前回

 

 

 

「受動モード」のプロであるAくん。

彼がこのままではいけない理由。それは…。

 

 

「脳みそが冬眠している」からです。

 

 

言ってしまえば「考えることを放棄してしまっている」のです。

それは悪気があるとか、そういうことでは無く、そもそも「考える」という土台に立っていないのです。

 

 

なぜそうなったのか。

それは「授業についていけない状態のまま長い年数を過ごしてきたから」です。

 

もし仮に、Aくんが「授業、何言ってるか分からないなぁ~」という状態に入ったのが九九の終わった小学校3年生だとしましょう。

Aくんの席に座って、あなたが授業を受けていると想像してみて下さい。

 

 

算数の授業で、言っている事が少しずつ分からなくなってきました。

分からない授業を聞いていると、時間が長く感じます。

早く終わらないかなぁ~。

休み時間まだかなぁ~。

と考えています。

 

国語の文章も、読めない漢字が増えてきました。

読めない文章は見ていても内容が分かりません。

早く終わらないかなぁ~。

と考えています。

 

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ・・・、そして冬が過ぎ。

小学校4年生になりました。

 

文章題も増えて来て、算数の難しさはどんどん上がっていきます。

そもそも3年生内容がまだ身についていませんが、

「3年生内容をやり直さなきゃ」なんて発想はもちろんありません。

「4年生の内容って難しいんだなぁ」

早く終わらないかなぁ~。

 

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ…。

 

小学校5年生。

 

小学校6年生。

 

 

中学校1年生…。

 

 

・・・

 

 

どうですか?授業が辛くないですか?

いえ、聞くまでもありませんね。授業が辛いのです。

 

辛いとどうなるか。

ストレスがかかります。

話によるストレスがかかりすぎると、脳は「聴覚」をカットしようとします。

 

その為、私が会った時点でAくんは

「返事は良いけど、処理は出来ない」という状態でした。

耳から入ったことに対して、言われたことをやるだけの表面的な処理は出来るのですが、それを他の問題に応用することや、暗記をすることは出来ない状態でした。

これが「受動モードのプロ」と言える所以です。

 

ちなみに解き方にも同じ特徴がありました。

A君は問題文に書いてある数字をとにかく計算して、

それっぽい答えを出すということを繰り返していました。

これも表面的な処理ですね。

 

その答えを見るだけでは

「彼は勉強の基礎が分かっていない」という判断になるでしょう。

しかし、彼の勉強が出来なくなったストーリーを考えれば

「彼は聞いた話を噛み砕くことが出来ない」という、もっと根本的な原因にたどり着きます。

 

その為、彼には

話を聞いて「そっか~」で終わるのではなく

「要するに」と話をまとめる力、「ということは」と話を展開する力の2点を身に着け、話を吸収出来る様にする必要がありました。

 

 

前回話したように、「受動モード」のまま、量を増やし、体で覚える的な勉強方法もあります。

しかしAくんの場合だと、本当にただ体を動かすだけで終わってしまい、吸収できない可能性が大でした。

 

 

だから勉強以外の時間は「会話」に時間を割いたのです。

 

 

(とは言え間に合うのかという心配も、あるにはありましたよ…)

 

 

そして月日は過ぎ

11月

 

ついに最後の期末テスト、2週間前に突入しました。

 

 

残り授業時間

60時間。

 

次回