鏡、とは。 | みらくる☆彡

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「カゴメ歌」は、単なる童謡ではなくて実は隠された意味があり、出雲族が今の天皇家に、鏡を使った太陽暦を奪われた事を「わらべ歌」に代えて歌い残したものと言えます。だから謎の部分が多い。
中でも「だーれ」は「誰」と「垂れ」と重ねて補強しものである。
ツルツルの丸い尻面(銀板)の裏に隠された真の主神は一体どなた様だったのか、を問い、其れが今「垂ーれ」(首吊りのようにブラ下げらた)た様になっている事を恨み、悲しみ、わらべ歌として訴えているのではないか





かごめかごめ、からの

うしろの正面

カガミ

つづけます。


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鏡はミラーではなかった・・・・・・・古代の銅鏡は現代社会のミラーとは全く違っていた。鏡は反射する意味・目的から作ったのではなくて、方位の観測器具として作られた。従って此れは立てかけて見るものではなくて平面に置いて使用した物であり、其れを人が「屈んで見た」ので「屈み」(カガミ)と言った。

反射器としてのミラーではなく、平面にお皿のように置いて水準器、方位羅針盤、暦盤、分度器などの用途を同時に適える神器でした。漢字の場合も「鏡」の字を「金偏に境」と書いて図示しているのはガラスを意味したのではなくて、金属製と明示しているのです。更に言えば、「竟」や境は方位を区分・区画する文字であって「反」でも「射」でもない。

だが現代人の固定観念は鏡を必ず「ミラー」と定義している。100%の人が此の点から勘違いして満足しているのでどうしようも有りません。或いは鏡を昔は「鑑」とも書いて来たが、此れも矢張り「皿」の上に「臣」、(即ち目付の意味)を付け加えて、「屈み」、即ち水平面に置いたお皿を「屈んで見る」ために使う「盤」と同類である事を示しています。

日本人は長い間に其の事を忘れさせられて来ました(「カゴメの歌」を参照)。

其の為、今では鏡とガラスミラーとを同一視しているが、本来は全く別の目的で存在した。鏡は、ブラ下げて自分の顔や姿を反射させて見るノッペラボーのミラーとは全く違って、平面に置いて「屈んで見る」からカガミと言ったのです。従って戦前までは今のミラーを「鏡」とは言わずに、せいぜい「姿見」と呼んでいた訳です。

ただ一度刷り込まれたイメージや先入観は、次に新たな情報や真実が伝わっても消える事はない。ステレオタイプの固定観念となるか、積み上げられるだけである。だから本書が如何に誤解を解こうと強調しても空しく感じる。何れにせよ、本来の鏡の表面は今のようなギンギラギンの銀面(アルミ)ミラーではなかった。

だが考古学では古墳から掘り出した鏡の表裏の意味も上下の見方も分らない。にも関わらずこの辺りの事実を誤認して恥じる事も無く多弁を弄し、例えば鏡の用途は「化粧道具であるとの解釈をたれ、しかも同時に、鏡の表面を「鏡背」と名付けて「表裏」を逆に解釈して来た、或いは「古代祭祀に使われたもの」とも言って来た。

だが彼らは政教分離を建前とするアカデミックな学問により解釈するのですから宗教音痴であり、従って祭祀の何たるかを知らずに講釈して来た。従って真実から離れるばかりとなっています。さて記紀の日本神話や天皇の「三種の神器」の筆頭には例えばヤタの鏡が有ります。

此れについても従来から多くの解説がなされて来たが、全て誤解による故事付けと類似の孫請けコピーであるから何ら参考にならない。カガミを「鏡」と書くのはガラスではなくて金属である事を意味し、また先に述べた青銅鏡のように表面には境目がある事を文字で示している。

ヤタとは寸法で有り「大きさ」と見るのが今では定説となっているが、嘘である。ヤタは大きさではなくて八方の境目を明示したものを言った(「ヤタ」を参照)。では鏡について神社関係者なら真実を知っているか、と言えば矢張り知らない。
知らないから各地の神社では御神体として立て掛けている。

或いはお尻を向けて見せびらかすようにピカピカさせて澄ましているのですから矢張り駄目です。更に最近は何処でもヒモロギと言う神社庁斡旋の作り物に鏡をぶら下げています。でも此れは神様の首吊りの状態を曝け出した形です。何度も言うように鏡は太陽の暦盤であって、単に日光を反射させるものではなかった。

仮に凸面鏡のお尻で反射させても乱反射して拡散し、無意味となる。従って反射器ではなくて方位盤としての意味が強かったのです。

さて、日本史には出て来ないが日本で昔から続けて来た太陽の祭り事を奪う者たちが現れた。正しい日本の暦法を奪って政権奪取を謀る渡来人たちでした。例えば神武天皇以後の天皇名(和名)にはタラシの名の付く天皇や皇族が多いが、其れは隣国や他国の「鏡を垂らした」事(征服)を称えた称号でした(「タラシ」を参照)。

或いは稲作による支配です。月の神の作物である稲作の拡大のために、太陽暦よりも陰陽暦を導入して異質な政権支配体制(商品作物、米穀本位制)のために唐風の日本に作り変えた悪者たちの仕業が「鏡垂らし」でした。

このため昔からの精緻な日鏡を没収して鋳潰し、その代わりに暦盤としては全く使えない代物である三角縁神獣鏡などにすり替えた。

こうして稲作のための月の暦への改暦を強制的に繰り返した大和朝廷に無条件降伏した形を今もそのまま全く無頓着に神社では上記の如き「鏡タラシ」の形で伝えている。ですから保守的で立派と言うよりも迂闊と言うべきです。何故なら、御神体とする鏡の用途をもし知らないのであれば、其の神社ではマトモナ祭式が出来る筈もないからです。

だから此処で繰り返して正解を述べる訳だが、本来のカガミの用途は多用途に使える万能の器具だった。例えば天文観測で日ひ鏡として使う場合は、水平に置いて水を満たして水鏡とし、太陽光を戴いた。其れが「日受け」である。

同時に此れは水準器と方位盤・羅針盤・分度器であり、周囲の目盛で方位を知り、月日のコヨミを数えたのです(「三角縁神獣鏡」を参照)。また夜間には裏返してミラーとして使った。この場合は全天の星座や月を一点に写し、方位との方位角を読み取って星座の移動から月日を数えたものです。其れはまた当然測量器としても使った。

故に鏡は万能の神器の筆頭として古くから尊ばれて来たのですが、タラシ王朝から日本の暦法の簒奪が繰り広げられて鏡は悉く奪われ、鋳潰されてしまった。その代わりに三角縁神獣鏡など、偽物の鏡が広まるにつれて、和暦(真の太陽暦)が忘れられ、渡来の仏教(陰陽)暦が一般化して行った。

こうした経緯から真実が抹殺された結果として今のような偽学説が横行して進化論一色に塗り潰されたのでしょう。同様に今のドルのような悪貨がやがて円札を駆逐するのは時間の問題であるのだろうか(「カゴメの歌」、「円札」を参照)。因みに文字にも鏡の意味は残されている。其れが鍋蓋(別項を参照)である。

鍋蓋と言うよりも「鏡冠」と言うべき文字なのですが、渡来文化の漢字学者たちにとっては、太陽の祭りなんて、どうでも良かったのでしょう。


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出雲の揺れの前から始まりました

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心で直観しましたコト

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これにて、ひと段落。


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静生る20の龍の意之血

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ちゃんと、ちゃんと

観えておりまするにゃ。オッドアイ猫キラキラ宝石ブルーキラキラ