復刻版

復刻版

栄光より挫折、成功より失敗、勝利より敗北…。

アクセスくださいまして、誠に有難うございます。

 


高市首相のゴールデンブックのサイン、
失礼とか言っているが、
私にはどこが失礼なのか、
全く判らない!!
誰か教えてほしいものだ。

例えば、漢字の楷書体で、
書かなければならない場所に、
崩して書いたとしたら、
失礼なのかもしれない。

しかし、英語のサインなど、
私にはどれもミミズが
ぐしゃぐしゃと
這ったように見えてしまう。

何と書いてあるのか
全く読めないものが多いが、
それでも立派に
「サイン」として成立する。

すなわち、本人がサインとして、
先方が認めれば、
サインに違いないだろう。
例え、「へのへのもへじ」でも、
サインになり得ると思う。


「へのへのもへじ」を書いたら、
日本人はバカにしてる、
と文句を言うかもしれないが、
外国人には分からないのだ。
なら構わないではないか。

これは極論だが、
外野がガタガタいう話ではない。
それにしても、本件のように、
高市首相を快く思わない連中が、
ここぞとばかりに
どうでもいい難癖をつける。

「信じられない」
と見出しに記されているが、
文句を言う奴が信じられない!
「いい加減にしろ!」
と呆れてしまうのだ。
私が変なのだろうか?

中央線で東京方面に向かう時、
市ヶ谷を過ぎた辺りで、
左手の土手に目が向き、
思わず並ぶビルを見てしまう。

そこには、かつて
「CBSソニー」
と看板が掲げられた、
黒いビルがあったからである。

CBSソニーは、歌謡曲なら
天地真理や南沙織、
浅田美代子など、
当時のアイドルたちの
代表的なレコード会社だった。

また、クラシック音楽なら、
ワルター、オーマンディ、
バーンスタインやセル、
ホロヴィッツなど、
錚々たる巨匠の盤を出していた。

アイドルも巨匠たちも、
私の聴く音楽の
中心的な存在であり、
憧れの眼差しで、
市ヶ谷の黒いビルの看板を
眺めていたものだ。

そして、時代は移ろい、
CBSソニーの名は姿を変え、
今では別のブランドへと
受け継がれている。
看板も忽然と消えた…。

ある時、気付けば、
Musashino Art University
の文字が付けられている。
CBSソニーのビルは、
「武蔵野美術大学」の校舎へと
変わったようだ。

レコードはCDに変わり、
CDすら役割を終えつつあり、
音楽ストリーミングサービスの時代
へと移行している。

そんな時代になっても、
CBSソニーのことは、
私の記憶の中に、
強く残り続けているのだ。
憧れの気持ちは、
今も変わらない…。

今年のゴールデンウィークは、
実感がないまま入り、
何となく時間が過ぎ去り、
最後の日になってしまった。

それでも、友人二人と会い、
八王子古本まつりにも行き、
そこそこの予定を入れて、
毎日を過ごした。

そのような一方で、
「充実していたか?」
と問われたとしたら、
決して充実していたわけでなく、
気持ちは消化不良の状態だ…。

今年も旅行は敬遠したが、
行きたいと思う反面、
行ったら行ったで、
疲労は蓄積するし、
何せ帰るのが億劫になる。
故、その点は良かった。

でも、充実していない、
消化不良の状態は、
何が起因しているのか?
私にはよく分からないのだ。

そして、明日より、
普段通りの日常に戻る。
連休が終わる寂しさというより、
何かを置き忘れてきたような、
妙な物足りなさが漂う。

人は案外、忙しさよりも、
満たされない時間の方を、
引きずるのかもしれない。
過ぎ去った連休の余韻が、
静かに心の片隅に残っている…。

 

 

この記事の見出しを見て、
「ラーメンが3,000円!
ふざけるな!」
と感じたのだが…。

私は、ラーメンが好きだが、
「真のラーメン好き」
ではないのかもしれない。
並ぶのは嫌だし、
高いラーメンも拒否!

全国のラーメンファンを
敵に回すかもしれないが、
私の考えの中では、
所詮、「ラーメンのくせに」
という食べ物なのである。

そんな考えの持ち主なので、
冒頭に記したような、
「ラーメンふざけるな!」
となってしまうのだ。

そして、怪訝に感じながら、
この記事を読んだら、
ほとんど終りの近くに、
納得の内容が記されていた。

前菜がキビナゴの南蛮漬け、
ご飯として鶏飯、
デザートも付くという。
なら、高くないではないか!

確かに見出しには、
「フルコース」
と記されているが、
出汁に使う魚の種類がフルコース
だと勘違いした…。

鹿児島ラーメンも高騰し、
今や1,000円超えも当たり前!
その上、3,000円???
だが、キビナゴに鶏飯、
さらにデザートまで付くなら、
話は別である。

先ほどまで
「ラーメンふざけるな!」
と憤っていた私が、
今ではすっかり
「ちょっと食べてみたい…」
と思っているのだから、
我ながら現金だと思う…。

 


新聞の投稿欄とは、本来、
一般市民の率直な意見や
多様な価値観を
載せる場であるはずだ。

新聞社の思想を
補強するための
「都合の良い声」を
並べる場所ではない。

一方で、上掲の記事で
問題視された投書は、
亡くなった方の思いを、
まるで代弁するかのような
異常な内容だった。

そして言葉の向かう先は、
まるで特定の主張へ
読者を誘導するように映る。
ここに問題の本質がある…。

言うまでもなく、
亡くなってしまった人の
本当の胸の内など、
誰にも断定できるわけがない!

それを第三者が
「こう語っているはずだ」
と決めつけること自体、
極めて不自然であり、
故人に対する冒涜であろう。
決して看過できない…。

そして、もっと不可解なのは、
こうした文章が、
編集のチェックを通り、
紙面に載ったという事実だ。

本当に「単なる投稿」なのか?
新聞社のイデオロギーや願望を、
読者の声という形に仮託して掲載した
私は、そのように疑う…。

結果、掲載後に批判が殺到し、
謝罪と削除に追い込まれた。
この異常さに対して、
当然のことだといえよう。

本来、読者欄は、
新聞社の思想や主張を
読者の声に仮託して伝えるための
舞台であってはならない。

もしそうであるなら、
それは報道ではなく演出であり、
世論形成ですらなく、
単なる思想の押し売りである。
沖縄の新聞は、本件のみならず
毎度、この傾向が強い!

新聞の本来の姿とは、
読者を導くものではなく、
事実を伝え、
判断を委ねるものであるべきだ。

それを自ら欺いているからこそ、
「マスゴミ」と揶揄され、
読者は静かに離れていく。
大いに反省することを望む…。
少なくとも、ご遺族に寄りそう
正しいことを載せろ!