムにして最高傑作とも言える作品。2枚組というボリュームで、彼のシアトニカルなサウンドとその後に繋がっていくポップなサウンドのGenesisの持つ2面性が堪能できる内容となっている。全体的にコンセプチュアルなアルバムで、1973年のNY旅行から発想を得て作ったと言われるストーリーで、レエルというストリートキッドが、幸か不幸か、大都市の洗礼を受けて、奇妙で神秘的な変化を遂げていくというものである。シュールリアリスティックなロック・オペラ的なストーリーは難解なものであったが、ポップソングとしての大衆性もありこのアルバムから多数のヒット曲が生まれている。このアルバムからロックは終わったとされる80年代に向かって、Genesisはポップな方向へと転換していくことになる。そうした彼らのサウンドの変革は、ロックが衰退していく時代の中で、決して時代の波にのまれず、自分たちの音楽に対するアイデンティティを確立して生き残ることに成功した稀有な存在でもある。
Shirley Horn大物ジャズ・シンガーであるシャーリー・ホーンが、今月20日に71歳で亡くなった。
日本ではほとんど一般的には知られていないジャズシンガーではあるが、アメリカ本国では国民的なジャズシンガーと呼べるほど支持されているらしい。彼女は1934生まれ、で、1954年頃から地元のワシントンDCで活動。マイルス・デイヴィスの勧めで、63年にニューヨークへ進出し、マーキュリーレコードと契約し何枚かアルバムを残すが、70年代に一時期引退。78年に復帰し現在まで活動を続け2001年のアルバム“You're My Thrill”はグラミー賞にノミネートされた。
このアルバムはそんな彼女の1991年のアルバム。ゲストにウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、バック・ヒル、バスター・ウイリアムス、ビリー・ハート、トゥーツ・シールマン、そしてマイルス・デイビスが参加している。ウイントンとマイルスがゲストというだけでもとんでもないアルバムだが、上記のゲストがそれぞれが1曲づつ参加するというスタイルで、曲ごとにシャーリー・ホーンとゲストとの密度の濃い演奏が収録されている。
この中でも特筆すべきはマイルス参加の“You Won't Forget Me”である。この曲がそのままアルバムタイトルになっていることからも、このアルバムのハイライトであることは安易に想像できる。彼女のボーカルとマイルスのトランペットにベースとドラムという必要最小限のシンプルな構成の曲で、録音は1990年なので、マイルスにとっては死の1年前の演奏ということになる。イントロのマイルスの一吹きから完全にマイルスの世界で、八分打ちのドラムが“In A Silent Way”を思い起こさせる。(これは狙ってやってる気もする。) そして彼女の歌も決してマイルスに負けてはいない。マイルスの世界に浸りながもマイルスに負けない繊細で芯のあるボーカルを聴かせる。マイルスは例によって決して吹きすぎず、ソロの音数も極めて少ない。この演奏と比べてしまうと同アルバム収録のウイントンのテイクが稚拙に聴こえてしまう。その他にもトゥーツ・シールマン参加のSolitary Moonなど聴きどころは多い。
これだけのゲストを揃えておきながら決して散漫な内容にならず、ゲストの演奏に負けない緊張感ある歌声と、自分のスタイルを貫く彼女の歌に対する真摯な姿勢は非常に印象的である。このアルバムは、そういった彼女のバラード歌手としての実力を思い知らせてくれる充実した作品といえる。そしてマイルスがジャズ・シンガーとコラボレートしたものは、50年代のサラ・ボーンとの共演くらいで非常に数は少なく、そういった意味でも貴重な音源でもある。
なお、その後シャーリー・ホーンは1998年にマイルスを追悼した“I Remember Miles”というアルバムもリリースしている。ご冥福をお祈りしたい。