やんばるの海岸線沿いの伝統的集落を散策していると、時々スージ(道路)より掘り下げらた屋敷を目にすることがある。これは防風、防砂対策のためであると言われています。
かつては、今のようにフクギの屋敷林の無い頃、暴風が吹きつけるのを防ぐために屋敷を堀下げて、海から採取したサンゴ石灰岩を屋敷外側(道路、境界側)に外石垣を積み、屋敷内側に内石垣を積み防風壁とした。つまり、屋敷四周に二重の石積みを廻し、その中に屋敷から掘り起こした際の砂を積み上げそこへフクギを植栽した。したがってこの堀下げられた屋敷は今のように立派な防風林のない時代に海岸線沿いに面した集落の過酷で厳しい自然条件の中、先人達の叡智と汗の結晶が生み出した形態である。
このような、わざわざ屋敷を堀り下げた形態を可能にしたのは集落が堆積した砂質層の上に形成されていて雨が降ってもすぐに浸透し、水はけがよく浸水することがほとんどなかったからであり、生活排水も全て屋敷内で処理されていた。高い石垣を積まずに堀下げ形式で風を防護する形式をとった先人達。そこには古代より人と自然が共生してきたことが読み取れる。
「戦前におけるわが備瀬の屋敷は、総体的に道路より低くなっていた。しかし米軍上陸によって屋敷が荒らされたため、殆ど変形し、(高くなったり低くなったりしている)昔の姿を変えている。今でも道路より低くなった屋敷が幾つか残っている。村落は、砂丘の上に形成さており、未だ生垣が伸びない以前は、砂塵が舞い上がり目も開けられなかったという。また、冬場になると、東支那海から凄さぶ北風で寒く、その上、暴風の被害も甚だしいかったことから、これを軟げるために大抵の屋敷を掘り下げた、と伝えられている」 1984年発行 仲田栄松 備瀬誌より

1981年 本部町備瀬集落の堀下げられた屋敷
およそ300年前、琉球王朝の三司官、蔡温の時代に築かれたと言われる掘り下げられた屋敷は、時代の移り変わりと共に埋め立てられて、その上に建つ現代住宅は、ほとんどがコンクリート造に変わり強風に対する被害は少なくなったが、それらの住宅は気密性、熱容量が高く閉鎖的な住宅となっているのが多い。

屋敷内から道路側をみた写真、右側に屋敷内側の野面積みの内石垣がみえる。道路側からおよそ70cm程低くなっている。(備瀬1981年)
門から屋敷に入る石段(階段)は殆どの場合、奇数段となっている。また先人たちは道より高い屋敷には入りにくいが、低い(窪地)にある屋敷には入りやすい(誘い込むアプローチ)と言う風水思想の考えがあったようだ。

集落内の空き屋敷の掘り下げられた敷地を見ていると、かつてその屋敷に建っていたであろうアナヤー(穴屋)茅葺のウフヤー(主屋)とトングヮ(炊事場)が寄り添い、軒の低い寄棟屋根で風抵抗を減少させ、屋敷廻りの「防風壁」で強風を防ぎ、大地に抱かれ安らぎを求めた先人の必死の生き様が見て取れる。
追記:平成12年5月、重要伝統的建造物群保存地区に選定された渡名喜村には数多くの堀下げ屋敷が見られる。それは戦争による破壊から免れたかられである。