ユーミン「守ってあげたい」
【四海波静】は
能『高砂』の一節。
夫婦愛と長寿を愛(め)で、
人世を言祝(ことほ)ぐ、
おめでたい能です。
地の【四海波静】の後、
能の最後のほうで結婚披露宴の
定番の一つ『高砂や~・・・・』が謡われます。
『高砂』の作者は世阿弥です。
世阿弥の著書に『風姿花伝』が
あります。
『 風姿花伝』とは
『風姿花伝』は、世阿弥が書いた本であると先に述べましたが、実はその内容は世阿弥の父である観阿弥の教えとなっています。
観阿弥が世阿弥に伝え教えていったお能の芸論を、世阿弥が子孫のために書き留め、編集した物が『風姿花伝』なのです。
まだ芸事のマニュアルが無かった時代に、世阿弥は20冊以上もの能楽書を書きました。
『風姿花伝』はそのうちの初期の頃の作品で、代々秘伝書として守られ門外不出でしたが、明治時代になってからは一般の方でも読むことが許されるようになりました。
おかげで現在では、私たちも本屋や図書館から入手して読むことができます。
しかし、なぜお能の芸事のために書かれた室町時代の指南書が、お能に関わりのない人にも長年読まれ重宝されているのでしょうか?
その理由は、世阿弥の説く、その論理が一般的にもとても役立つとされているそうです。
⭐️世阿弥の珠玉のことばの中から、
代表的なものをご紹介します。
初心忘るべからず
誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違うようです。
世阿弥にとっての「初心」とは、
新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。
つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。
世阿弥は、風姿花伝を始めとして、度々「初心」について述べていますが、晩年60歳を過ぎた頃に書かれた『花鏡』の中で、まとまった考えを述べています。その中で、世阿弥は「第一に『ぜひ初心忘るべからず』、第二に『時々の初心忘るべからず』。第三に『老後の初心忘るべからず』」の、3つの「初心」について語っています。
「ぜひ初心忘るべからず」
若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。
「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。
「老後の初心忘るべからず」
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。
このように、「初心忘るべからず」とは、それまで経験したことがないことに対して、自分の未熟さを受け入れながら、その新しい事態に挑戦していく心構え、その姿を言っているのです。その姿を忘れなければ、中年になっても、老年になっても、新しい試練に向かっていくことができる。失敗を身につけよ、ということなのです。
今の社会でも、さまざまな人生のステージ(段階)で、未体験のことへ踏み込んでいくことが求められます。世阿弥の言によれば、「老いる」こと自体もまた、未経験なことなのです。そして、そういう時こそが「初心」に立つ時です。それは、不安と恐れではなく、人生へのチャレンジです。
最後に、こちらをご紹介💁♀️
🔺
終われないので、リンクを
探しました。
能、どこまでも深いので
何ページ書いても終われません。
部屋を暖め過ぎて のぼせるほど
入り込み、、、
アイスティー♡にしました。
お疲れさまです。
お茶をどうぞ ♪───O😁O────♪
四海波静のイメージ netよりお借りしました。
月はのぼるし、陽はしずむ〜
美しい姫神演奏、寝落ちしてしまいそで💦
あ、天の声がお迎えにきてくれたので
出ます!エアコン止めて!部屋が暑っ