人生の目的とは何か?  人生の目的は 成仏 にある。

人生の目的とは何か?  人生の目的は 成仏 にある。

将来、日本、中国、インド及び 世界中の人々が
必ず実践する究極の方法が、ここに書かれてます!!\(^^)/
他事(邪宗の執着)を捨て、
日蓮大聖人を信じ 南無妙法蓮華経と唱えましょう(^人^)

日本は今、亡国の前夜を迎えている。 巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、亡国の大難たる(国内の分裂抗争)と(外敵の侵略)が起こるのである。 回避法は、他の宗教の執着を捨て、日蓮大聖人の信じ南無妙法蓮華経と唱えましょう (。-人-。)  http://www.kenshokai.or.jp





埼玉県さいたま市大宮区 ·

  

本日の総幹部会は

 

まことに

 

素晴らしいです。

 

大感動いたしました。

 

 

各登壇者のご報恩の

 

熱誠には胸を打たれ、

 

浅井昭衞先生の

 

ご遺志を継いで

 

御遺命成就に

 

勇み立つ、

 

その気魄を

 

ヒシヒシと感じては、

 

熱涙が

 

込み上げました。

 

 

この大熱気

 

ほとばしる会合を、

 

先生は霊山から

 

じっとごらんになり、

 

深くお頷き

 

下さっておられるに

 

違いありません。

 

 

過去最高の

大法弘通

 
 

そして今法戦は、

 

先生が下さった

 

「三万大突破」の

 

号令を見つめ、

 

全顕正会が

 

打って一丸となり、

 

全魂こめて

 

戦い切った結果、

 

誓願を大きく

 

突破する、

 

顕正会はじまって

 

以来の、実に

 

三万八千二〇四名

 

という空前の

 

大折伏が

 

敢行されました。

 

 

私はこの大折伏に

 

驚きをおぼえると

 

ともに、

 

ただ先生への

 

ご報恩の一念で

 

戦い切った一人ひとり

 

の赤誠に思いを

 

馳せては、胸に

 

熱きものが込み上げて

 

まいりました。

 

 

先生の御霊前に

ご奉告

 
 

けさ私は、さっそく

 

この大折伏の成果を、

 

先生の御霊前において

 

懇ろにご奉告

 

申し上げました。

 

 

「有難い。

 

よくやった」

 

 

とお喜び下さる

 

先生の力強いお声が

 

聞こえてくるようで、

 

涙が出て

 

まいりました。

 

 

同時に、この法戦は、

 

我ら弟子一同が、

 

先生のご遺志を継いで

 

御遺命成就に向けて

 

戦いを開始した、

 

その一歩を刻む、

 

歴史的初陣でも

 

ありました。

 

 

ここに、その道が

 

豁然と開かれた意義は

 

まことに大きく、

 

有難さでいっぱいで

 

あります。

 

 

されば、これまでに

 

入信・入会した

 

大勢の人たちを、

 

この十二月に、

 

二大綱目を通して

 

広布の人材に育て、

 

いよいよ

 

三百万への戦いを

 

一気に加速して

 

まいろうでは

 

ありませんか。

 

「知恩報恩」特集号 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

 

冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

動画 | 冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

 

 

 

誑惑の正本堂崩壊す!!(冨士大石寺顕正会) - YouTube

 

 

基礎教学書 第十章 - 御遺命守護の戦い | 顕正新聞社公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

本日、隊長・区長・

 

支区部長以上の幹部に

 

急遽、集まって

 

頂きましたが、重大な

 

報告があります。

 

 

本日十六日の未明、

 

浅井先生が

 

御逝去されました。

 

御年九十一歳でした。

 

 

先生は、数年前から

 

体力の衰えが窺われて

 

おりましたが、

 

そのようなところは、

 

私たち弟子や家族にも

 

一切見せず、

 

ただ御遺命成就の

 

一点を見つめ、

 

いささかも休まれる

 

暇もなく、広布の

 

陣頭指揮を執って

 

おられました。

 

 

しかし本年九月の

 

総幹部会の翌々日に、

 

俄に体調を崩され、

 

それより二週間ほど

 

治療・静養して

 

おられましたが、

 

本日、臨終を

 

迎えられました。

 

 

峻厳きわまる

 

大忠誠で貫かれた

 

その御生涯は、

 

まさしく御遺命守護

 

そして御遺命成就に、

 

命尽くまで、

 

最後の最後まで

 

戦ってこられた、

 

凄まじいものでした。

 

 

ことに

 

九月度総幹部会で

 

頂いた、あの

 

五十五分にもおよぶ、

 

御気魄こもる

 

重大ご講演を

 

拝しては、今にして、

 

その思いを深めるもの

 

であります。

 

 

そして、

 

私自身、何より

 

有難かったことは、

 

本日、眼前にした、

 

浅井先生の、

 

まことに素晴らしい

 

臨終の相でした。

 

 

まさに

 

「臨終に色変じて

 

白色となる、

 

又軽き事鵞毛の如し、

 

輭なる事

 

兜羅綿の如し」

 

 

との御金言どおりの

 

成仏の妙相でした。

 

 

臨終を迎えるに

 

当って、

 

いささかの

 

苦痛もなく、

 

それより二時間、

 

親族で唱題回向し、

 

さらにその後も

 

お題目を唱える

 

ほどに、色は白く、

 

首も定まらず、

 

手もほどけるほど

 

柔らかく、笑みを

 

湛えるような、

 

なんともいえない

 

柔和な御表情となり、

 

また唇も赤みがさし、

 

まるで今にも

 

起きてきそうな、

 

まことに美事な

 

ものでありました。

 

 

この現証を

 

眼前にしては、

 

凡夫を仏にして下さる

 

大聖人様の大慈大悲に

 

ひれ伏すとともに、

 

浅井先生ご自身が、

 

自らの臨終の

 

証拠を以て、

 

私たち弟子一同に、

 

「御本尊様絶対」の

 

大確信と、

 

御遺命の

 

国立戒壇建立に向けて

 

唯一戦う

 

顕正会の正しさ、

 

そして大聖人様の

 

大慈大悲・絶大威徳に

 

より順縁広布は断じて

 

成ることを教えて

 

下さったものと

 

思わずにはいられず、

 

深い悲しみの中にも、

 

ただただ有難さが

 

こみ上げて

 

まいりました。

 

 

私たちは、これまで

 

先生に、どれほどの

 

大事を教えて頂いたか

 

計り知れません。

 

 

これまで

 

先生から頂いたその

 

報じがたき大恩を

 

かみしめるほどに、

 

私たち弟子一同は、

 

一筋の忠誠を貫かれた

 

浅井先生の

 

御遺命成就にかける

 

ご遺志を継ぎ、

 

その実現に

 

身を捨てて戦い、

 

今こそ、深き師恩を

 

報じてまいらねば

 

なりません。

 

 

 

世間を見れば、

 

「末法濁悪」の様相は

 

日々色濃くなり、

 

世界および

 

日本を取り巻く

 

客観情勢は

 

待ったなしの勢いで

 

激変し、

 

「前代未聞の大闘諍」

 

「他国侵逼」が

 

いよいよ迫りつつ

 

あります。

 

 

 

その中、いつも

 

先生は、師敵対・

 

極限の大謗法の

 

正系門家の堕落を

 

ごらんになり

 

 

「もう顕正会以外に、

 

広宣流布をなす団体は

 

ない」

 

 

と仰せられ、

 

ただ日本を動かす

 

三百万だけを

 

見つめて、その前進を

 

急いでおられました。

 

 

この先生の

 

ご遺志を体し、

 

御遺命成就に死力を

 

尽くしていくのが、

 

これまで

 

溢れんばかり

 

薫陶を受けてきた

 

弟子の務めで

 

あります。

 

 

本日よりは、私が

 

先生の名代として、

 

顕正会の指揮を

 

執らせて頂きます。

 

 

私たち弟子一同の

 

衝撃は、まことに

 

言葉にならぬもので

 

ありますが、

 

先生の御逝去という

 

深い悲しみの中に、

 

唯一の御遺命たる

 

広宣流布・

 

国立戒壇建立に、

 

身を捨てて戦われた

 

先生の大忠誠心を、

 

夢寐にも忘れず、

 

本日集いし、隊長・

 

区長・支区部長以上の

 

幹部こそが、

 

大勢の同志を大確信に

 

立たしめ、三百万を

 

早める大なる

 

御奉公をなし、以て、

 

深き師恩に報いて

 

まいろうでは

 

ありませんか。

 

「浅井昭衞先生追悼号」 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

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平成一二年

 

一一月八日、先生は

 

広布最終段階の

 

本陣として、

 

新本部会館を

 

埼玉県さいたま市に

 

建設された。

 

 

平成一六年四月、

 

先生は百万の

 

死身弘法を背景に、

 

「日蓮大聖人に背く

 

日本は必ず亡ぶ」を

 

著わし、

 

第二回・一国諫暁に

 

立たれた。

 

 

この諫暁で己れの悪事

 

が広く露見し、いたた

 

まれなくなった阿部日

 

顕は、国立戒壇を否定

 

し正本堂を「御遺命の

 

戒壇」とたばかった

 

「二冊の悪書」の幕引

 

きを図った。しかし正

 

本堂崩壊後も、なお国

 

立戒壇否定に執念を燃

 

やす阿部日顕の無慚無

 

愧を見て、

 

先生は平成一七年

 

三月二五日、阿部日顕

 

に対し顕正会の命運を

 

賭して公開対決を

 

迫られた。阿部日顕は

 

これを拒否した。

 

 

先生は重ねての

 

対決申し入れ書を

 

同年四月二七日に

 

送付された。

 

しかし阿部日顕は、二

 

度が二度とも悪口雑言

 

だけを並べ立てて

 

完全逃避した。

 

 

ここに先生は

 

「阿部日顕の三大謗法

 

に止めを刺して、

 

仏法を守護しなければ

 

ならぬ」と決意され、

 

平成一七年

 

八月二八日、

 

「最後に申すべき事」

 

と題した一書を

 

阿部日顕に

 

送付された。

 

その文末に云く

 

「これが小生の最後の

 

諫めである。もしこの

 

言を卑しんで一分の

 

改悔もなければ、後生

 

の大苦こそまさに

 

恐るべし。顕立正意抄

 

の仰せに云く『我が

 

弟子等の中にも信心

 

薄淡き者は、臨終の時

 

阿鼻獄の相を

 

現ずべし。其の時我を

 

恨むべからず』と。

 

以上、用捨は貴殿に

 

任す。

 

小生はただ謹んで

 

御本仏日蓮大聖人に

 

言上し、御裁断を仰ぎ

 

奉るのみである」と。

 

 

 

その三月後の

 

平成一七年

 

一一月七日、

 

戒壇の大御本尊の

 

御前にある大扉が

 

いかにしても開かず、

 

阿部日顕は御開扉中止

 

のやむなきに至った。

 

 

この現証に怖畏を

 

生じた阿部日顕はその

 

翌月、猊座を退いた。

 

 

「最後に申すべき事」

 

を送付してから

 

四ヶ月後の、

 

平成一七年

 

一二月一五日のことで

 

あった。

 

 

この戦いの直中、

 

先生は会歌

 

「遺命重し」を

 

作詞され、

 

平成一七年

 

八月二一日、

 

総幹部会において

 

発表された。

 

 

「雪嶺に

 

 身を捨つるとも

 

 大悲の恩

 

 いかで報ずべき

 

 みほとけの

 

 遺命おもし

 

 いのち尽くまで」

 

と。

 

 

平成二三年

 

三月一一日、

 

東日本超巨大地震の

 

発生を見て、先生は

 

「これ日本亡国の

 

先兆、広宣流布の

 

大瑞でなくて何か」と

 

判ぜられ、同時に

 

「2020年代こそ

 

広宣流布の決戦場」と

 

思い定められた。

 

 

そして

 

「20年代に突入する

 

までに、顕正会の

 

全組織を強き信心で

 

打ち固め、二百万の

 

弘通をそれまでに

 

成し遂げたい」と

 

念願され、巨大地震の

 

翌年から三者の

 

各部大会を、さいたま

 

スーパーアリーナで

 

順次開催された。

 

平成二四年に

 

婦人部大会、

 

二五年には

 

女子部大会、そして

 

二六年には

 

男子部大会を

 

開催され、

 

この男子部大会には

 

五万人が結集した。

 

 

さらにその翌年から、

 

日本列島を8つの

 

ブロックに分けて

 

順次地方大会を

 

開催された。

 

平成二七年に

 

南東北大会、

 

二八年には

 

九州大会と近畿大会、

 

二九年には

 

中部大会と

 

中国・四国大会、

 

三〇年には

 

北関東大会と

 

新潟大会、そして

 

令和元年の

 

北東北大会を以て

 

地方大会の

 

すべてを終え、同時に

 

二百万も達成した。

 

 

この間、平成二六年

 

一一月七日、

 

池田大作はついに

 

「本門戒壇の

 

大御本尊」を

 

六百万学会員に

 

捨てさせ奉った。

 

これまさに

 

第六天の魔王

 

その身に入るの正体を

 

自ら露わした

 

ものである。

 

 

この極限の大謗法を

 

見て、

 

先生は全学会員を

 

「入阿鼻獄」から

 

救わんと

 

「学会員を救う

 

特集号」を連々と

 

発刊された。

 

 

平成二七年

 

十月十三日、先生は

 

「何としても

 

全日本人に、

 

日蓮大聖人の

 

大恩徳と、

 

三大秘法の尊さ・

 

有難さを

 

わからせたい」――

 

ただこのご一念で、

 

二年の歳月をかけて

 

「基礎教学書 

 

日蓮大聖人の仏法」

 

を発刊された。

 

 

 

 

さらに翌二八年

 

七月一六日、

 

基礎教学書の

 

広告文を著わされ、

 

ここに

 

「遥拝勤行と広告文」

 

という広布最終段階の

 

信行を確立された。

 

 

 

日蓮大聖人御入滅後

 

七百余年、

 

未だに背き続ける

 

全日本人に対し、

 

先生は毎月の

 

総幹部会の講演を

 

特集号として発刊され

 

「日蓮によりて

 

日本国の有無は

 

あるべし」を徹底して

 

訴えられた。

 

 

中でも総理大臣以下

 

全国会議員ならびに

 

全国首長等 日本の中枢

 

約三万数千ヶ所には

 

本部から直接送付し

 

続けられた。ことに

 

安倍政権に対しては、

 

その数々の

 

悪政とともに、

 

御本仏日蓮大聖人を

 

無視して「神の国」を

 

作らんとした謗法を、

 

先生は六二度に

 

わたって諫められた。

 

 

これを無視してなお

 

「神国日本」に

 

執念を燃やしていた

 

安倍晋三は、

 

令和四年、ついに

 

銃弾に斃れ、

 

その野望は永遠に

 

潰えた。

 

 

一方、「正系門家の

 

御遺命違背こそ

 

亡国の根本原因で

 

ある」として、

 

先生は

 

学会・宗門の師敵対・

 

極限の大謗法に対し、

 

強烈な諫暁を

 

重ね続けられた。

 

 

その結果、

 

御遺命破壊の元凶たる

 

池田大作は、

 

平成二二年五月以降、

 

一切その姿を見せず、

 

今や

 

「生ける屍」となり

 

悪臨終、

 

細井日達・阿部日顕の

 

悪臨終も

 

明らかになった。

 

 

令和五年四月二八日、

 

先生は広告文を

 

一新された。そのとき

 

「顕正会の思いは

 

ただ一つ。

 

『早く全日本人に、

 

日蓮大聖人の大恩徳を

 

知らしめたい』

 

ただその忠誠心

 

だけで、この広告文は

 

作られた」と

 

述べられた。

 

その広告文の

 

発行部数は現在、

 

九千二五〇万枚に

 

及んでいる。

 

 

発足以来六六年、

 

先生は大聖人様の

 

「和党ども、

 

二陣三陣つづきて

 

迦葉・阿難にも勝れ、

 

天台・伝教にも

 

越へよかし」

 

 

との広宣流布の

 

大教令と、

 

日興上人の

 

「未だ広宣流布

 

せざる間は、

 

身命を捨てゝ

 

随力弘通を

 

致すべき事」

 

との御遺誡のまま、

 

死罪に等しき

 

解散処分を

 

受けるとも、

 

些かも弛まず

 

死身弘法に徹せられ、

 

そのひたむきな弘通は

 

二四五万に達した。

 

 

その根底にあるのは、

 

大聖人様に対し奉る

 

大忠誠以外にはない。

 

 

先生は

 

「大聖人様の御心に

 

適い奉る恋慕渇仰の

 

遥拝勤行は、やがて

 

必ず日本国に

 

満ち満ちる。そのとき

 

一国の総意のもと、

 

国家意志の表明たる

 

『勅宣並びに御教書』

 

も申し下され、御遺命

 

そのままの

 

『本門戒壇』すなわち

 

国立戒壇が

 

富士山天生原に

 

建立される。そして

 

その金剛宝座に、

 

ついに

 

『本門戒壇の

 

大御本尊』が

 

御出ましあそばす

 

――。すべては

 

大聖人様の絶大威徳に

 

よって成るのである。

 

 

顕正会員は

 

この荘厳なる光景を、

 

必ずや熱涙の中に

 

拝見させて頂ける」

 

 

「人類絶滅の

 

大戦乱から、

 

日本を、世界を、

 

お救い下さるのは、

 

大慈大悲と

 

絶大威徳まします

 

日蓮大聖人ただ御一人

 

であられる。これを

 

知る我ら門下の

 

弟子一同は、ただ

 

随力弘通に徹して、

 

日蓮大聖人の大恩徳を

 

早く全日本人に教え

 

なければいけない。

 

早く、大聖人様の

 

唯一の御遺命たる

 

国立戒壇建立を実現

 

しなければいけない」

 

と、

 

日蓮大聖人の

 

御遺命の大事を、

 

重ねて深く弟子に

 

打ち込まれた。

 

 

九月度総幹部会に

 

おいて、先生は

 

急速に大闘諍に向かう

 

世界情勢を凝視され、

 

全日本人に対し、

 

日本国の仏法守護の

 

重大使命と、

 

「日本の柱」たる

 

日蓮大聖人の

 

大恩徳を示され、

 

国立戒壇建立の実現を

 

強く促された。そして

 

「亡国の大闘諍が

 

起こるとき、

 

大聖人様は

 

広宣流布を

 

一時にあそばす。

 

何としても

 

大聖人様に

 

応え奉ろう」と

 

師子吼された。

 

 

この三週間後の

 

令和五年

 

一〇月一六日、

 

安詳として

 

御逝去された。

 

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昭和四八年一二月、

 

先生は本部会館

 

(東京都板橋区)を

 

初めて建設された。

 

この落慶御入仏に

 

際しては、

 

松本日仁尊能化が

 

「妙縁寺重宝」との

 

脇書がある

 

「第六十世・

 

日開上人」御書写の

 

御本尊を自ら奉持し、

 

懸け奉って下さった。

 

 

先生の諫暁により

 

二度も正本堂の誑惑を

 

訂正しておきながら、

 

池田大作に

 

改悔はなかった。

 

正本堂完工式にキリス

 

ト教神父を招き、落成

 

式には「御遺命達成」

 

の言葉を会員に伝えて

 

いた。また国立戒壇を

 

否定した政府への「欺

 

瞞回答」も撤回されて

 

いなかった。

 

 

ここでもし再び

 

諫暁に立てば、

 

今度こそ解散処分が

 

下り「本山登山」も

 

「御本尊下附」も

 

禁止され、講の命脈を

 

保つことは不可能と

 

なる。

 

 

しかし先生は、

 

講の安穏よりも、

 

大聖人様への忠誠を

 

選ばれ、以前にも

 

増して徹底せる

 

諫暁に立たれた。

 

 

昭和四九年

 

七月二八日、明治公園

 

に三千人を結集して

 

「立正安国野外集会」

 

を開き、決議文を以て

 

池田大作に「国立戒壇

 

を否定した政府への

 

欺瞞回答を撤回せよ」

 

と迫られた。

 

 

昭和四九年

 

八月一二日、ついに

 

解散処分が下った

 

――。その宣告書には

 

「日蓮正宗管長・細井

 

日達」の名義で、「国

 

立戒壇の名称を使用し

 

ない旨の宗門の公式決

 

定に違反し、更にまた

 

昭和四十七年四月二十

 

八日付の『訓諭』に対

 

し異議を唱えたゆえ」

 

とあった。

 

 

 

先生は

 

「この宣告書を

 

手にしたとき、

 

私の胸には

 

『大事な御遺命が

 

破壊されんとしている

 

とき、妙信講が安穏で

 

あってはいかにも

 

大聖人様に

 

申しわけない。これで

 

一分でも申しわけが

 

立つ』との思いが

 

わいた」と。

 

 

この宣告書こそ、

 

まさに「忠誠の証」で

 

ある。

 

 

このとき先生は

 

「遥拝勤行で広宣流布

 

の御奉公に立とう」と

 

決意され、直ちに

 

遥拝勤行での死身弘法

 

を展開された。

 

 

本山登山を妨害された

 

先生は、それより

 

五十数年にわたり、

 

毎年、年の暮れに

 

大石寺近くまで

 

詣でては、

 

本門戒壇の

 

大御本尊を

 

遥拝されてきた。

 

 

解散処分より

 

嵐のような弾圧が

 

妙信講を襲う中、

 

老齢の御身で妙信講を

 

庇護して下さった

 

松本日仁尊能化を、

 

細井日達は

 

「擯斥処分」に

 

処した。

 

また同年一一月より、

 

先生は本部会館の

 

御本尊を奪取せんと

 

する学会との法廷闘争

 

に立たれた。

 

昭和五〇年

 

八月一二日、先生は

 

三度目の池田大作への

 

公場対決申し入れを

 

された。しかし池田は

 

黙殺の一手を用いて

 

逃避した。

 

 

同年八月二六日、

 

先生は妙信講・講頭に

 

就任された。時に

 

四三歳であられた。

 

 

昭和五一年

 

四月二二日、先生は

 

阿部教学部長

 

(阿部日顕)に

 

公開討論申し入れ書を

 

送付された。

 

阿部教学部長はこれを

 

黙殺した。

 

 

昭和五二年四月、

 

二年六ヶ月におよぶ

 

学会との法廷闘争は、

 

妙信講の全面勝利で

 

終結した。

 

 

 

このころから学会と

 

宗門の間に抗争が始ま

 

り、昭和五四年七月二

 

二日、この抗争に性心

 

を労した細井日達は、

 

大事の御相承をもなし

 

得ずに急死を遂げた。

 

昭和五四年

 

一一月二六日、

 

先生は、細井日達の

 

次に自己申告で登座し

 

た第六七世・

 

阿部日顕への

 

諫暁を開始された。

 

 

昭和五七年

 

一〇月九日、先生は

 

日本武道館で一万人の

 

大総会を開催され、

 

死身弘法ついに

 

六万に

 

達したことを機に、

 

妙信講の名称を

 

「顕正会」と

 

改められた。

 

 

昭和六三年八月、

 

先生は池田大作と

 

阿部日顕による

 

御遺命破壊の完結たる

 

「本門寺改称」の

 

陰謀を見抜かれ、

 

総幹部会において、

 

この陰謀粉砕への

 

鉄石のご決意を

 

表明された。

 

 

平成二年四月、先生は

 

二〇万の死身弘法を

 

背景に、

 

「正本堂の誑惑を破し

 

懺悔清算を求む」との

 

一書を認め、阿部日顕

 

に送付された。

 

 

同年七月には二万人の

 

大総会を横浜アリーナ

 

で開かれ、

 

「もし池田大作が

 

本門寺改称を強行する

 

ならば、そのとき、

 

全顕正会員はこぞって

 

大石寺に総登山すべき

 

である。信心の力を

 

以て、本門寺改称を

 

断固粉砕しよう」と

 

全員に訴えられた。

 

 

先生の諫暁に怖畏を

 

生じた阿部日顕は

 

「大本門寺の寺号公称

 

は広宣流布の未来にあ

 

る」と宣言。この裏切

 

りを眼前にした池田大

 

作は怒り心頭に発し、

 

これより「修羅と悪竜

 

の合戦」そのままの、

 

醜悪そして凄絶なる大

 

抗争が始まった。

 

 

平成八年一二月、

 

先生は「日興上人・

 

日目上人の清らかな

 

源流に戻るべし」との

 

お心から、「日蓮正宗

 

顕正会」の名称を

 

「冨士大石寺顕正会」

 

に改められた。

 

 

 

平成九年七月一六日、

 

先生は五〇万の弘通を

 

背景に、

 

「日蓮大聖人に

 

帰依しなければ

 

日本は必ず亡ぶ」の

 

一書を認め、

 

一国諫暁に立たれた。

 

 

平成一〇年、ついに

 

偽戒壇・正本堂が

 

崩壊した――。

 

 

先生は、池田大作が

 

「末法万年までの

 

戒壇」などと豪語した

 

正本堂が、阿部日顕の

 

池田への瞋恚の力によ

 

って、

 

わずか二六年で

 

打ち壊わされた凡慮を

 

絶する大現証について

 

 

「すべては大聖人様の

 

御意による。

 

大聖人様は、

 

御遺命破壊の大悪を

 

断じて許し給わず。

 

ゆえに顕正会をして

 

諫暁せしめ、

 

諸天をして学会・

 

宗門を抗争せしめ、

 

ついに正本堂を崩壊せ

 

しめ給うたのである」

 

とご断言されている。

 

誑惑の正本堂崩壊す!!(冨士大石寺顕正会) - YouTube

 

 

 

「浅井昭衞先生追悼号」 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

 

冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

 

動画 | 冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

 

 

 

 

 

昭和六年

 

一一月三〇日、

 

日蓮正宗 妙信講

 

(顕正会の前身)

 

初代講頭・

 

浅井甚兵衞先生を

 

父として

 

東京にご出生。

 

 

一六歳のとき、

 

立正安国論を

 

拝読して、

 

日蓮大聖人の仏法こそ

 

国家安泰の唯一の

 

秘術たるを知り、

 

その後、冨士大石寺

 

第二六世・日寛上人の

 

御筆記にて

 

教学を研鑽。

 

 

二〇歳で中島円妙院

 

日彰上人

 

(管長代務者、能化、

 

妙光寺住職)の

 

六巻抄講義を

 

受けたことを機に、

 

日彰上人より

 

富士門流の法門や

 

明治以降の宗門の

 

内情等について詳しく

 

伝え聞く。その中、

 

日蓮大聖人の仏法を

 

精魂を傾注して

 

習学し、

 

昭和三〇年代には

 

妙信講の青年部長を

 

務められた。

 

 

しかし当時の

 

所属寺院・法道院

 

東京池袋)の住職に

 

広宣流布の道念なきを

 

見抜いた先生は、

 

苦悩の末に、

 

宗務役僧で

 

宗門最大派閥を率いる

 

住職に対し

 

「広宣流布のために、

 

本気になって大法弘通

 

に立って頂きたい」と

 

直諫。

 

聞き入れぬ住職の

 

無道心を見て、

 

初代講頭先生とともに

 

妙信講の再建を

 

ご決意された。

 

 

その船出は

 

住職の妨害により

 

困難を極めたが、

 

先生は広宣流布・

 

死身弘法の道を

 

選ばれ、

 

五里霧中のなかにも

 

新生・妙信講を発足。

 

時に昭和三二年

 

八月三日、先生は

 

二五歳であられた。

 

 

この妙信講の至情は

 

時の貫首上人・

 

第六五世日淳上人の

 

嘉するところとなり、

 

昭和三三年

 

一月一五日、

 

本山において、

 

日淳上人より正式に

 

認承状が授与された。

 

 

その際「熱原の

 

法華講衆のごとく

 

戦う法華講となって

 

広宣流布に

 

御奉公せよ。

 

まず三千の弘通を

 

成し遂げてみよ」との

 

日淳上人の

 

お励ましに、先生以下

 

居並ぶ幹部は

 

感泣した。

 

またこのとき

 

日淳上人が宗規上の

 

指導教師に定めて

 

下さったお方が、

 

松本日仁尊能化で

 

あられた。

 

 

新生・妙信講に

 

馳せ参じた同志は

 

三八〇名。これより

 

大地を這うような

 

死身弘法が

 

開始された。

 

 

昭和三四年一一月、

 

日淳上人の御遷化の

 

悲報に接せられた

 

先生は、

 

衝撃と悲嘆の中に

 

「日淳上人への

 

御報恩は三千をめざす

 

弘通以外にはない」と

 

折伏弘通に

 

徹せられた。そして

 

発足より六年後の

 

昭和三八年九月、

 

ついに

 

三千を達成した。

 

 

時同じくして宗門の

 

状況は一変した。

 

創価学会・第三代会長

 

に就任した池田大作

 

が、第六六世・

 

細井日達管長を籠絡し

 

て宗門統制を開始。

 

 

ために妙信講は

 

苛酷な試練と忍従を

 

余儀なくされた。

 

いつ潰されるか知れぬ

 

薄氷を踏むごとくの

 

日々を、先生はただ

 

「忍」の一字に徹し、

 

妙信講の命脈を

 

保たれた。

 

 

昭和四〇年代、

 

池田大作が政治野心の

 

ために「国立戒壇」の

 

御遺命を破壊せんと

 

するを見て、

 

先生は

 

「この大悪を見ながら

 

知りながら、もし

 

黙っていたら、

 

大聖人様に対し奉る

 

最大の不忠になる」と

 

思い定められ、

 

昭和四五年

 

三月二五日、

 

「正本堂に就き

 

宗務御当局に

 

糺し訴う」の

 

一書を認め、

 

身を捨てて諫暁に

 

立ち上がられた。

 

 

これに対し池田大作

 

は、宗門に「日蓮正

 

宗・責任役員会」で

 

「国立戒壇の否定」を

 

議決させ、次いで時の

 

貫首・細井日達管長に

 

「国立戒壇放棄」の公

 

式決定を宣言させた。

 

 

ここに先生は、

 

細井管長の面前で

 

学会代表と論判され、

 

その結果、「今後、

 

正本堂を御遺命の戒壇

 

とは言わぬ」旨の

 

確認書に学会代表が

 

署名、正本堂の誑惑は

 

訂正された。

 

 

だが、池田は

 

この確認書に

 

違反した。

 

 

昭和四六年

 

一一月一五日、

 

先生は悪の元凶たる

 

池田大作に対し

 

「正本堂に就き

 

池田会長に糺し訴う」

 

を送付された。

 

 

これに周章狼狽した

 

池田は昭和四七年

 

四月二七日、

 

細井日達管長を盾とし

 

て「日蓮正宗・責任役

 

員会」で「訓諭の公

 

布」を議決させ、翌二

 

八日、正本堂を「御遺

 

命の戒壇」とする旨の

 

「訓諭」を発布せしめ

 

た。

 

 

先生は即日、池田大作

 

に対し公場対決を迫る

 

書状を送付された。

 

 

池田はこれを逃避し、

 

妙信講の説得に宗務院

 

総監・早瀬日慈と教学

 

部長・阿部信雄を当ら

 

せたが、

 

 

先生の強き諫めの

 

前に、二人とも

 

細井管長に辞表を

 

提出。

 

宗務院は機能停止に

 

陥った。

 

 

昭和四七年七月六日、

 

先生は細井管長と

 

対面。細井管長は

 

訓諭の誤りを認めて

 

先生に訓諭の訂正文を

 

手渡し、宗門機関誌に

 

それを掲載すると

 

約束された。

 

 

しかし学会の圧力に

 

屈した細井管長は

 

「もう私にはどうにも

 

ならない。どうか、

 

あなたが学会代表と

 

話し合って解決して

 

下さい」と、全権を

 

先生に委任した。

 

 

先生は池田大作に

 

書状で面談を

 

申し入れられ、

 

その文末に「もし

 

御遷座を

 

強行するならば、

 

妙信講は護法のゆえに

 

これを阻止、ただ

 

一死を賭して在家の

 

本分に殉ずるのみ」と

 

記された。

 

 

ここについに学会代表

 

との法論が実現。

 

一〇月一二日の正本堂

 

落成式を眼前にして、

 

最後の法論が常泉寺に

 

おいて、九月一三日よ

 

り同二八日までの間、

 

七回にわたって行われ

 

た。第六回の二七日に

 

至り、ついに屈伏した

 

学会代表は、聖教新聞

 

紙上に誑惑の訂正文を

 

掲載することを応諾。

 

 

かくて訂正文は

 

昭和四七年

 

一〇月三日の聖教新聞

 

第一面に掲載された。

 

正本堂落成式の九日前

 

であった。

 

「浅井昭衞先生追悼号」 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

 

 

冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

動画 | 冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)

 

 

 

 

 

 

誑惑の正本堂崩壊す!!(冨士大石寺顕正会) - YouTube

 

 

基礎教学書 第十章 - 御遺命守護の戦い | 顕正新聞社公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

冨士大石寺顕正会

 

会長・

 

浅井昭衞先生が

 

令和五年

 

十月十六日の未明、

 

安詳として

 

御逝去された。

 

御年九十一歳。

 

 

その御臨終は

 

御金言のままの

 

美事な

 

成仏の妙相で

 

あられた。

 

 

広布前夜、

 

第六天の魔王の

 

障碍により

 

正系門家の悉くが

 

御遺命に違背する中、

 

 

 

 

浅井先生は

 

身命を賭して

 

強烈なる

 

諫暁を重ねられ、

 

ついに

 

偽戒壇・正本堂を

 

崩壊にいたらしめ、

 

また

 

亡国迫る日本を

 

ごらんになり、

 

御遺命の

 

国立戒壇を

 

建立して

 

金剛不壊の

 

仏国を実現せんと、

 

まさに

 

命尽くまで

 

戦い抜かれた。

 

 

 

その尊く偉大な

 

御生涯を貫く

 

大精神は、

 

御本仏・

 

日蓮大聖人様に

 

対し奉る

 

大忠誠以外にはない

 

――。

 

会長浅井先生

 

「浅井昭衞先生追悼号」 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

 

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この大悲惨を

 

お救い下さるのは、

 

諸天に申し付ける

 

絶大威徳まします、

 

日蓮大聖人様

 

ただ御一人で

 

あられる。

 

 

ゆえに開目抄には

 

「我日本の柱と

 

ならむ……等と

 

誓いし願、

 

やぶるべからず」

 

との重大な

 

御宣言があり、

 

さらに新尼抄には

 

「諸人皆死して

 

無間地獄に

 

堕つること

 

雨のごとく

 

しげからん時、

 

此の五字の

 

大曼荼羅を

 

身に帯し

 

心に存せば、

 

諸王は国を扶け、

 

万民は難をのがれん」

 

と仰せあそばす。

 

 

「此の五字の

 

大曼荼羅」とは、

 

全人類に総じて

 

授与し給うた

 

 

 

「本門戒壇の

 

大御本尊」の

 

御事であられる。

 

 

この大御本尊を

 

一筋に

 

信じ奉るならば、

 

国主は

 

その国を扶け、

 

万民は

 

難をのがれる

 

ことができる――と

 

御断言下されている。

 

 

広宣流布は

一時に成る

 
 

そして

 

この亡国の

 

大闘諍が起こるとき、

 

いよいよ

 

 

 

 

日蓮大聖人様は

 

広宣流布を

 

あそばすのです。

 

それも

 

一時にあそばす。

 

 

 

 

すなわち

 

他国の責めを

 

眼前にして、

 

その恐ろしさから、

 

 

 

全日本人が

 

上一人より

 

下万民にいたるまで、

 

頭を地につけ

 

掌を合わせて

 

 

「助け給え、

 

南無日蓮大聖人」

 

南無妙法蓮華経・

 

南無妙法蓮華経」と、

 

声をつるべて

 

唱え奉る

 

時が必ず来る。

 

 

 

 

ゆえに上野抄には

 

「ただをかせ給へ、

 

梵天・帝釈等の

 

御計いとして、

 

日本国一時に

 

信ずる事あるべし」

 

 

とお示し下されている

 

のであります。

 

 

広布最終段階の

 

この重大御化導を

 

お手伝い

 

申し上げるのは、

 

 

御遺命守護のゆえに

 

解散処分を受けるとも

 

一筋の忠誠を貫き、

 

いま三百万の仏弟子の

 

大集団に成らんと

 

している

 

顕正会以外には、

 

断じて

 

あるべくもない。

 

 

 

このような時に

 

生まれ合わせたのは、

 

お互いに

 

何たる宿縁か。

 

 

早く

 

三百万を成し遂げ、

 

日蓮大聖人様の

 

御馬前に

 

馳せ参じたい。

 

 

さあ、全員が、

 

地涌の菩薩の

 

面目にかけて

 

力づよい

 

大折伏に立ち、

 

何としても

 

日蓮大聖人様に

 

応え奉ろうでは

 

ありませんか。以上。

 

「日本とはいかなる国か」特集号 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)

 

 

 

 

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諸天の働きですよ。

 

諸天が隣国の王に

 

自然と

 

このような思いを

 

懐かせるのです。

 

 

 

すなわち、

 

極限の大謗法を

 

する国があれば、

 

諸天は隣国をして、

 

陣列を整えて

 

その国を破壊せしめる

 

――ということです。

 

 

台湾有事と

朝鮮半島

有事

 

これを以て

 

これを思うに――

 

 

日本を包囲する

 

三国のうち、

 

ロシアと北朝鮮は

 

9月13日、

 

5時間にわたって

 

首脳会談をした。

 

これまで

 

プーチンは北朝鮮を

 

軽く見ていたが、

 

この会談には

 

30分も早く到着して

 

金正恩を出迎えた

 

という。

 

プーチンが30分も早く到着して金正恩を出迎えた。両国の連携により朝鮮半島有事が懸念される

 

その折、プーチンは

 

「両国の友好は、

 

手を取り合って

 

日本軍国主義を

 

打倒した1945年に

 

さかのぼる」などと

 

歴史的友好を強調し、

 

今後の相互の

 

軍事支援について

 

重要な取り決めを

 

したという。

 

これ歴史的ですね。

 

 

 

今後において

 

非常に重大です。

 

 

経済的苦境に立つ

 

両国が、

 

共に手を取り合って

 

相互支援をしようと

 

いうものです。

 

 

朝鮮半島有事

 
 

この際、同行した

 

ロシア国防相の

 

ショイグは

 

金正恩に対し、

 

ロシア・中国・

 

北朝鮮の三ヶ国による

 

海上合同軍事演習をも

 

提案したという。

 

実現すれば、

 

日本海での実施になる

 

とのことです。

 

 

ロシア政治に詳しい

 

筑波大学名誉教授の

 

中村逸郎氏は

 

この会談について、

 

こう論評している。

 

「国際社会で共に

 

孤立を深めている

 

プーチンと金正恩の

 

連携を甘く

 

見ないほうがいい。

 

北朝鮮が

 

韓国に対する

 

軍事的圧力を強め、

 

バイデン米大統領が

 

警戒する

 

台湾有事よりも先に

 

朝鮮半島有事が

 

勃発するリスクが

 

高まっている」と。

 

 

もし朝鮮半島有事が

 

勃発したら、

 

 

日本は直ちに

 

巻き込まれる。

 

容易ならざる

 

事態に陥る。

 

 

習近平の憂い

 

一方、

 

米国と覇を競っている

 

中国を見ると、

 

このところ

 

少し様子がおかしい。

 

国内では

 

不動産バブルの崩壊、

 

過剰債務の重圧、

 

若者の失業などが

 

重なって、

 

中国共産党の弱さが

 

さらけ出されている。

 

 

最近、

 

台湾周辺の空域に

 

24時間で延べ

 

103機もの

 

中国軍機を

 

飛行させたのも、

 

異常な力の

 

誇示であり、

 

行き詰まりつつある

 

経済がもたらす弱さを

 

払拭せんとしている

 

ごとくに見える。

 

 

そのうえ

 

中国はこの夏、

 

過去140年で

 

最大の豪雨に襲われ、

 

その記録的な

 

洪水は耕作地を

 

壊滅せしめた。

 

 

 

世界の人口の

 

5分の1を占める

 

中国でありながら、

 

耕作が可能な土地は

 

世界の9%しか

 

ないのです。

 

 

食糧危機は14億の

 

人民の反乱を招く

 

最大の要因となる。

 

 

過去140年で最大の豪雨に襲われた中国。耕作地の壊滅がもたらす食糧危機は14億人民の反乱を招く最大の要因となる

 

習近平の顔色が最近、

 

とみに憂いに

 

満ちているのは、

 

これら内憂のゆえ

 

かもしれない。

 

中国国家主席・習近平

 

追いつめられた

 

習近平が、

 

行きづまる前に

 

血路を開かんとして、

 

台湾侵攻を早める

 

可能性は充分ある。

 

 

 

諸天の治罰

 
 

すべては、

 

日蓮大聖人に背く

 

日本に対する

 

諸天の治罰の

 

現われなのです。

 

 

 

もし台湾有事と

 

朝鮮半島有事が

 

同時に発生したら、

 

アメリカの

 

尖兵的役割を

 

果しつつある日本は

 

直ちに巻き込まれ、

 

血祭りに上げられる。

 

 

 

中国をはじめとする

 

三国の核ミサイルの

 

攻撃を受ければ、

 

日本列島は

 

瞬時に壊滅する。

 

 

 

そしてこのとき

 

米国は、

 

国運を賭すること

 

までして

 

日本を守ることは

 

絶対にあり得ない。

 

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国立戒壇建立には、

 

その前提として、

 

仏法を根底とした

 

憲法の制定が

 

何より必要です。

 

 

それにはまず、

 

「日本とは

 

いかなる国か」と

 

いうことを

 

知らねばならない。

 

 

明治憲法も

 

現行憲法も、

 

これを

 

知らない者たち

 

が作ったのです。

 

 

日蓮大聖人の

本国


三秘広布根本の

妙国

 

では、「日本とは

 

いかなる国なのか」

 

――。

 

 

富士大石寺第二六世・

 

日寛上人は、仏法の

 

深意に基づき、

 

次のごとく御指南

 

下されている。

 

 

 

「日本国は、

 

本因妙の教主

 

日蓮大聖人の

 

本国にして、

 

本門の三大秘法

 

広宣流布の根本の

 

妙国なり」と。

 

日寛上人・依義判文抄(真跡)

 

いいですか――。

 

 

世界の

 

百数十ヶ国の中で、

 

久遠元初の自受用身・

 

末法下種の御本仏たる

 

日蓮大聖人が御出現

 

あそばされたのが、

 

この日本です。

 

 

まさに

 

日蓮大聖人の本国

 

なるがゆえに

 

日本というのです。

 

 

日蓮大聖人様の

 

御出現以前に

 

この嘉き名が

 

自然と立てられた。

 

 

この不思議を

 

日寛上人は

 

「嘉名早立」と

 

仰せられている。

 

 

また

 

全人類成仏の法体たる

 

「本門戒壇の

 

大御本尊」が

 

世界に広宣流布する

 

根本の妙国こそ、この

 

日本なのであります。

 

 

このことが

 

わかったら、

 

日本国の国主および

 

国民は、この

 

三大秘法を守護し奉る

 

義務に気づく。これを

 

守護付嘱という。

 

かくて、

 

国立戒壇建立の

 

御遺命成就に、

 

命かけて立つのが

 

仏弟子であります。

 

 

 

国立戒壇建立の

大精神

 

ここに

 

国立戒壇建立の

 

大精神について

 

申し述べます。

 

 

国立戒壇建立とは、

 

国家が権力を用いて

 

国民に強要する

 

ものでもなければ、

 

国家財政で建立する

 

ものでもない。

 

 

 

 

実に、

 

日蓮大聖人様を

 

恋慕渇仰し奉る

 

全国民の

 

総意に基づき、

 

国家意志の表明を

 

その手続として

 

建立される

 

ものなのです。

 

 

 

この国立戒壇建立の

 

大精神については、

 

私は八年前の

 

「基礎教学書 

 

日蓮大聖人の仏法」の

 

中において、

 

次のごとく記した。

 

 

「本門戒壇の

 

大御本尊は、

 

日蓮大聖人が

 

日本および全世界の

 

人々に総じて

 

授与された

 

大御本尊であられる。

 

 

かかる

 

全人類成仏のための

 

大法を、

 

日本が国家の命運を

 

賭しても守り奉る。

 

これが

 

日本国の使命である。

 

 

日本は日蓮大聖人の

 

本国であり、

 

三大秘法が世界に

 

広宣流布する根本の

 

妙国なるがゆえに、

 

この義務と大任を

 

世界に対して

 

負うのである。

 

 

かかる崇高な

 

国家目的を持つ国が

 

世界のどこに

 

あろうか。

 

 

 

人の境界に

 

十界があるごとく、

 

国にも十界がある。

 

 

戦禍におびえる国は

 

地獄界、

 

飢餓に苦しむ国は

 

餓鬼界、

 

没道義の国は

 

畜生界、

 

飽くなき

 

侵略をする国は

 

修羅界である。

 

 

 

 

その中で、

 

全人類成仏の大法を、

 

全人類のために、

 

国運を賭しても

 

守護し奉る

 

国があれば、

 

それはまさしく

 

仏界の国である」と。

 

 

 

これが、

 

国立戒壇建立の

 

大精神であります。

 

 

国立戒壇の建立

こそ日蓮大聖人

の御遺命

 
 

そしてこの

 

国立戒壇の建立が

 

日蓮大聖人の唯一の

 

御遺命であることは、

 

三大秘法抄と

 

一期弘法抄に

 

赫々明々。

 

また日興上人以下

 

歴代先師上人の文証に

 

太陽のごとく

 

明らかであります。

 

 

日蓮大聖人様は

 

三大秘法については、

 

佐渡以後に

 

始めてお説き

 

あそばされている。

 

 

 

三大秘法とは

 

「本門の本尊」と

 

「本門の題目」と

 

「本門の戒壇」です。

 

 

 

このうち

 

「本門の本尊」と

 

「本門の題目」に

 

ついては

 

佐渡において、

 

あるいは

 

身延御入山の後に

 

御説明あそばして

 

おられるが、

 

 

 

「本門の戒壇」に

 

ついては、ただ

 

名目だけを

 

挙げられただけで、

 

その内容は

 

秘しておられた。

 

 

それが御入滅の年の

 

弘安五年にいたって

 

始めて三大秘法抄に

 

おいて、

 

「本門戒壇」について

 

 

「戒壇とは、王法仏法

 

に冥じ仏法王法に

 

合して、王臣一同に

 

本門の三大秘密の法を

 

持ちて有徳王・

 

覚徳比丘の其の乃往を

 

末法濁悪の未来に

 

移さん時、勅宣並びに

 

御教書を申し下して、

 

霊山浄土に似たらん

 

最勝の地を尋ねて

 

戒壇を

 

建立す可き者か。

 

 

時を待つべきのみ。

 

事の戒法と申すは

 

是れなり。

 

三国並びに

 

一閻浮提の人

 

 懺悔滅罪の戒法

 

のみならず、

 

大梵天王・帝釈等も

 

来下して蹋み給うべき

 

戒壇なり」

 

とお示しになり、

 

そして御入滅の

 

ひと月前の九月に、

 

日興上人への

 

御付嘱状に

 

 

「国主此の法を

 

立てらるれば、

 

富士山に

 

本門寺の戒壇を

 

建立せらるべきなり。

 

 

時を待つべきのみ。

 

 

事の戒法と謂うは

 

是なり。就中

 

我が門弟等此の状を

 

守るべきなり」

 

と仰せられている。

 

 

いかにこの

 

 

「国立戒壇建立」が

 

重大事であり、

 

日蓮大聖人様の

 

究極の御遺命で

 

あられるかが、

 

よくわかりますね。

 

 

正系門家から

国立戒壇の

御遺命消滅

 
 

しかるに、いま

 

広宣流布の

 

前夜にいたって、

 

天魔その身に入る

 

池田大作は、

 

国立戒壇を

 

否定したうえ偽戒壇・

 

正本堂を建て、

 

そのうえあろうことか

 

「本門戒壇の

 

大御本尊」をも

 

捨て奉った。かくて

 

 

正系門家から

 

国立戒壇の御遺命は

 

消滅した

 

のであります。

 

 

 

これ以上の師敵対・

 

極限の大謗法はない。

 

これを見て、諸天は

 

隣国をして必ず

 

日本を罰せしめる。

 

 

「時に隣国の

怨敵…」

 
 

報恩抄には金光明経を

 

引いて、次のごとく

 

仰せられている。

 

 

「時に隣国の怨敵、

 

是くの如き念を

 

興さん。当に四兵を

 

具して彼の国土を

 

壊るべし」と。

 

 

―時に隣国の王が

 

このような念を

 

起こすであろう。

 

 「四兵を具して」

 

とは、今で言うならば

 

陸・海・空・宇宙軍の

 

部隊、その全陣容を

 

整えて、

 

「彼の国土を

 

壊るべし」

 

亡ぼそうとの心を

 

懐くであろう――と

 

仰せられている。これ

 

 

諸天の働きですよ。

 

 

諸天が隣国の王に

 

自然とこのような

 

思いを懐かせる

 

のです。

 

 

すなわち、

 

極限の大謗法をする

 

国があれば、

 

諸天は隣国をして、

 

陣列を整えて

 

その国を破壊せしめる

 

――ということです。

 

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仏法を

根底とした

十七ヶ条の憲法

 

見てごらんなさい。

 

聖徳太子は始めて

 

日本に仏法が

 

渡来したとき、

 

命かけてそれを

 

守ろうという

 

決意に立った。

 

そして

 

十七ヶ条の憲法を

 

制定し、

 

国家統一の基本原理と

 

しているでしょう。

 

十七ヶ条の第二条には

 

「篤く三宝を敬え。

 

三宝とは

 

仏・法・僧なり」

 

とある。まさに

 

政治の根底に

 

仏法を置き、

 

鎮護国家の

 

経典として、

 

法華経・勝鬘経・

 

維摩経を

 

定めたのです。

 

 

このように

 

仏法を根底とした

 

ゆえに、聖徳太子は

 

後世に輝く飛鳥時代を

 

築くことが

 

できたのです。

 

いいですか。

 

 

 

 

「万世一系の天皇」の

 

使命とは何か。

 

 

 

実に、

 

日蓮大聖人の仏法を

 

永遠に守護し奉る

 

ところにあるのです。

 

 

聖徳太子は

 

その重大使命が

 

よくわかっていた。

 

 

神を本とした

明治政府

 

しかるに明治政府は

 

「万世一系の天皇」の

 

深意を知らず、

 

またこの国に、

 

釈迦仏より勝れた

 

大事な本源の、

 

 

久遠元初の御本仏・

 

日蓮大聖人が

 

出現し給うたことをも

 

無視して、

 

 

 

神を本としたゆえに、

 

その後の日本は、

 

明治・大正・昭和の

 

わずか三代70数年で

 

敗戦の憂き目を

 

見たのです。

 

 

 

そしてこの敗戦国に

 

押し付けられたのが、

 

米国に依存しなければ

 

存立し得ぬことを

 

定めた「日本国憲法」

 

だったのです。

 

 

「戦争放棄」

 

その実態は、さらに

 

第九条を見れば

 

明らかです。

 

第九条には

 

「戦争放棄」が

 

次のごとく

 

定められている。

 

「①日本国民は……

 

国権の発動たる

 

戦争と、

 

武力による威嚇又は

 

武力の行使は、

 

国際紛争を解決する

 

手段としては、

 

永久にこれを

 

放棄する。

 

②前項の目的を

 

達するため、陸・海・

 

空軍その他の戦力は、

 

これを保持しない。

 

国の交戦権は、

 

これを認めない」と。

 

この第九条は、前文の

 

「日本国民は……

 

平和を愛する諸国民の

 

公正と信義に

 

信頼して、われらの

 

安全と生存を保持

 

しようと決意した」

 

との文言を承けての

 

条文です。

 

だがこれでは、

 

国家の存立は

 

不可能ではないか。

 

そうでしょ。

 

日本が戦争を放棄する

 

のは勝手だが、

 

もし他国が日本を

 

侵略して来たら、

 

どのようにして

 

国を守るのか。

 

このとき侵略者に対し

 

「わが国は戦争を

 

永久に放棄した。

 

したがって一切の

 

戦力は保持しない。

 

国の交戦権は認めない

 

ことになっている」

 

などと言うつもり

 

なのか。これで

 

国が守れるか。

 

 

まさに

 

無責任きわまる

 

憲法なのです。

 

 

ここに、

 

アメリカに

 

依存しなければ

 

存立し得ぬ

 

日本の実態が如実に

 

現われているのです。

 

 

 

 

このような憲法を

 

77年間 一字一句も

 

修正せずに来た暢気な

 

国が日本なのです。

 

 

 

なぜそのような暢気が

 

通用したのか。

 

これアメリカの

 

庇護を頼みとしている

 

からです。ゆえに

 

自ら国を憂える心を

 

日本は完全に失って

 

しまった。

 

 

 

これを「属国」と

 

いうのです。

 

 

早く

国立戒壇

建立の

実現を

 

だが、いまや

 

世界の情勢は

 

大きく変化してきた。

 

 

第二次大戦後、

 

アメリカは経済・軍事

 

において文字どおり

 

「世界の一強」で

 

あったが、その力が

 

いまや衰えてきた。

 

 

一方、アメリカと

 

対抗している

 

軍事独裁国家の中国・

 

ロシア・北朝鮮は、

 

すでに

 

核の超大国であり、

 

その軍事力は月々日々

 

に増大しつつある。

 

この三国はアメリカ

 

中心の現在の

 

世界秩序を覆し、

 

世界の覇権を

 

奪わんとしている。

 

 

かくて

 

「前代未聞の大闘諍」

 

と日本への

 

「他国来難」が、

 

いよいよ迫りつつ

 

あるのであります。

 

 

根本原因は

仏法違背

 
 

その根本原因は、

 

まさしく

 

仏法違背にある。

 

 

 

御在世の日本を

 

見てごらんなさい。

 

一切衆生を仏に

 

成さんとする

 

大慈大悲の

 

日蓮大聖人に

 

対し奉り、

 

当時の日本は

 

流罪・死罪を以て

 

迫害した。

 

 

諸天はこれを許さず、

 

隣国をして

 

日本を責めしめた。

 

これが

 

大蒙古の責めで

 

あった。

 

 

 

それより七百年――。

 

日本の人々は未だに

 

日蓮大聖人に

 

背き続けている。

 

 

 

就中、正系門家が

 

天魔その身に入る

 

池田大作に

 

たぶらかされ、

 

唯一の御遺命たる

 

国立戒壇を否定して

 

偽戒壇・

 

正本堂を建て、

 

そのうえ池田大作は

 

戒壇の大御本尊をも

 

六百万学会員に

 

捨てさせ奉った。

 

 

 

諸天いかで怒りを

 

為さざらんや――。

 

 

ここに

 

「前代未聞の大闘諍」

 

「他国来難」が刻々と

 

日本に迫りつつ

 

あるのです。

 

 

早く国立戒壇の

建立を

 
 

この人類絶滅の

 

大戦乱から、

 

日本を、世界を、

 

お救い下さるのは、

 

大慈大悲と絶大威徳

 

まします日蓮大聖人

 

ただ御一人で

 

あられる。

 

 

これを知る我ら

 

門下の弟子一同は

 

ただ

 

随力弘通に徹して、

 

日蓮大聖人の大恩徳を

 

早く全日本人に

 

教えなければ

 

いけない。

 

早く、日蓮大聖人様の

 

唯一の御遺命たる

 

国立戒壇建立を

 

実現しなければ

 

いけない。

 

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