【カルチャー】カルチャーの授業のこと | ●○ 駄文2.0 ○●

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大阪 → ホノルル → ロンドン → ボストン。日々の由無しごとや思いついた事だとかを。

木曜日のカルチャーのディスカッションのクラスに、DebordのSpectacleかBaudrillardのSimulationの例となる、絵か写真か何かを持ってこいと言うことだったので、日本でも以前話題になった、Second Lifeの画像をプリントして持っていった。

セカンドライフは、インターネットを使った仮想空間で、自分の分身(アバター)を使ってなんか知らないけどいろいろできる、らしい。特にシナリオが用意されているわけでもなく、思うがままにぶらぶらしたり、飛んだり(飛べる)、おされしたり、何か作ったり、というのが遊び方(暮らし方?)。ぼくは一時期英語でチャットできるのが便利だと思って登録していたのだけど、すぐに飽きてやめてしまった。

要するに、現実世界からの逃避じゃない?というのがよくある批判で、それは否定できない面もあるのだけど。でも、人によっては、この中の仮想世界と現実の世界に差がなかったり、あるいは仮想世界の方が現実社会よりもリアルである、ということが実際に起こっている、と思う。

引きこもってる人やネット依存の人っていうのも1つのタイプ。例えば「一生懸命、長い時間をかけて、きれいな自分になりました。出会った人にきれいだねと言われました。とてもうれしく思いました。これまでになかった体験だからです」と。さて、割とイタイ人の描写ではあるけれど、この「きれいだと言われた」ことだとか、「うれしいと感じた」ことっていうのは、別にリアルでもバーチャルでも大差ないんじゃないかと思ったり。

リアルが存在しなくてもイメージが社会を構成するってBaudrillardが言ってた(とアンドリューが講義で言ってた)と思うんだけど、つまりは現実であるかイメージであるかっていうのが、まるで重要じゃなくなっているセカンドライフ引きこもりの状態は、これに近いのかしらと。

で、引きこもりと別のタイプでは、この中で創作活動を行ってるアーティストにとっても、このセカンドライフの空間というのは、リアルよりもリアルなのではないかと。現実には見つけにくい発表の場があって、単なるネットよりも集客がしやすくて。要するにイメージ(Simulation)が現実を超える、というBoudrillardが主張した(とぼくは解釈している)世界観に近いのかなと。講義でアンドリューは、映画マトリックスを例に挙げたけれど、それが映画じゃなくて現実世界でネットを通して見られるという点で、マトリックスよりも面白いんじゃないかと考えた。

でも、さらにおもしろいのは、このセカンドライフが現実とリンクしていること。仮想世界の通貨が、USドルに換金可能だから。企業が求人活動をしていたり、販売店を持っていたり、大学が公開講義を行っていたり、と要するに引きこもりの逃げ場所ではない・・・面もある。イメージというか仮想空間がリアルよりも重要になる理由として、リアルとつながっているから、というは矛盾してる気もする。

とりあえずアタマを整理しないままに書くとこういうことになるし、カルチャーの授業について考えるときには、めったにアタマは整理できない。