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NOTRE MUSIQUE

Elle est retrouvee.
Quoi? - L'Eternitee.
C'est la mer alleee
Avec le soleil.

Louis Armstrongルイ・アームストロングの歴史的名作。
今さら何の説明も必要ないほど有名なアルバムで、控えめに表現してもここに収められた曲を一度も聴いたことがないという人はおそらく皆無だろう。
ルイ・アームストリング、通称サッチモは1900年に生まれ、まさに20世紀の音楽史を築き上げた巨人のひとりである。貧しい一家に生まれた彼にとって唯一の楽しみが音楽であり、コルネットであった。そして彼は黒人ジャズの黎明期であった1910年代に黒人ジャズメンたちの憧れであったキング・オリヴァーのバンドに加入し、そのキャリアをスタートさせることになる。キング・オリヴァーのもとで修行を積んだサッチモはシカゴに戻り自身のバンド"Hot Five"をスタートさせる。そこでトランペットに持ち変えているが、彼の音楽への意欲と愛情は留まるところを知らず、ジャズというフォーマットの中で、自ら歌いそして自らMCをとるという独自のスタイルを確立させたのである。
このアルバムはそんなサッチモの代表作として語られてはいるが、実はカバーアルバムである。タイトル曲の"What A Wonderful World"をはじめ彼が生涯をかけて愛しぬいたスタンダードが収められている。そして収録されているのはこの当時からスタンダードとして知られている曲であったが、このサッチモの録音によってさらにその知名度は上がった。今やこのアルバムを知らない人はいなくても、このアルバムに収められた曲がカバーソングであることを知らない人は多いだろう。
サッチもの歩んできた道のりは、ビバップが生まれるまでの20世紀におけるジャズの歴史と重複する。もともとが輸入奴隷としてしか扱われなかった黒人たちの社会的進出や当時の様々な状況を反映して生まれた音楽こそがジャズであって、彼の音楽活動が充実し、セールス的な成功をも収めていく過程はまさに黒人達の身分意識の高揚の変遷と商業音楽としてのジャズミュージックの発展の軌跡と言える。その次の世代であるマイルスは、サッチモの愛嬌たっぷりのエンターテイメント性を白人への媚びだと彼を卑下したが、トランペット奏者としてのサッチモを愛し続けた。サッチモはステージ上で媚を売っていたのではなく、彼の頭にあったのは音楽を愛し続ける喜びであり、その喜びを大衆に向けて発信できることにこの上ない喜びを感じていたに過ぎないのだろう。
サッチモは"真夏の夜のジャズ"という映画のトリを飾っている。この映画に収録されたNewport Jazz Festivalには後年ロッカーたちの神となったチャックベリーも出演するが、まだロックやジャズという音楽のカテゴライズが希薄だった時代で、観客たちはチャックベリーのダックウォークもサッチものトークサービスも同じ次元で楽しんでいる。サッチモが生きたこの時代は、音楽を余計な理屈や音楽体系など気にせずに最も自然体で楽しめた古き良き時代であり、サッチモたちミュージシャンも余計なことを考えず、自分のため、観客のためにストレートに音楽を楽しめた時代であった。彼の音楽の大部分を占めるのはそういうピュアでプリミティブな音楽に対する歓喜である。
Joni Mitchellジョニ・ミッチェルの1974年のアルバムで邦題は"逃避行"。
ジョニ・ミッチェルはカナダ生まれのシンガーソングラーター。60年代フォークブームの真っ最中の1968年に登場し、ジュディ・コリンズが取り上げヒットした"青春の光と影"や"woodstock"などのヒットで一躍有名人になる。そして徐々にロックに傾斜したりJazzを取り込んだりと音楽性の幅を広げ、歌唱やギター奏法だけではなく、楽曲そのものも他の当時主流だったサウンドとは一線を画する独自のサウンドを作り上げた。
このアルバムをはじめ彼女の曲の大半は恋愛をテーマにしたもので、ここでもアルバムタイトル曲の"Coyote"では自分の好きな男性のことがユーモラスに表現されていたり、"Blue Motel"では安手のモーテルに一人残された女の惨めな感情が歌われていたりと、主に女性の視点から見た恋愛観が歌われている。そして彼女の書く歌詞はドロドロした恋愛や女の視点から見た私的な感情を込めたものが多いが、それは決して傷ついた少女のようなネガティブで弱々しいだけのものではなく、様々な経験を通過した果てに到達する女としての円熟した強固な価値観が表れているものが多い。彼女のサウンドはそういった歌詞とは反対にクールに自分自身を突き放して客観視したかのような完成度の高いものであり、その相反性が彼女の音楽の魅力となっていると言える。
サウンド的には本人による変則チューニングのギターとヴォーカル、超絶的技巧のベーシストであるジャコ・パストリアスの表現豊かで味わい深いベースが中心となった音数の決して多くないシンプルなものである。そしてその空間を生かしたミニマムな演奏は聞き手の創造力を刺激する。ジャコのベースを始め、シンプルながら非常に凝ったアレンジがなされてはいるが、だからといって決して冷たいメカニカルな感触は存在せず、暖かい雰囲気が充満している。モノクロームのジャケット写真にも象徴されているとおり、全体を通して透明感のあるサウンドに仕上がっていて、アルバムの統一感、完成度は非常に高い。
Rascalsヤング・ラスカルズの1967年の名作。
このヤング・ラスカルズは60年代の中旬に登場した"ルーアイドソウル"という黒人音楽への情景を具現化した白人による新しい音楽スタイルの代表的なバンドで、後に"ラスカルズ"に改名している。ロックンロール自体がもともと黒人のブルースやリズムアンドブルースといった音楽から派生した音楽で、黒人のリアルなソウルフィーリング、ブルースフィーリングを自分たちのスタイルとして表現していくことがロックの持つ大きな目標といえる。そんな中で登場したこの「青い目のソウル」と呼ばれたアーティストたちはロックアーティストの中でも特に黒人のフィーリングを身に着けていると認められたアーティストたちである。
ラスカルズは1964年にニューヨークで結成された4人組みのバンドで、4人中3人がイタリア人というアメリカのバンドながらイタリア系の陽気さを持ったバンドで、その音楽性にもイタリア人としての明るい個性を滲ませている。65年のデビュー後、この3枚目のアルバムに収録のタイトル曲"Groovin"(山下達郎の一人多重コーラスによるカバーでも有名な曲)で大ヒットを飛ばし、その名前は一躍有名になる。ヒットソングであるが、非常にシンプルな演奏であるが、ゆったりとした独特のリラックス感のある曲で、黒人音楽というとリズムのアプローチが重視される傾向にある中で16分のリズムを強調しなくても黒人のフィーリングが表現できることを見事に証明した曲でもある。実際にこの曲は全米ナンバー1を記録しただけではなく、当時ブラックミュージックチャートでもヒットしている。
このアルバムは前述の通りデビュー2年後の3枚目にあたるアルバム。前2作が黒人音楽の影響をストレートに表現したカバー中心のアルバムであったのに対し、このアルバムはスティービーワンダーの"太陽のあたる場所"のカバーを除いてはすべてオリジナル曲で構成されている。ヒットした"Groovin"の他にも"A Girl Like You""How Can I Be Sure"など数曲がヒットし、曲の完成度の高さだけでなくサウンド的にもオーケストレーションを加えるなど、アーティスティックな拘りも出てきたアルバムである。カバーしたスティービーの曲も名曲であるが、このアルバムの中ではオリジナルに囲まれたこのカバー曲が一番古臭く感じる。それほどまでに彼らの音楽はソウルミュージックというスタイルでありながら洗練された音楽であった。
ロックを語る上で黒人音楽の影響は外すことは出来ないし、ロックというもの自体、所詮は黒人音楽へのコンプレックスでしかないというのも事実である。ロックバンドは常に黒人音楽への物真似で終わるか、そこに独自の批評性を加えることでオリジナリティーを確立できるかが問われてきた。このラスカルズはそういった黒人音楽へのコンプレックスやジレンマをさらりと解消し、独自のサウンドを確立させ、黒人音楽に対する一定のスタンスを保ち続けながら成長したバンドであった。このアルバムはそんな彼らのサウンドに対する美意識とアーティスティックな拘り、ポップミュージックとしての大衆性がバランス良くまとめられた作品といえるだろう。今聴くとコンテンポラリーなサウンドとは言えないが、彼らの音楽に込められた瑞々しい情熱とまさに"A Place In The Sun"とも呼べるような暖かい陽射しのようなグルーブ感は、まだ十分に人の心を揺さぶるエネルギーが残されている。
D'angeloディアンジェロの2000年リリースのセカンドアルバムで、今日現在の最新アルバムにあたる。
ディアンジェロのデビューは1995年、デビュー作の"Brown Suger"で当時HipHopの盛り上がりと反比例して衰弱の一途を辿っていたリアルソウルシーンに、新たなネオソウルと呼ばれるスタイルを確立した。ディアンジェロはプリンスから強い影響を受けたと公言しているが、彼の音楽には過去のカーティス・メイフィールド、スティービー・ワンダー、ダニー・ハザウェイといった70年代ニューソウルの影響が色濃く表れている。フェンダーローズとワウのかかった暗いギタ-のトーンに始まり、内省的な歌詞や黒人としての意識高揚を含むメッセージ性など70年代のニューソウル全盛期を彷彿させる内容が多い。
もちろん上記の黒人としての社会的なメッセージや黒人社会のリアルな描写などは、ネオソウルといった新しい音楽に限定されるものではなく、HipHop含めたブラックミュージック全般に存在するものである。特に80年代から90年代初頭にかけてのGang Starら西海岸のラッパーたちの痛烈で批判的なラップスタイルは、かつてのカーティスやマービンたちが歌ったメッセージ性とも共通している。そうしたHipHop一辺倒だったブラックミュージックシーンに、そのメッセージだけでなく表現形態としてのソウルミュージックを復古させようという動きが現れ、それはまさにこのディアンジェロの誕生が契機となった。
サウンド的にはかつてのニューソウルやフリーソウルの流れを汲み、ファンク、ジャズ、ラテン、ロックなどの要素を含みキーボードを主体としたメローな曲調が印象的で、ライブなどではEW&Fのカバーなども自己のスタイルで実に見事に演奏している。泥くさくどこを切ってもソウル臭のしているサウンドに、カーティスばりの甘いファルセットでしっとりと歌い上げ、極上のグルーブを作り上げている。ただし、ディアンジェロの曲にはかつてのニューソウルのアーティストたちが作り上げたようなキャッキーなメロディーが存在しない。マービンやスティービー・ワンダーの作った一連のヒット作はジャンルを超えて様々なアーティストに愛されるほど美しく、一度聴くと忘れられないほどの印象的なメロディーが存在するが、このディアンジェロをはじめネオソウルと呼ばれるアーティストたちの音楽にはそんなメロディーは存在しない。彼らのソウルミュージックにあるのは、メッセージ性と過去のブラックミュージックに敬意を払ったサウンドをルーズでジャジーな要素を加えることにより脱構築させた独特なダークな雰囲気である。メロディアスな旋律こそ存在しないが、そのブラックネスがたち込めた雰囲気だけでソウルミュージックを形成していくという手法こそが、HipHop世代を通りこした新しいソウルミュージックと呼ばれる所以でもある。
このセカンドアルバムではデビュー時のジャジーでダークなソウルミュージックにさらに磨きをかけ、タイトルにもあるようにVoodooの要素を強化させ、ファンクやジャズだけではなくアフロキューバンやラテンといった要素も強め、意識的にアフロミュージックに傾斜させている。彼のサウンドの極めてヘビーでダークな雰囲気は他のネオソウルのアーティストとは一線を画した存在で、70年代ディスコブームに堕落していくソウルミュージックの延長として聴いてしまうと相当に痛い目を見るサウンドと言える。それは一度はまると抜け出すことができなくなり中毒性の高い音楽でもあり、そしてその中毒とも言うべく極黒で官能的なサウンドとアフロポリリズムの饗宴の果てには癒しが待っている。
既に発売から5年が経過するが、未だにこれを超えるソウルサウンドは現れない。最近ディアンジェロについてはあまり話題を聞かなくなってしまったが、これを超える新作を期待したい。
France Gallフランス・ギャルの60年代フィリップス時代の集大成ともいうべき3枚組のCD BOXセット。
リリースされたのは2001年で、最近では日本でも外資系レコード店で見かけるようになったが、リリース当時は相当に入手困難でフランス語の全く分からない私にはamazone franceも敷居が高く、苦労して手に入れた思い出がある。フランス・ギャルは90年代のフレンチポップブームの折に再評価が始まり、赤ジャケットのベスト盤はフリッパーズ以降の渋谷系のバイブルにもなった。その後、何枚ものベストアルバムがリリースされているが、安易で変わりばえしない選曲のものが多い。未発表曲数曲を含むこのBOXセットはフランス・ギャルのアルバムの中でも決定的なベストアルバムである。
フランス・ギャルは1963年、17歳でデビューしている。音楽家であった父ロベールギャルの影響で、幼い頃からエディット・ピアフやシャルル・アズナブールといったシャンソン歌手らと出会い、人前で歌を歌う楽しみを覚える。かの有名な"夢見るシャンソン人形"を彼女のために書き下ろしたセルジュ・ゲンズブールとの出会いもゲンズブールの友人であった父親の紹介だったそうだ。
まだゲンズブールがロリータ調教師と呼ばれる遥か前ではあるが、LSDでラリった歌である"Tiny Winnie Poppy"、実は口淫の歌である"アニーとボンボン"など暗に毒を含ませた歌を次々と提供し、それらのヒット曲が彼女を世界的なスターにしていった。日本でも多くのアーティストがカバーしたり、CM等でも使われる"涙のシャンソン人形"ですら、アイドルである自分自身をなにも出来ない蝋人形に揶揄したものである。(因みにこの曲はフランス自身の日本語によるバージョンすら存在する。) こうしたゲンズブールの悪戯たっぷりに作った曲を、無邪気に意味も分からず元気に歌いこなす姿はアイドルとしての原型であり、そのときだけの旬のものであった。現在はゲンズブールの悪さにも気づきこの時代の楽曲を嫌悪しているそうだ。ゲンズブールの女性史的にもフランスだけは、バーキンやBB、娘のシャルロットたちのような強かな共犯関係には至らなかったようだ。
このCDセットは初期の63年から68年の間の74曲を収録した3枚組CDセットで、通称"Long Box"と呼ばれている。フランス・ギャルというとゲンズブールの提供した一連のヒット曲ばかりが有名であるが、このCDセットを聴くと彼女の魅力はそれだけに留まらず、イエイエと呼ばれた当時のフランスのロックやJazz、シャンソンなど様々なタイプを躍動感溢れる歌声で歌いこなしている。もちろん決して歌唱力がある訳ではなく、今のアイドルのように波形編集も出来ない時代なので音程の外れている箇所もたくさんあるが、そんなものを吹き飛ばしてしまうくらい彼女の歌には魅力がある。そして彼女の曲を陰で支えたアラン・ゴラゲール,ミッシェル・コロンビエ,デヴィッド・ホワイテカーといった当時のフランスの精鋭プロデューザーたちの手腕も冴えまくっている。
フランスは声自体もその後のフレンチロリータに代表されるようなコケティッシュは歌声やウィスパーボイスとも違い、お世辞にも美声とは言い難い独特の変わった声質を持っている。フランスの曲の提供者たちはあえて音程を掴むのが難しい曲を歌わせたり、声を裏返させたりと意識的にその変な声を利用したいる節すら感じられる。彼女の歌にはフランスの女性アーティストに付きもののエロティックな要素も退廃的な要素もシニカルな要素も不要である。
彼女のロリータとしてのフィリップス時代はイエイエのアイドルブームとともに終焉を向かえ、しばらく引退をしていた後に70年代になってミシェル・ベルジェという私生活にも渡るパートナーを得てアイドルではなくアーティストとしてシーンに復活する。その後ベルジュの急死、乳ガンの克服など人生の荒波に揉まれながらも彼女は未だに変わらぬ魅力で歌を歌い続けている。アーティストとしての自我に目覚めているが、彼女の独特な存在感と変な声質は本質的には変わっていない。
このCDセットはそんな彼女の人生の中の絶頂期の録音の記録で、フランスだけでなくワールドワイドな歴史的価値もある聴福の極致とも言える宝箱のようなアルバムである。余談だが、あのゴダールが初めてプロモーションヴィデオを撮影したアーティストでもある。
Donald FagenSteely Danのドナルド・フェイゲンの1982年の初のソロアルバム。
Steely Danは現在再活動を始めているが、1980年のアルバム"Gaucho"を最後に活動を停止させ一時的に解散した。このアルバムはソロになったフェイゲンの初のアルバムであり、Steely Danの一連の諸作品と肩を並べるほどの充実作で、いまだにCM等のタイアップなどにも使用され人気が高い。
Steely Dan、つまりウォルター・ベッカーと共作は詞から曲作り、アレンジまですべて一緒に行い、ユニークな曲の題材やフレーズはウォルター・ベッカーによるところが大きく、フェイゲンは割りとそれを煮詰めた緻密な音作りで才能を発揮しているという。シニカルなイメージの強いフェイゲンであるが、Steely Danの独特で皮肉的なサウンドはウォルター・ベッカーから生まれたものも多く、このフェイゲンのソロ作にはそうしたシニカルで湾曲したテーマはなく、意外にも直接的で明快なテーマがストレートに表現されている。
このアルバムのテーマは、本人曰く「50年代の後期から60年代初頭にかけて、郊外の若者が心に描いていたファンタシー」であり、クールなサウンドで歌われるのは、まだアメリカが無垢な夢を持っていた古き良き時代の郷愁である。サウンドにも50年代後期から60年代にかけてアメリカ人に愛されたジャズやR&Bの影響が強く、フェイゲン独特の洗練された音楽に取り入れ消化させている。Steely Danの後期は病的ともいえる神経質で完璧主義を貫いたアルバムを製作し、室内的なポップミュージックの限界を極めたフェイゲンであるが、このアルバムは、そうした窮屈な方法論の反動もあり、実にしなやかでポップで良い意味で肩の力が抜けた感触を感じさせる。とはいうものの単純明快なポップアルバムかというと、当時のレーガン政権への風刺や揶揄も匂わせており、そのシニカルなセンスも随所に散りばめられている。
サウンドのベースになっているのは、Steely Dan同様の洗練されたAORで、最近CMでも使用された"I.G.Y."や"New Frontier"などシングルヒットも生まれ、そのサウンドの洗練さと斬新さは20年以上経過した現在でも全く色褪せてはいない。そこに前述のJazzやR&Bを取り入れたことにより、Steely Dan時代には聴くことが出来なかった余裕と遊び心も感じさせてくれる。
ゲストミュージシャンも豪華でラリー・カールトン、ジェフ・ポーカロ、マーカス・ミラー、チャック・レイニー、ウィル・リー、アンソニー・ジャクソン、ブレッカー・ブラザーズなどFusion系のオールスターが挙って参加しており、歴史的な名盤として名高いアルバムとなっている。中でも全編に渡ってブルージーなギターを聴かせるラリーカールトンのプレイは特筆に値するだろう。
Santana カルロス・サンタナの新譜で、多くのアーティストとのコラボレーションによるアルバム。
サンタナは過去にも2枚のコラボレーションアルバムをリリースしており、グラミー賞9部門を制覇した"Supernatural"、そして第2作目の"Shaman"は全世界で3,000万枚のセールスを売り上げ、どちらも大ヒットを記録している。
この3作目のコラボレーションはサンタナ自身デビュー30周年ということもあり、これまで以上の豪華なキャストでお馴染みのミッシェル・ブランチに同世代のエアロスミスのスティーヴン・タイラー、HipHopからもメアリー・J・ブライジ、Outcastのビッグ・ボーイ、Black Eyed Peasのウィル・アイ・アム、ショーン・ポール、そしてジョス・ストーン、ロス・ロンリー・ボーイズ、メタリカのカーク・ハメットというコンテンポラリーな旬のアーティストから大御所まで幅広く起用し個性強いアーティストを組み合わせコラボレートしている。
サンタナは、ラテン系の音楽というとまだセルジオ・メンデスらブラジル人らによるものしか存在しなかった時代に登場し、当時彼のラテン音楽を大胆に取り入れたロックは他のアーティストには真似のできない唯一無二のものであった。その後、ロックアーティストの中でも第3帝国の音楽などブルース以外の音楽を取り上げるアーティストが増え、いわゆるワールドミュージックとカテゴライズされる音楽が流行し、メジャーなものになっていく。このアルバムを聴いて分かるとおり、サンタナの音楽はそうしたワールドミュージックのエッセンスを吸収しながら育った新しい感覚を持ったアーティストと非常に相性が良く、それはいかにサンタナの音楽が多様なエッセンスを持っていることを証明している。つまり時代は30年かけてサンタナのワールドワイドな音楽性に追いついたとも言える。彼の音楽性はデビュー当時から一環した高い水準を保っており、彼の一連のコラボレートアルバムは、30年前から彼の音楽がいかに進んだ音楽であったかということの解答でもある。
今回のアルバムでも、個性溢れるアーティストを自らの音楽の適所に配置し、彼らの個性を100%発揮させながらも自分の音楽に染め上げているのはさすがの一言に尽きる。自らの民族性とロックとを融合させた初のアーティストであるサンタナの熱くカラフルなサウンドは、若い世代との交流によってまだまだ進化を続けている。
Steve Kuhn, Scott LaFaro, Pete LaRoca先日のモンク&コルトレーンほどの派手さはないが、またもや貴重な音源が発掘された。アルバムのタイトルどおりSteve Kuhn(p), Scott LaFaro(b), Pete LaRoca(ds)のトリオによる演奏を収録したもので、もともとは1959年にニューヨークに進出したキューンが、60年にラファロとラロオカを誘ってレコーディングしたデモテープである。キューンはこれをレコード会社に持って売り込もうとしたが、結局日の目を見ることなく、キューン自身が45年間の長い間個人的に所蔵していたまさにお蔵入りの音源だそうだ。
この音源が歴史的に貴重だとされるのは、やはりベーシストであるスコット・ラファロの参加によるところが大きい。ビル・エバンスの一連の名作で、素晴らしいプレイを残し若くして夭折した伝説的なベーシストであるラファロの演奏が聞け、それがまさにエバンスの"Portrait In Jazz"と"Explorsion"の間という絶頂期に録音された音源であるという事実は驚愕に値する。この翌年に25歳で自動車事故で亡くなってしまったため、彼の残した録音は極めて少なく、私は不勉強ながらエバンスの一連の作品でしか彼の演奏を聴いたことがなかった。本作はこのラファロがビル・エバンストリオでの活動中に別のピアニストのトリオに参加していたという事実だけでも話題性には事欠かないアルバムと言えるだろう。
このアルバムが録音された1960年は、マイルスが"Kind Of Blue"でモードジャズという新しいスタイルを生み出し、そこに参加していたコルトレーンは"Giant Steps"でコードチェンジの限界に挑戦、同じくマイルスのバンドから抜けたエバンスは"Portrait in Jazz"というリリシズム溢れる作品を作り、黒人によるハードバップがメインストームだったこの時代に、白人的な美意識を昇華させた新しいジャズのスタイルを作った時期である。またオーネット・コールマンによるフリージャズの誕生など、ビバップから派生してきたJazzという音楽が大きく広がっていく転換期であった。このアルバムで聴ける音源はもともとデモテープだったという経緯があるにしろ、そうしたJazz全体の大きな渦の中で生まれた極めて地味な作品であるが、個々のプレイには若さと内に秘めた才能を感じさせずにはいられないクリエイティブな要素が孕んでいる。
アルバム全体の収録時間は30分にも満たないアルバムで、聴きどころはラストのマイルスの"So What"である。もはやスタンダードとして多くのアーティストに演奏されている曲であるが、このテイクが録音されたのはまだマイルスのオリジナルが世に出たばかりの頃である。キューン、ラファロ、ラロカという当時20代前半の若きジャズメンたちには、この曲に新たな革新性やこの曲から広がるモードジャズの可能性を見出したのであろう。ラファロのベースもエバンスのトリオでは聴けない躍動感と疾走間に溢れていて、マイルスのオリジナルのベーシストであるポール・チェンバースやその後のロンカーターとの演奏と比べても、この当時のラファロの演奏がどれだけ革新性に満ちた質の高い演奏であったかが明白である。
本作は、録音時間の短さやデモテープ起こしのため録音状態はあまり良くないが、この3人の若々しい名演奏が聴けるアルバムであり、ジャケットのNYのFLライト建築によるグッゲンハイム美術館の天窓から降り注ぐ光のように神々しいスコット・ラファロのプレイが聴ける歴史的音源だといえる。
Wishbone AshWishbone Ashの1972年の3枚目のアルバムで、邦題は"百眼の巨人アーガス"。
Wishbone Ashは1970年に結成されたイギリスのバンド。ブリティッシュロックの中にまだ様式美という概念が存在しなかった時代に、それに近いブリティッシュロックの形式的な美感覚に忠実で、それほどメジャーな存在ではなかったものの王道的なサウンドを作ったグループである。そのサウンドはハードでありながら洗練されていて、ポップでありながらイギリス独特の陰のあるサウンドでもあり、その完成度はデビュー時から既にある程度の完成度を持っていた。
メンバー構成は、ギター2名にベース、ドラムという4人のバンドで、聴きどころはやはりテッド・ターナーとアンディ・パウエルという2人のギタリストのアンサンブルである。これまでの概念で、ツインギターのバンドというとほとんどがリードギター、リズム・ギターというように役割分担がはっきりしている場合が多い。だがこのWishbone Ashの場合、そういった明確な役割分担というものは存在せず、どちらもリードをとれる実力があり時にはハモったりして絶妙のコンビネーションを見せる。特徴的にはアンディが割りと正確にメカニカルなフレーズを得意とするのに対し、テッドはブルース系のアタックやフィーリングを大事にしたプレイをするが、そういったお互いの個性をうまく合成し、バンドとして一貫性のある演奏をするのである。その評価は一般のファンだけでなく評論家さえも唸らせるほど質の高いものであった。
このアルバムはそういった彼らのギターのアンサンブル、バンドのまとまりが頂点に達したアルバムである。インストルメンタルなハーモニーに重みをおいた彼らのサウンドは、当時の熱いハードロック全盛期の中では異質であった。彼らの整合性のあるまとまった演奏は、ある意味でロックの持つダイナミックなサウンドや、インタープレイといった予定調和の世界からは外れたものにも思えるが、そのクオリティは多様なスタイルを持つロックという音楽の中で、ひとつのスタイルを作り上げたといえる。セールス的にも成功し、その年の英メロディ・メイカー誌の年間トップ・アルバムを受賞している。
また、この70年前半はマイルス・デイビスの"Bitche's Brew"以降、そこから派生したエレクトリックなJazzからFusionというジャンル確立につながっていった時代でもある。当時ロックの影響を受けたJazzバンドが台頭してくるが、このWishbone Ashはその対極でJazz的でインストロメンタルなインタープレイを取り上げたロックバンドという見方もできる。サウンドのアプローチの仕方は異なるが、ジョン・マクラフリンはイギリス人なので当然ともいえるが、聞き比べるとマハビッシュヌ・オーケストラなんかとは意外と共通点が多いサウンドであることに気がつく。
Madonnaマドンナの新譜で、前作"American Life"から約2年ぶり、通算11作目となるアルバム。
現在は、音楽に映画に精力的に活動し世界最高の王道なポップアイコンとなったマドンナであるが、80年代にデビューしたときには新しい音楽や文化を体現するアーティストで、その姿勢はこれまでにない新しいものであった。70代後半よりNYの黒人とプエルトリカンの間で流行したラップやヒップホップとそれに付随した新しいブレイクダンスと呼ばれたダンススタイルが現れ、彼女はそれを80年代において新しいスタイルを模索しながら体現していったのである。そして1984年のChicのナイル・ロジャースによる"Like A Virgin"で彼女の人気は大ブレイク。タイトルソングが全米ヒットチャートに輝き、各FM局では彼女の曲がかからない日はなく、発売当時アメリカだけで700万枚以上を売り上げた。また音楽だけではなく、10代の女の子を中心にファッションや仕種に至るまで影響を与え、ある種の社会現象にもなった。
マドンナの音楽は"Like A Virgin"というヒットアルバムのタイトルにもあるとおり、女性のセクシャシティや女性の立場を利用したものであるが、その一方で男性や社会全般を嘲け笑うシニカルでシビアの一面もある。そうした対極する両面性が表現するのは結果として女性の自立と強さのアピールである。サウンド的には次第に機械的で大量生産的な面白みのない音楽になっていくが、そうした彼女のポリシ-は変わらない。
この新しいアルバムはそんなマドンナの初期の音楽を彷彿するダンスミュージック一色で覆われている。シングルカットされアバの曲を元ネタに使った"Hung Up"をはじめ、すべてのナンバーがダンスミュージックで、現代的なリズム処理がされているが、80年代の彼女のキラキラ輝いていた頃のマドンナの音楽に近い感触がある。正確にはダンスチューンとは呼べない曲もあるが、全体のテーマは極端にポップなダンスミュージックである。衰えを知らない47歳のマドンナがみせたポップなダンスミュージックへの帰還であり、原点回帰の快作といえる。