【駄文】働くってのは「はた」を「らく」にすることだと | ●○ 駄文2.0 ○●

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大阪 → ホノルル → ロンドン → ボストン。日々の由無しごとや思いついた事だとかを。

イギリス人にとってのJOBと、日本人にとっての「仕事」という言葉の間には、思ったより大きな認識の隔たり、について。

ぼくは日本語でいう仕事というのは、まず、個人のアイデンティティにより強くリンクしていて、自分の仕事に対して、責任を負っていることは、ある意味(ど ちらかといえば)ポジティブな感覚だと思う。もちろんそうでない人もいるんだけど、そうでない人は社会通念的に無責任な人として判断される。

こっちの人を見ていると、社会的なランクの低い人がする仕事(対人オペレーション)に接することが多いから、というのはあるのだろうけれど、JOBっての はすごくイヤな義務であるかのように思える。お金もらうためにこの義務を受けてやったのだから、やらなきゃ仕方ないかと。

次に違うのが、何を以って仕事をするかって感覚。ぼくは、仕事って、何か必要な結果があって、そのために発生するわけだから、何かを成し遂げて初めて仕事をした、と認識するものだと思いたいんだけど、日本では普通なんじゃないかと思う。

例えば、スーパーのレジで働いてる人の仕事って、具体的には「レジを打つこと」「お金をもらって、お釣りを渡すこと」かもしれないけど、暗黙の了解として (あるいは明示されてることもあると思う)、その作業を通じて顧客に好印象を与えるか、せめて不快感を与えない、お店の役に立つ、みたいな認識があると思 う。そうやって貢献した「結果」として報酬が得られるものだと思う。

こっちではどうかと言うと、報酬は、時給×勤務時間。言われた時間そこにいて、言われた通りの作業をしたのだから、結果お客が怒ってようが何だろうが、仕事は仕事でしょう、と。スーパーやお店のレジでも、行列ができているからって、急ごうとしているスタッフを見たことがないし。

何か問題があれば「わたしはわからない」ってすぐ言うのも、視点は自分の業務分掌にあって、余計なことを押し付けるな、というのが本音。もちろん相手がお客だとしても、個人としての自分(労働者)と目の前の人間(知らない人)は対等だし、別に親切にしてやる義理も無い。

もちろん、単純にぼくが、(日本人が)望んで得た仕事と、そうじゃない(イギリスの)JOBっていう、比較対照にならないモノを比べてるのかもしれないけど。

それでも思うことは、日本の接客業のマニュアルの徹底って確かに気持ち悪い部分もあるけれど、大切なのはマニュアルを通じて、顧客優先の意識だとか、周囲に貢献しましょうだとか、仕事ってのは単なる時間の切り売りではありません、という認識であったり価値観が、(こっちに比べればはるかに)共有されていることだと思う。