月イチの連休を利用して奈良県にある大和郡山城へ攻城してきました🚙

奈良県は隣りの県なので高速を使わなくても2時間ほどで行けるところです^_^






郡山城は大和国の武将・筒井順慶が

初代城主となりました。
順慶の死後は、養子の筒井定次が豊臣秀吉の命により伊賀上野城へ転封となります
1585年(天正13年)豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が入城。
信頼が厚い弟を入城させていることから、この地はとても重視されていたことがわかります。
江戸時代に入ると、水野勝成、松平忠明、本多政勝と続き甲府藩主の柳沢吉里が城主となりました。



郡山城の石垣の特徴は野面積み(のづらづみ)です。
野面積みは、主に戦国時代に用いられた、技術的に初期の石積法です。
自然石や割石をほとんど加工せずにそのまま積み上げていく方法のこと。石と石との間にできた隙間には、小さな石を詰めるのが一般的です。敵に登られやすいという欠点があるものの、排水性に優れていて頑丈という長所もあります。





郡山城の天守台は転用石が多いことでも有名です。

大和国には良質な石材があまりなかったため、礎石、石棺のふた、なんと墓石や石仏などあちこちから寄せ集めてきた石を用いて石垣が築かれています。
なかでも「さかさ地蔵」と呼ばれる、石地蔵が逆向きに置かれたものが有名で、天守台の裏手北側の石垣にあります。 
石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになったお地蔵様が確認出来ます。きちんとお祈りをして帰ってきました<m(__)m>





郡山市は金魚の養殖もさかんで至る所に金魚のお菓子や市役所にも金魚の大きな水槽がありました🙂