【留学】カルチャーの授業と教育 | ●○ 駄文2.0 ○●

●○ 駄文2.0 ○●

大阪 → ホノルル → ロンドン → ボストン。日々の由無しごとや思いついた事だとかを。

カルチャーに関する授業のテーマが前回は教育。

教育とは文化を伝達する手段である、と定義した人がいるらしい。彼または彼女の所属する社会に適応するための価値観だとか知識を与えることが教育である、と。

それで言うと、日本や韓国の受験戦争(今どうなってんだか知らないけど)も、子供たちを社会に組み込むための方法だと解釈することは可能で、学校はそのための機関であるということになる。

社会というシステムに子供を組み込むということは、既存の権威を守るということでもあるわけなんだけど、学問ってのはその性質上、理性で以って権威を疑うような部分があって、だからこれを皮肉って言うことには、教師は生徒に優秀であって欲しいが、一方で自分の権威を疑い得るほどの知性は持って欲しくないのだ、と。

とりあえずこの一方通行的に知識を伝達する教育を、バンキング・アプローチと呼んでいて(知識を積んでいく感じ)、対照的なのがProblem-postingアプローチだと。後者の意味するところで、教育は双方向でなければならない、と。

一方通行の教育(講義による)ではなく、コミュニケーションにより、教師も学ぶことができないといけない、と。これは「子供たちの素直さに学ぶ」とかいう話ではなく、知識に基づいて、生徒の発言に合理性があればそれを認めるべきである。権威は人に宿るのではなく、知に宿るべきである、と言うこと。

確かに聞こえは良かったんだけど、反対意見が出てこなくて面白くなかったので、例えば問題提起のアプローチを手段としては用いつつ、結局は自分の思っていたところへ話を持っていくような教師もいるよね、とひねくれたことを言ってみたら、教官がすごく喜んでくれた。

例えば、塾の先生が決まった数学の問題を解かせるときに、一方的に正解を解説しようが、生徒に意見を出させつつも、結局は正しいとされる解法に授業を持っていくなんてのは良くある話だもの(ぼくはソレが得意だった)。

個人的な意見としては、確かに問題提議とアウトプットによる学習というのは定着率が良いと思うのだけど、烏合の衆だと酷いことになることもあると思う。そもそもレクチャーを聴けない、聴いても分からないという対話のレベルが人間が集まると、とりあえず授業まじめに聞いてくれとことになるので、どっちにしても一長一短かと。