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NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Neil Youngニール・ヤングの1970年で彼の代表作。
Crosby Stills Nash & Youngとしての活動で知られた存在であったが、当時の日本ではニール・ヤングの人気はそれほど芳しいものではなかった。もともとCSN&Yはスーパースターたちの集まったスーパーグループであって、ここの個性溢れる才能のぶつかり合いによって成立していたバンドである。ニール・ヤングも自らのクレイジー・ホースというバンドを結成し、ソロ作を発表していたがニール・ヤングがソロとして名を上げたのはこの"After The Gold Rush"の成功後になる。
ニール・ヤングのサウンドは感情を吐き出すような歌唱とストレートでシンプルな演奏が特徴で、無骨だが飾らない魅力が独特の個性的なサウンドを作り出している。シンプルなジャケットにはじまり、サウンドもスタジオで収録しただけのもでほとんどアレンジらしいものは施されていない。ニール・ヤング本人のプロデュースで、バックはクレイジーホースというミニマムな構成に、ゲストとしてスティーブン・スティルス、ニルス・ロフグレンが参加している。ウェストコーストで活動するミュージシャンであるが、もともとカナダ出身ということもあり彼のサウンドには他のウェストコーストのバンドのように明るく能天気な要素は少なくどこか陰鬱のあるサウンドである。そして間奏のギターソロも、彼の歌同様余計なフレーズを一切挟まずジンプルでゴリゴリ押し通すだけのものである。
このアルバムはそういった彼の素の魅力と、音楽に対するストレートな気持ちと方法論が最も充実して表れた作品である。このアルバムの中から"Southern Man"という当時の彼の代名詞ともいうべき名曲も生まれている。もともと音楽はレコードのためではなく、、生で聴かせるライブから生まれた。レコードはもともとそのライブの雰囲気を伝えるための手段にしかなかったが、徐々にレコードでしか表現できないものを表現するために様々な付加価値とそれに対する方法論が加わっていった。ニール・ヤングの音楽にはそういったレコードとしての本来の魅力を再確認させてくれる。彼はアーティストとして歌を作ろうとするときの根源的な衝動を、ほとんど手を加えずそのままアルバムという媒体として伝えてくれる。そんな彼のダイナミックなサウンドは多くのファンからの絶大な信頼を獲得し、多くのひとを惹き付けずにはいられない魅力的なものである。
Filippa GiordanoFilippa Giordanoの3枚目のアルバム。既に200枚以上のアルバムについて書いてきたが、一応これが本Blogで取り上げる初のクラシック作品。(正式にクラシックと呼べるかはわかりませんが、クラシックコーナーにおいてあります。)
千年に一度の歌姫というキャッチコピーで、鮮烈なデビューを飾ったフィリッパ・ジョルダーノの最新作で、レコード会社をあのavexの新規クラシックレーベル"avex casa"に移籍しての第1弾アルバムである。彼女はデビュー時からオペラやクラシックの有名曲を5オクターブの美声で歌い上げ、自らの声をポップ・ソプラノと称した歌唱力であのエンニオ・モリコーネも絶賛したという実力派である。
フィリッパ・ジョルダーノはイタリアのシチリア島のパレルモ生まれ。システィーナ礼拝堂聖歌隊のバリトン歌手である父、メゾ・ソプラノ歌手で声楽教師の母、チェリストで指揮者の兄という絵に描いたような音楽一家の中で育つ。祖父も、シチリア島の"カントーレ"と呼ばれる吟遊詩人の最後の世代の一人でありイタリアの伝統音楽である正統なカンツォーネの流れを汲むアーティストである。1999年10月にヴァチカンのサン・ピエトロ広場で行われたミレニアム前夜祭で、前ローマ法王 ヨハネ・パウロ二世と15万人の前で熱唱したシューベルトの"アヴェ・マリア"が、世界中で話題となり、セレブリティを中心にその名声と人気はイタリア音楽、クラシック音楽というジャンルを超越し大衆的な人気をも獲得した。
今回のアルバムは、ローマとロサンゼルスで録音され、はじめて曲作りからアレンジ、プロデュースまで手がけ、クラシック以外のオリジナル曲も充実している。お馴染みのオペラの名曲からはシューベルト、プッチーニ、ロッシーニたちの曲をセレクトし、その他にも2006年のワールドカップの"Vincerai Per Me(凱旋行進曲)"などクラシックというカテゴリーに収まりきれない幅広い音楽性を披露している。そして後半部分のオリジナル曲も、前半のロマン派の巨匠たちの名曲に負けないくらい質の高い楽曲で、クラシックとオリジナルの境界線は良い意味で極めて曖昧である。クラシックなスタイルの中にイタリア音楽の伝統やポップな新しい感性を含む彼女の音楽と、そのキュートでコケティッシュな声は今のところ唯一無二のものである。
そういった彼女の音楽に潜むポピュラリティーに目をつけたのがavexである。ご存知、大量消費的なユーロビートを得意とする日本のユーロビートの草分け的なレーベルである。抱えているアーティストはお世辞にも優秀なアーティストばかりとは言えないが、最近のOZONEのヒット曲の発掘など、こういう新しいものへの着眼力は優れている。フィリッパ・ジョルダーノの曲はポップ・ソプラノと呼ばれているが、音楽形態的には完全に古典的な弦楽を中心としたもので、当然そこにはエレクトロビートなど存在しない。90年代に大きな盛り上がりをみせた日本のユーロビートの流行も下降し、新たなマーケットを獲得しようとするavexのビジネス戦略に利用されているとも言える。
avexというレーベルの中で、音楽的品質向上と商業主義的な成功の両方を手にするのか、それともavexの得意とする陳腐で軽薄なポップミュージックに堕落してしまうのか、これから自分のサウンドをどう展開させていくかの本当の実力の見せどころである。そして彼女のこれからの活動次第は、クラシックと大衆音楽という相反する価値観に一石を投じることにも成りえるだろう。純粋なオペラファンやクラシックファンには物足りない内容かもしれないが、クラシックに馴染みのない音楽ファンにも受け入れやすい内容で、カテゴライズされない音楽性や楽曲の素晴らしさなど総合的なクオリティは高い。
DJ ShadowDJ Shadowの2002年のアルバム。
今やDJたちのバイブルにもなったデビューアルバム"Endtroducing"の6年後にリリースされたセカンドアルバム。
DJ Shadowことジョシュ・デイヴィスは高校時代よりヒップホップDJたちのターンテーブル/ミキサー・セット・アップに興味を持ち、4トラックでブレイクビーツを作リ始め、大学時代には自身のレーベル"Solesides"を設立し、オリジナル・トラックを発表するに至る。その後、91年ミックス・テープ"Reconstructed from the Ground up"をリリース、93年17分尺の"Entropy"をプレス、アンダーグラウンド・ヒップホップDJ界でその名声と実力は知れ渡るようになり、Mo'Waxのジェームズ・ラヴェルの目にとまり、96年に"Endtroducing"で衝撃的なデビューを果たす。その想像力溢れたサウンドはヒップホップを越えてポップシーン全体にも大きな影響を与え、ジェームズ・ラヴェルとのプロジェクトの他、UNKLEへの参加やJurassic 5のCut Chemistとのコラボレーションなど活動の範囲を広げていく。本作はそういった経験を経てリリースされたアルバムである。
前作とまったく異なるアプローチではあるが、ビートの魔術師は健在で、そのサンプリングの質の高さは前作にもひけをとらない内容で、ただ轟音でダンスビートをサンプリングするだけではなく、そこには精神性の高さと貪欲な音楽な姿勢が表れている。
サウンド自体は80年代から使い古されてきたブレイクビーツをベースとしたもはや古典的ともいえるものであるが、彼の想像力の豊かな感性で合成されるそのサウンドは、生の演奏をも超越した意思を感じさせる。デビューアルバムほどの鮮烈なインパクトこそかけるものの、タイトル通りプライベートな音楽性を露出させたそのダンスビーは、そこに含まれる音楽の造詣と知識がストレートに反映され、そのサウンドの総合的な破壊力はデビューアルバム以上に増長している。
1996年にデビューし、本作がリリースされた2002年から既に3年が経過しているが彼ほどターンテーブルを自らの声として自在に操り、個性的なサウンドでシーンを躍らせる力を持ったアーティストは現れていない。
EW&F1977年のEarth Wind & Fire(EW&F)のアルバムで、邦題は"太陽神"。
日本でも発売当時このアルバムに収録の"Fantasy(宇宙のファンタジー)"が大ヒットし、ディスコブームの一翼を担ったアルバムである。当時日本では空前の大ディスコブームの真っ最中で、そこでかかるダンスミュージックはブラックミュージックでもキラキラと派手でポップな音楽が主流だった。このEW&Fの大げさで仰々しい宇宙的なコンセプトとファンクビートはまさにこのブームにピッタリと合致し、このアルバムはEW&Fの数多いアルバムの中でも異例のヒットを記録した。
実際アルバムを通して聴くと、そういったノリノリのダンスチューンは意外と少なく、モーリスの不朽のラブソング"Be Ever Wonderful"やフィリップ・ベイリーのバラード"I'll Write A Song For You"など聴き応えのあるスローな曲も多い。実際にアメリカなどでは"Fantasy"などはそれほど評価をされていないらしい。またこの前作の"Spitits"製作時にモーリスのよき相棒でありEW&Fのプロデュースも手がけていたチャールズ・ステップニーが亡くなり、モーリスはその傷を癒すためにこのアルバム製作前にブラジルに旅行に出かけ、その旅行を契機にブラジル音楽のエッセンスをEW&Fのフレイバーに加え、新たなサウンドも模索している。
EW&Fをはじめこの時代のファンクバンドにとって宇宙というのは重要なキーワードで、多くのバンドが自らのサウンドのスケールを表現するため宇宙的、神秘的なテーマを内包させようとしている。これには60年代後半から70年代初旬にかけて盛り上がったブラックパワーとそれに付随して台頭したニューソウルのクオリティーが頂点を極めて「Black is beautiful」というプロテスト的な潮流がひと段落し、新たな方向へと進むという歴史的な経緯によるものでもある。同じ宇宙でも、ジョージ・クリントン率いるP-Funkの連中が、B級アメコミ風の宇宙戦争をテーマに独自の感性でとことん下品にユニークで壮大なストーリーを展開させたのと対照的に、このEW&Fはピラミッドの神秘的なパワーをテーマに大真面目に宇宙の神秘に向き合うようになる。ある意味、新興宗教のようでもあり、そのピラミッドを引用したステージでのパフォーマンスは真面目にやればやるほどかえって滑稽なものでもあったが、EW&Fというバンドの方向性とシーンへのイメージを決定づけるには十分なものであったといえる。またこの時期のジャケットは長岡秀星氏によるもので、EW&Fの神秘的なイメージをシンボライズさせ、増長させた。P-Funk,EW&Fともに手法は異なるが、いずれにしろ黒人コミュニティーに祝祭的な雰囲気をシニカルに盛り込むことで娯楽としてのパフォーマンスを強化させたという点では一致している。
もともとJazzからスタートし、その後混沌とした純粋なFunkミュージックを演奏してきたEW&Fではあるが、このアルバムでハネない16ビートにブラスとコーラスを強化させた自らのサウンドを確立した。このアルバムの次作からは、David Fosterを招き80年代に向けて大きなイメージチェンジを図り、音楽性は高くなっていくが結果的にこれを超えるアルバムを作ることは出来なかった。本作とその前の"Spirit"がEW&Fの頂点であり、最高傑作である。
Paul Mccartney今やSirの称号まで手に入れたロック界最大の大物アーティストであるポール・マッカートニーの1974年のアルバム。
Paul McCartney & Wings名義になってはいるが、実際はポールと近年亡くなった当時の愛妻リンダ、デニー・レインの3人で製作されたアルバムである。元クリームのジンジャー・ベイカーの勧めで、アフリカのナイジェリアのラゴスでのレコーディングされたものであるが、直前に音楽的に素人であるリンダのバンド参加を好まなかった他のメンバーが脱退してしまうというアクシデントのあった後であった。
1970年のビートルズの正式解散後、各々がソロ活動を始めるわけだが、ポールはソロ作については一番期待されていながらソロ第1弾の"McCartney"はクオリティも最低でセールス的にも大失敗に終わる。当時はポールはやはりビートルズという環境の中でしかその才能を発揮できないのかと大いに失望され、ソロになって大きく開花したジョージと比べると対照的なソロ活動のスタートをきった。ビートルズの中での彼のイメージであり大きな存在理由は彼のポップなメロディーセンスによるところが大きい。ソロになるともっと自由奔放にその個性が発揮されると誰もが思っていたが、その期待は裏切られた。ビートルズファンたちは彼の才能はジョン・レノンという強烈な個性とぶつかることによって生まれたものであったという解釈をし、ビートルズ時代を懐かしがった。
ソロで2枚リリースした後に、Wingsを結成する。最初のソロ作でこけてしまって以来、シーンの目は冷たく、またアルバムのクオリティ自体も芳しいものではなかったが、もともと努力家であるポールは徐々に自分の勘を取り戻しつつあったのも事実であった。"Red Rose Speedway"というアルバムから"My Love"という甘ったるいヒットシングルも生まれ、次に製作されたこの"Band On The Run"でようやく本領発揮ともいうべく充実した作品をリリースした。
このアルバムは脱獄に失敗した囚人に扮したポールやリンダが、ライトアップされてあせっているジャケットが示すとおり、ポールのビートルズ時代の冴えたポップ感溢れた雰囲気で満たされており、組曲的な構成を持ち1曲1曲シングルカットできるほど完成度の高い曲を揃えている。これまでの散漫なアルバムとはうってかわったまとまりのある内容で、ポールマッカートニー復活と、シーンに大いにアピールした。地道なソロ活動の成果の結実の背景の裏には、苦戦を強いられたソロ活動のスタートと、バンドメンバーの脱退というこれ以上後はないというところまで追い込まれた状況からの見事な逆転でもあった。その後のポールの快進撃は周知のとおりで、今も新世代のミュージシャンの育成にも力をいれながら新譜を発表するなどいまだに現役のロックミュージシャンである。今でこそあのポールにもどん底のスランプの時期があったという事実は忘れ去られているが、この頃の経験が現在でも彼のモチベーションの一部になっているのかもしれない。
なお、このポールがソロとして成功の第一歩を手にした1974年はジョン・レノンは"WALLS AND BRIGES"、ジョージ・ハリスンは"DARK HORSE"、リンゴは大ヒットしたソロ第1弾に続き"GOODNIGHT VIENNA"をリリースと、それぞれがソロ活動の幅を広げていき、個性的なサウンドと独自の活動を確立した頃であった。
Cyndi Lauper数日前にリリースされたばかりのシンディ・ローパーの新作。
新作と入っても、彼女を世界的なスターにのし上げさせた初期のヒット曲を自ら歌い直したセルフカバー集。ただ歌いなおすのではなく、幅広い人脈を生かした豪華なゲストとともに歌っている。ゲストはサラ・マクラクレン、シャギー、ヴィヴィアン・グリーン、ジェフ・ベックと多岐に渡り、日本からもパフィーのふたりが"Girls Just Want To Have Fun"で参加している。
シンディーローパーのデビュー当時はMTV全盛期で、ヴィジュアル的にもサウンド的にもエキセントリックでキワモノ的なイメージでデビューしている。デビュー曲の"Girls Just Want To Have Fun"から彼女のそうした個性はわかりやすい形で提示されていて、当時は個性的過ぎる故に一過性のアーティストのようにも感じさえた。彼女のそうした派手なイメージはアメリカ的ではあるが、同時に彼女のスタイリスティックなイメージはヨーロッパでも評判を集めており、同世代のマドンナなどと比べるとセキュシュアリティこそ劣るものの、アーティストとしての完成度や作品のクオリティは勝るとも劣らないものがある。
彼女の歌はシンプルな内容のものが多く、アーティスティックなイメージの割には自分自身の自然体を素直に表現しているのが面白いところで、セックスアピールや女性であることを武器にしてきたのではなく、あくまでシンディ・ローパーという個性と存在感のみで成長してきた。女性アーティストの場合、女の視点や女からみた男との関係、社会との関係を作品の題材にするアーティストが多いが、シンディ・ローパーはもっと自然体で、日常的にありふれた女性の価値観を歌にしている。そうした普遍性のある価値観が彼女の音楽自体を普遍的なポップスとして存在している理由かもしれない。
彼女はアバンギャルドでキワモノ的なイメージからスタートし、ナイルロジャースのプロデュースで大成功した"True Colors"をはじめ、作品をつくるごとにそのクオリティを上げて今や本格的なアーティストに成長した。彼女の自然体で作られる音楽は今やポップスのスタンダードとも呼べるナンバーも多く、今でも絶大な支持を集めている。このアルバムは彼女の初期の代表曲が中心であり、基本的にやや声の衰えを感じさせなくもないが、彼女のボーカルスタイルにはそれほど劇的な変化はみられない。そして、ここに収められた名曲の数々はもう20年近く前の曲であるにも関わらず、古さを一切感じさせず、初期のエキセントリックな感性を残しつつも、ある種の癒しのような感覚すら抱かせる。彼女の成長と変わらない魅力を再認識させてくれるアルバムである。
Jean-Luc GODARD昨日、Our Music of GODARDというゴダールの音楽について語り実際に演奏するというイベントに行ってきた。
菊地成孔氏監修による、普段あまり語られないゴダールの魅力のひとつである音楽について語り、これまた実際に演奏されることが滅多にないであろう過去の作品に使用された音源を実際に演奏しようという企画。このイベントのサマリーでもあるが、ゴダールはメジャーな音楽家を起用しても、一切そこにポピュラリティーを残さなず、視聴者に音楽的な印象を残さないという点で極めて独特で稀有な存在。実際にミッシェル・ルグランを起用したミュージカル"女は女である"と同時期の同じくルグランを起用したジャック・ドゥミの"シェルブールの雨傘""ロシュフォールの恋人たち"を比べても、その音楽に対するアプローチというか音楽の扱いに対する差は歴然としている。
今まで何本もの映画を発表し、作品への理解云々は別にしてもヌーヴェルバーグを代表する映画監督であるゴダールの名前を知らない人はいないだろう。だが以上の理由から、ゴダールのサウンドトラックというものは存在しない。(過去にはあったのかもしれないが、現在は全く発売はされていない。) 唯一存在するのは、以前このBlogでも紹介した"ヌーヴェル・ヴァーグ"だけであるが、これはサントラというよりミュージックコンクレートというべきアルバムなので、意味合いは異なる。
この作品はそんな極めて入手しにくい、ゴダール映画の音源を集めたコンピレーションアルバムである。フランス語タイトルであるが、"ジャン=リュック・ゴダール作品集"という邦題も併記されている。"90年代のフレンチブームの折にリリースされた日本企画のアルバムで、内容は90年代のフランス=カフェ=おしゃれという軽薄な定義に基づきゴダール映画の歴史の中でもファッションが大きな魅力を占めていた60年代の映画から選曲されている。作品は"勝手にしやがれ"(音楽:マルシャル・ソワール)、"気狂いピエロ(音楽:アントワーヌ:デュアメル)"、"アルファヴィル(音楽:ポール・ミスラキ)"、"軽蔑(ジョルジュ・ドルリュー)"といヌーヴェルヴァーグ期の4作からコンピレートされている。権利関係の都合であると思うが、ミッシェルルグランの"女は女である"と"はなればなれに"の音源が入っていないのは残念なところ。この4本は映画自体は何度も見ているが、こうして音源だけまとめて聴くと、やはり映画のイメージとはなにも重ならないという事実に気がつく。今日のイベントの論点でもあったが、ゴダールの音楽に対するそうした扱い方は、意図的なものなのか、無頓着からくる結果論に過ぎないのかは分からない。少なくともそれは、お家芸とも呼べる映像の大胆なブツ切り編集と同じくゴダールらしい特徴と呼べる。このアルバムのハイライトは、数あるゴダール映画の中でも最もポップなシーンである、"気狂いピエロ"の中でアンナ・カリーナが披露するシャンソン"私の運命線"。長い間ゴダールマニアの中ではサントラリリースを強く望まれていた曲である。この曲はカリーナ自身にとっても思い入れの強い曲らしく、今年リリースされた最新アルバム"Chansons De Films"でもセルフカバーされている。因みにこの曲はシラス・パシアックという作家によるもので、彼が映画のために書いた曲のはこの曲とトリュフォーの"突然炎のごとく"でジャンヌ・モローが披露する"つむじ風"の2曲だけである。アントワーヌ・デュアメルの書いた重くモノクロームなスコアの中で、なんの伏線もなく突然現れるこの曲は実はこの映画の中で一番感動的なシーンかもしれない。
なお、このアルバムにはピチカートの小西氏のゴダールに対する愛情に溢れた解説文が付随している。短い文章であるが彼の嬉しくてしょうがないといったはしゃぎぶりが伝わってくる解説である。
Curtis MayfieldCurtis Mayfieldの1975年のアルバム。
サウンド的にはこれまでの、ワウを効かせたギターのカッティングをベースにしたパーカッシブなバックトラックにカーティスの甘いファルセットボイスがのるというスタイルはそのままだが、歌詞の内容はより深みを持って来ている。ここでカーティスが歌っているのはストリートギャングの悲しい末路や、不況に苦しむ人々の生活など当時のアメリカの裏社会の現実である。その詞の辛辣な内容のせいか、基本的なサウンドスタイルこそ変わらないが、"SuperFly"や"Curtis"などと比べるとストリングスやホーンの使用を最低限にとどめ、ポップ性にかけるほど地味なものとなっている。不況、失業、貧困、差別などハーレムの路地裏にはびこる問題をテーマに、その貧しい生活の中に愛を絡めながらどこか醒めた視点でシビアに歌いあげるカーティスのボーカルを引き立たせるためのサウンドは極めて音数を抑えた"間"を重んじたわびさびの世界にも通じる精神性の高さを感じさせる。
本作は70年代に入り、公民権運動は行き詰まり、ブラックパワーの台頭と抑圧、泥沼化していくベトナム戦争といったアメリカの一般市民を取り巻く不安定な状況を自らのソウルに託してきたカーティスのサウンドの完成形でもある。サウンド的な華やかさとは無縁のアルバムゆえに、セールス的には振るわなかったアルバムであるがその地味なサウンドの中の唯一のラブソング"So In Love"はヒットし、このアルバムに花を添えるとともに全体の構成にアクセントを付けている。
その後のカーティスのサウンドは社会的なメッセージは薄れ、徐々ラブソングを中心としたものに変わっていく。このアルバムの"So In Love"はそうしたカーティスの方向転換の前兆だったのかもしれない。80年になると活動は一気にトーンダウンし、90年にリハーサル中の照明落下による事故で半身不随になってしまう。そんな状況の中、何度も復帰の噂が現れたは消えていくが、1999年12月ついに死去した。
カーティスの代表作というとつい最近DVD化した"Super Fly"が候補に上がることが多い。確かにセールス的にも成功したし、サントラとは思えないほど完成度の高いアルバムであるが、これだけの人々と社会に対する愛を歌ってきた人徳者カーティスの代表作がジャンキー映画のサントラというのはあまりに悲しい。カーティスサウンドに内包する社会的なメッセージ、その裏にある溢れんばかりの愛情が余すところなく表現されたという点で、個人的には本作こそがカーティスのベストアルバムだと思う。ポップ性とは無縁のサウンドであるが、このアルバムに漂う緊張感、絶望感、辛辣感、そしてそれらを覆いつくすかのようなカーティスの歌の限りなく優しい響きはまさに稀代の名作と呼べる内容である。
Bootsy CollinsBootsy Collinsの1980年のアルバム。
Bootsyの5枚目のソロアルバムにあたり、前4作がBootsy's Rubber Band名義だったのに対し、このアルバムから個人名義に変わっている。サウンドの方向性はパワーアップはしているものの、基本的には以前のバンド名義のものと変わらないBootys流のファンクである。BootysがJBのバンドを去りP-Funkに合流したのが1972年のFunkadelicの"America Eats It's Young"からで、合流してからはベースの手腕もさることながら、作曲、プロデュースにまで携わりクリントンのパートナーとして活躍するようになる。その後、BootsyはRubber Bandとしての活動をメインに行い、本家のP-Funkとはつかず離れずの関係になる。このアルバムのリリースされた80年はPerliamentとFunkadelicというP-Funkの双璧をなす二つのバンドが失速した時期でもあり、クリントンは権利関係のトラブルから裁判所通いを強いられ、本家の活動は中断してしまう。そんな状況の中、Rubber Bandは地道にソロ活動を続け、このアルバムでもそのサウンドは絶好調で、その音楽的完成度は頂点に達したといえる。
スラング用語とヒップでクールなリズムの交錯したその豪快なサウンドは、もはや他の黒人アーティストには太刀打ちできないほど強靭なパワーを感じさせる。この粘着性のあるイヤらしさと徹底的な下品さ、アルバムの随所に散りばめられたユーモラスなサービス精神こそがP-Funkの醍醐味である。このアルバムはクリントンとブーツィーの共同プロデュースで、二人の共同作業が最も充実していた頃の作品ということになる。
その後、ブーツィーはクリントンの失速とは別にビル・ラズウェルとの関係を深めていく。彼のプロデュースや企画のもと80年代のダンスビートに傾斜していくのであるが、それは同時に、P-Funkの持つオリジナリティやクリエイティブな感覚とを鈍化させ、クオリティはどん底まで落ちてしまった。ラズウェルと組んだことの背景には、クリントンと違って金銭面での管理が行き届いているという事実もあったようだが、結果としてクリントン同様にBootsyのサウンドに対する冴えた感覚も次第に衰えていき、その復活にはHip Hop世代が台頭する90年台まで待たなければならなかった。そしてその反省からBootsyをはじめとするP-Funkのメンバーにはクリントンの存在がなくてはならないことにも気付いたのである。金銭管理は今でもP-Funk一派の大きな課題のようだが、ファンクの魂まで換金することはできない。
よく言われる話であるが、ブーツィーのベースはチューニングの音にもグルーブがある。このアルバムはそんなグルーブの塊であるブーツィー弾き出す一音一音が、クリントンという唯一無二のパートナーによって構築された完成度の高いアルバムであり、P-Funkとはこうあるべきだという指針にもなりえるアルバムである。
Donny HathawayDonny Hathawayの1972年の名ライブ盤。
Donny Hathawayは1970年にアトランティックからレコードデビュー、翌年のロバータ・フラックとのデュエット"You've Got A Friend "がヒットし彼の存在は広く知られるようになる。このライブは前半4曲がロサンゼルス、後半4曲がニューヨークと2箇所でのライブを録音したものである。当初、71年8月28日29日にロスののトラバドールで2回に渡って行われたライブから編集する予定が、これだけでは満足せず、前半の4曲をチョイスし、同じ年の10月27日から29日にNYのビター・エンドで行った7回のステージの模様を録音し後半4曲を収録している。
前半のLAでのライヴではオリジナルと並ぶ完成度を誇るMarvin Gayeの"What's Goin' On"、そこからなだれ込むダニーのエレピのアドリブが素晴らしい"The Ghetto"が圧巻。そしてキャロル・キングの"You've Got A Friend"でのダニーに合わせて歌う観客の大合唱は暗いライブステージでありながら、教会のゴスペルのステージのように後光が差している。バックバンドの演奏では特にジャズとソウルの両方に精通したフィル・アップチャーチの職人的で見事なギターがダニーのゴスペルフィーリングに合致し、全体の演奏をまとめている。後半のNYでのライヴでは前半の"You've Got A Friend"に呼応する"We're Still Friends"で盛り上げ、ジョンレノンの切ない名曲"Jealous Guy"のカバーも絶品、ラストのオリジナル曲"Everything Is Everything"で占めくくる。後半のギタリストはコーネル・デュプリーで、随所に彼らしいブルージーなギターを聴くことができる。
2つのライブを繋ぎ合わせたライブであるが、構成上ひとつのライブとしてまとまっており、演奏者の技術の高さもさることながら、演奏者と観客が一体となったその場の熱いヴァイブと濃密な空気がレコードを通じて迫ってくる。ダニーの音楽に対する真摯な姿勢と観客に対する優しい愛情が痛いほど伝わってくる。このライブ盤を初めて聴いてから10年以上が経過するが、今でも聴くたびに鳥肌が立つくらいの感動に襲われる。
その後ダニーは、スタジオアルバム"愛と平和を求めて"をリリースし、彼のサウンドはこのアルバムで完成する。ニューソウルと呼ばれた新しいソウルミュージックの流れの中で、黒人としての自らのアイデンティティを問いかけると同時に、幼少の頃に学んだクラシックという非黒人的な音楽をソウルやゴスペルといった自身のルーツに取り込みながら新しいブラックミュージックの発展に大きく貢献した。そして彼自身はこのアルバムを最後に精神を病み、1979年ホテルから投身自殺することにより自らの命を絶ってしまった。振り返ってみると彼の実質的な活動期間はわずか3年ほどである。その期間に4枚のアルバムを残し、ロバータフラックとの活動や他のアーティストのプロデュースなど充実した仕事を残した。彼のこの短い充実した活動は公民権運動以後、ブラックパワーの盛り上がる70年代前半というブラックミュージックにとって最も重要な数年間と重なり、同時期のアーティストをはじめその後のアーティストに大きな影響を与えた。このアルバムは彼の残した代表作であり、70年代ソウルの貴重な遺産である。そして33歳という若さで死んだ才気溢れるミュージシャンの記録としてはあまりに素晴らしく、それ故に悲しい記録でもある。
このライブに関しては去年2004年に未発表テイクを収録した"These Songs For You Live"というアルバムがリリースされたのは記憶に新しい。