石造を求めて №27

「伊是名殿内の墓」 那覇市銘苅
造墓年不明:18世紀の様式と言われている。国指定史跡「銘苅墓跡群」平成19年指定
那覇新都心地区内にあり「銘苅墓跡群」のひとつであり唯一、一般公開されている。
銘苅墓地群は沖縄グスク時代から明治時代まで続く大規模な墓跡群で29基は未公開である。

伊是名殿内は琉球王朝時代の伊是名島、伊平屋島の総地頭をつとめた上流士族である。

伊是名殿内の墓は小高い丘を掘り込み造られていて、南北約30m、東西約22m、面積約660㎡で亀甲墓の中でも最大級と言われている。

墓庭にある葬儀用具を処分するための穴、土地の神「ヒジャイ」の祠など他に例を見ない造りとなっている。


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墓入口は左袖垣から本門を矩折(クランク)して中門へと入ってゆく。ヒンプンと同じ工夫がなされている。
墓庭を囲む石垣は曲線を描き隅には「隅頭石」がある。伊是名島の銘苅家の石垣にも「隅頭石」が付いている。

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石積みは「布積み」と「あいかた積み」が使用されている。

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 左手地面に見える(石囲い穴)は葬儀用具処分場、右手正面に見えている開口部は土地の神を祀る祠である。

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墓室の正面の左右の袖石は3段(奇数)からなり墓の格式高さをあらわしている。直線と曲線がおりなす造形が素晴らしい。

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墓上部からの眺め 「円は天上につながり方形は地につながる」