書類入れから昔の搭乗券が出てきた。
親が福岡に住んでいた頃で、
頻繁に往復したことを思い出した。
当時の記憶が懐かしく甦る…。
ANAなどという呼び方は無くて、
全日空と略されていた頃だ。
スカイメイトで搭乗したが、
早朝に空港へ行って、
空席があると乗れた。
座席はコンピュータ管理でなく、
搭乗前にカウンターの一覧から、
空いている席を確認して、
搭乗整理券に座席番号のシールを
貼り付けてくれた。
太宰府天満宮や博多どんたくの絵が、
JTBのカレンダーの絵みたいで、
なかなか秀逸だと思う。
「禁煙席」のチケットは1枚しか無かった。
「禁煙席」が少なかった時代なので、
スカイメイトで獲り辛かったのかもしれない。
機内は煙で霞んでいたことを思い出す。
次は日本航空のチケットだ。
JALとは呼ばずに、日航と言っていた。
英表記の略号を使うようになったのは、
ずっと後のことである。
日本航空は、シール貼付でないが、
やっぱり一覧表から座席を決めた。
搭乗口で機械に入れると、
自動で半券が切り取られるのは、
もっと後の話であり、
当時は手作業で半券を切り取っていた。
ボーディング・ブリッジなど無い時代で、
ジャンボ(B747)でも、
搭乗機までバスで誘導された。
前後の搭乗口によってバスが異なり、
チケットの丸印は間違えないように、
わざわざ印を付けてくれたのだと思う。
今振り返ると、超アナログの世界だった。
ちなみに全日空はトライスター、
日本航空はDC-10よりもジャンボに
多く乗ったことを覚えている。
トライスターの大きなエンジンの、
ロールスロイスのロゴが懐かしい…。
トライスターは無事故機だったし、
DC-10は垂直尾翼のエンジン爆発があり、
問題のある機種だと友人が言っていた。
それが乗り分けた理由だ。
DC-8も就航していたが、
オーディオが無かったために乗らなかった。
ジャンボは御巣鷹山の事故が起こる以前で、
安全な機種だと信じられていた…。
さて、今はネットで24時間予約可能だし、
オンラインで座席指定まで出来て、
当日、空港でタッチすれば、
簡単に搭乗することが出来る。
比べて、昔は面倒くさかったが、
「飛行機乗るぞ!」という感が強くて、
ワクワクしたことを覚えている。
不便だったが、思い出深い搭乗だった…。