鳳凰堂の修理が終わったので行って来ました | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

鳳凰堂

昨日、宇治の箔押し師のところへ、裏箔をお願いしておいた作品を取りに行きました。

その帰りに、鳳凰堂の修理が終わった平等院に寄りました。
鳳凰堂の外観が、平安後期の元の色に戻ったということで、楽しみにしていました。

ところが、修復後のその外観の印象は、なんだか地味な色で、朱色というよりは茶色でした・・・。

これは、当時の色ということのようですが、瓦に付着していた色素から、丹土と判断されたようです。
現在では、何でも当時の色を顕微鏡で分析して、その分析結果を修復に反映させるようです。

これを修復倫理というそうで、修復される方々はこの倫理観を大切に作業をされているようです。関係者がそうお決めになったようです。

このことは、当時の経済的理由で叶わなかったとはいえ、平安時代の人々は、鮮やかな赤い色を発色する希少で高価な「朱」を建物塗装に用いることに強い憧れを持っていたようで、大和絵で表現される絵巻物や仏画・当麻曼荼羅等に登場する楼閣等はすべて鮮やかな朱色で表現されているのですから、本当は朱で塗りたかったことが容易に想像できます。

「平安時代後期頃の平等院鳳凰堂の場合、確かに中堂の四面扉には朱が塗られていましたが、翼楼の部材などの多くは量産に向く「丹土ベンガラ」だったようです。
今回調査した赤い色は、残念ながら鮮やかさでは朱には及びませんが、当時のベンガラの中では最も赤い色が良好な「赤土ベンガラ」と「パイプ状ベンガラ」でした。
ここからは、権威の象徴でもある平安宮の建物の色にこだわった人々の理想と現実の姿を垣間みることができます」と北野信彦氏が、http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/222.pdfに書いています。

ということで、当時の経済的事情なのか希少で高価な「朱」を塗れなかったわけですから、今回の修復において、是非とも当時の人々が憧れた「朱色」に塗り替えて欲しかったと思うのです。
私は、当時の建築に携わった人々の想いを実現させるのも一つの心の修復事業だと思うのですが・・・。
浄土教のいうお浄土の楼閣は、仏の坐す楼閣なわけですから、「清らかな心の光景を再現する。」それで良いのではないでしょうか・・・。
時を越えて、平安の人々の成し得なかった当時の現実を、現代の今実現させる・・・。
これもりっぱな修復だと思うのです。