【駄文】たららん | ●○ 駄文2.0 ○●

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大阪 → ホノルル → ロンドン → ボストン。日々の由無しごとや思いついた事だとかを。

日本人はどうしてみんな写真を撮るときにピースサインなんだ?と、同居人たちが聞くけれど分かんない。小さい頃にピースサインをしなさいって言われた気がするし、今でもみんなそうするから合わせてる気がする。つうかアメリカ人だってチーズって言うじゃないか、と答えた。

後から思えば、これはCustomなんだよな、と。ごはんを食べる前の「いただきます」みたいなもの。他の動植物の生を奪って生かされてることへの感謝だとか言うけれど、実際はそんなこと考えてなくて習慣として両手を合わせる。合掌。

そういえばうちの高校は仏教系だった。弘法大師の開いた種智院という学校の後身なのだと教師たちは言ってた。合宿等でみんなでごはんを食べるときには、決まった食事作法(ジキジサホウ)というものがあり、みんなで感謝の言葉を述べた。

御光(ミヒカリ)のもと、我今、幸いにしてこの清き食をうく。
謹みて父母の御恩を思い、品の多少を選ばじ。

御光っていうのがきっと仏の教えだったり、この世の中だったりのこと。これと父母の恩によりて、ぼくらは神聖なるメシを食えているという意味だと思う。100人からの男子高校生が並んで両手を合わせこれを唱えるのは、さぞ異様な光景だったろう。

異様な光景といえば、大学の1-4年生の時間の大半を費やしたアカペラの練習風景というやつも、今思えばとても不思議な光景をつくりだす。20歳そこそこの男子5-6人が輪になって歌ってるのだ。しかも伴奏無しに。こいつら大学に何しに来てるんだと、ぼくだって思ったに違いない。

アカペラの場合、異様な光景を緩和するのが歌声だったと思う。ちゃんと和音が鳴ってるときの感覚というのは、他の何とも違う快感で、あれはかなり密接なコミュニケーションだ。おかしな話、エロくさえある(そうか?)

さて、合掌ではなく、合唱というものは、西洋にも東洋にも存在する。アンサンブルっていうのは西洋で発生したに違いないと思うんだけど、東洋でだってお坊さんたちは古くから声を合わせてお経を唱えてた。ひょっとして、西欧では違った音階を重ね合わせてたのに対して、東洋ではユニゾン(同じ音で合唱)してたのかなと思うんだけど、ソースがないからわかんない。

あー。今日は要らないことを書いてみたい気分だったのだ。