大学進学の意味は何か?文字通りのアクティブラーニングを必要だと感じる | ふくきゃぷてんの日記

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日常から離れて雑記をツラツラと。

 

何のために大学進学しているの? 

 

最近、話をしていて現在アラフォーの友達が約20年前に大学に進学したという話を聞いた。
その人の職業や今やっていることから考えると学問は恐らく今の生活にあまり活きていない。
 
1,2年前に同僚のお子さんが高校3年生で大学受験をするという話を聞いた。
聞くと勉強をしたい(させたい)わけではなく
社会勉強や思い出づくり的な意味で進学させてやりたいとのこと。
 
ここ数日以内でもあるblogで今大学4年生で云々という話を見掛けたが
その筆者のやっていることと学校で学んでいることはリンクしているように見えなかった。
 
ちなみにここで言う大学での学びとは、学んだテーマそのものが役に立つ立たないも大事だけど
それだけでなく、学び方を学ぶとか、実験の仕方を学ぶとか、要件定義の仕方を学ぶとか
もう少し抽象度を上げた学びでも良いと思っているのだけど
意外とそれすら学ばずに学位をもらってくる人が多い印象なんだよなぁ・・・。
 

学歴はザックリ判断のリトマス試験紙にはなるけど、それ以上でも以下でもない 

 

今でこそ採用活動の前線からは離れたけど
少なくとも当社の規模の場合、学歴フィルターで応募者を間引く必要もないので
純粋に選考内で学生さんが話す内容を基に、ある尺度で判断をさせてもらっている。
(余談だが、大手企業を受ける時に学歴フィルターを通過して来る以外にもやり方はあるから
 そもそも自分の学校名でフィルターを通過している人は就職後、大きな活躍は難しい)
 
また、採用面接をくぐり抜けて入社してきた新入社員さんと話や仕事をしていて
その人の学生時代の学びが活きてるな~と思うことが本当に稀だと感じる。
 
もっと言うと、私は初対面の相手へ変なバイアスが入らないように
採用の時も仕事をする時も学歴は見ない・聞かないか、
後から答え合わせ的に見る・聞くようにしている。
 
その時に、学歴が高いと物事をキッチリ進める姿勢が備わっている割合が高いとか
人としてのモラルが高いことが多いというような相関を感じることはあるが
あくまでも各学校や学部の偏差値とこれらの指標を散布図でプロットした時の近似曲線がそのような傾向なだけで
近似曲線より上の人も下の人も居る印象であり
最終学歴や学校名はザックリ散布図のここらへんにいる人だということを示してくれており
その意味で手軽にザックリ把握することに多少役に立つが、
バラツキが大きい印象を受ける。
 

文字通りActiveにLearningすると良いのにな 

 

こんな風に考えてくると大学で学んだことが活きている人は良いとして
大学で学ばない人が20歳前後の4年とか掛けて大学を卒業して、
最終学歴や大学名を得る意味ってなんだろう?と思う。
 
その4年間を使って興味あることを探求するとか
とりあえず仕事しながら興味関心の針がどこに向いているのか考えてみたら良いのにと思う。
 
最終学歴が何であれ
「今、私はこれに興味がある」というものを明確にして学ぶことが習慣化している人は
何も問題なく、仕事できている(ように見える)し、仕事相手として違和感がない。
アクティブラーニングという言葉がでてきて久しいが
本当の意味で日常に対して興味関心を持ち、
乗り越えたい壁に着目して、
そのための手段について興味を持って調べて進んでいく、
そのために学校で学ぶことが必要なら学校へ行く、という流れになれば
教える方も習う方も送り出す方も、みんなにとって有益になるのになと思う。
 
特に理系で実験が必要なことや基礎分野の研究は費用対効果が合わないので
個人では無理だし、仕事の中でもなかなか会社からお金を出してもらえないということを踏まえると
日本という国の国力を上げる意味で、学校という場所で学ぶことに意味はあると思う。
 
「みんなが行くから私も行こう」という大学はそろそろ止めた方が
全員のために良いのになクローバー