【留学】苦手な科目について考えるとこうなってしまう | ●○ 駄文2.0 ○●

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大阪 → ホノルル → ロンドン → ボストン。日々の由無しごとや思いついた事だとかを。

カルチャーの授業のエッセイというのは、どうにも興味の対象ではないので、いつもアイデアをまとめるまでに時間が掛かってしまう。今回のテーマは、グローバライゼイション。とても広い・・・。「カルチャーがグローバルになることで、個人の知恵や経験は豊かになる。是か非か議論せよ」と、好きなことを書けてしまいそうな課題設定なのだけど、もちろんこれは過去の講義内容に基づいた出題なので、そこを汲み取らずに自由に作文しても評価してもらえない(ちなみに教官はマルクス主義者が好きなので、階級闘争やパワーの対立みたいな内容は必須)。

この問題の背景には、Globalisationによって、世の中が経済的・物質的に豊かになり、個人の選択肢が増える、という比較的肯定的な見方と、現在のGlobalisationというのはWesternisation(西欧化)であって、西欧的価値観の一方的な押し付けに過ぎない、という比較的否定的な見方があるわけで。

ぼく個人としては、便利ならソレでいい。という至って適当な感覚でいるのだけど、今の大学的には(マルクス主義者が多いと思う)、アンチ・アメリカ化の傾向が強い。RitzerはこれをMcdonaldisation(マクドナルド化)と呼んでいたり、BarberがJihard vs McWorld(ジハード対マクドナルド化)なんて本を書いていたりするのを取り上げて、経済力を背景とした単一的な価値観の押し付け(あるいはそう受け取られるもの)が、原理主義者の反発を生んでいる、と。

マスメディアを通じてこの画一的な文化(らしきもの)が伝えられて、その目指しているものは経済的な価値だ、とAdornoは言って、これをCulture Industryと呼んだ。文化そのものではなくて、文化を使った産業だ、と。Adornoは、ナチスドイツの全体主義的から逃げて、自由の国であるはずのアメリカに渡ったんだけど、そこでハリウッド映画だとか、巨大な広告だとかを見て、これも全体主義的だとショックを受けて、思い切り悲観的になったらしい。

あと昨日の講義ではDebordとBaudrillardの対比。これもエッセイの内容に関わってくるらしい。共通点としては2人ともフレンチで、Imageの重要性を説いた点。でも違いはたくさんある。違いの方が大きい。

ModernistのDebordは、世界は進化していくものだという前提に立っていて、今後の世の中では物質そのものではなく、それが持つImage(Spectacle)が全てになる、と。何らかのCapital(資本)が目に見えるレベルまで積み重なってSpectacleになる、とかややこしいことを言ってるのだが。
個人的に解釈すれば、ブランドバッグが世界中で手に入るようになって、重要なのはその材質だとかデザインの良さではなく、それが高級品だとどこででも認識されるようになれば、その作り上げられたイメージが世界を構成するようになる、とかって意味だと思う。物質ではなく、そこに付随するイメージが重要だ、と。

Globalisationの一例として、McDonalds'の普及を挙げるならば、これもハンバーガーという物質の普及ではなく、マックが象徴する「イメージ」というかSpectacleが普及する、そしてローカルな価値観と対立する、さらには破壊する、みたいに解釈すればいいのかしら。

このDebordの認識は面白そうではあるけれど、Baudrillardと決定的に違うところがある。Modernistっていうのは人類は進歩してきたし、進歩していくのだ、という認識に立っているので、日々のコミュニケーションにおけるSpectacleが世の中を変えていく(Revolution)みたいなことを言っている。正直、よくわかんなかったので説明できないんだけど。
一方のBaudrillardはPost-Modernistなので、世界はこんな風に進歩してきたし、今後もしていくのだ、的な考えを批判する。個人的な理解としては、イメージの重要性(物質よりも)を重視するが、それと進歩だとかいう概念を一緒にして考えない、というスタンス。Imageというか、Simulationと彼は呼んでいるんだけど、そのイメージ>リアリティ、現実なんてどうでもいいじゃん、みたいな雰囲気だ。

教官がMatrixを事例として挙げた。現実ではカプセルの中で養殖されてるんだけど、Matrixの中ではヒーローだったり。彼らにとってはイメージ>リアリティなわけだと。別の例としては、スーパーのりんご。不自然にきれいなりんごは、赤くって艶があって新鮮で、ある意味、非現実的だと。でもそのイメージの方が、りんごという現実よりも重要で、人々はその美しくて清潔でラブリーなイメージを買うわけだと。だからイメージ>現実なのだとか。

おもしろいのは、Matrixの世界では初めSimulation>Realityなんだけど、やっぱアメリカの象徴ハリウッド映画だけあって、結局はヒーローの活躍によってRealityが変わる、そして人々は自由を勝ち取るのだ、みたいなストーリになっちゃってること。Post-Modern的な導入から、やっぱModernism全開、人類の進歩バンザイ的なオチが付いている。

ええと、話がどこからずれたのかわからない。きっとBaudrillardが悪い。カルチャーの課題について考えようとすると、いつも話がこんがらがってしまうのだ。いつも同じだ。エッセイ書けるんかなぁ・・・。

GlobalisationはMass MediaによるImageの普及であるので、個人の経験を豊かにするのではなく、逆に画一的にするのだ、とそういう批判は可能だな、という今日のところの結論。アタマが痛い。