力不足でした | よっちゃんの日記

よっちゃんの日記

2014年秋、ネフローゼ症候群微小変化型を突然発症。幸い自然寛解して、現在はほぼ普通に日常生活を送っています。

ブログでは、日々の出来事を中心に綴っています。

母の体調が思わしくなく、不安な日々を過ごしていました。

このままでは良くないと思い、包括支援センターへ相談しようかと悩んでた矢先、今までに無い体調の変化があり実家へ向かいました。


症状は、足の浮腫から歩かれない。又は、歩けても着地の感覚が無いなど。

救急車を呼ぶべきか迷いましたが、会話は成り立つ。

けれど私の車には乗れる感じではなく(車高が高いので歩道からは楽に乗れるけど降りるのを怖がる)結局母が乗り慣れているタクシーを呼び病院へ向かいました。


ボランティアさん活動の時間に間に合い、直ぐに車椅子を用意して下さり外来へ。


ここは父が生前最後に一緒に来た外来ブロック。更に母が呼ばれるであろう診察室は、父の主治医の所(今は異動された)

一瞬胸がドキドキそして涙が悲しい

いや今日は母を守らなければプンプンと気合を入れて頑張る。


結局二時間以上待たされて母はクタクタになり、診察室に入る頃にはもう家に帰れませんと言い出して·····

そのまま入院となりました。

途中から(お昼頃やっと)夫も合流してくれて、手続きなど一緒に付いてくれて助かりました。


これからの事は、ケアマネさんを介する事になるので、連絡待ちです。

父の時と違うのは、携帯電話を使えないことびっくりマーク

父は日記のようにメールを送ってくれてたけど、母はどうなっているのか病院を信じるしかありません。

包括支援の担当さんと病院とで情報共有なっているそうなので、そこは安心ですがニコニコ


もう朝の元気だよー電話は無いのね。

ストーブの焚き方が分からないと何時間も説明しなくてもよいのね。

火傷の薬を塗りに、朝晩通わなくてもよいのね

買い物もお掃除もしなくてもよいね·····


って

これはこれで寂しいえーんえーん


帰宅後、

「私が力不足だった」

と泣いていた私泣くうさぎ

夫から

「お父さんがそうさせたんだよ」

と言われ少し落ち着く。


でもこの後ビックリすることがありまして煽り

入院当日病院からの電話。


すみません、お伝えしたい事があるそうで


宅配弁当をキャンセル

生命保険証書は〇〇の下

電気を切って(契約解除?)


と看護師さんから驚きあせる


個人的な事で申し訳ないと謝罪しておきましたガーン