少年犯罪報道と少年法 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

川崎市の多摩川河川敷で中学1年生の刺殺体が見つかった事件で、18歳を筆頭に17歳の少年たちの犯行が確定的となったそうだ。報道では、犯人が少年たちということで、実名などを伏せて報道している。

車で工房に来る道すがら、このニュースを聞き、私の庶民的感覚、人の親として感じたことをまとめておきたいと思った。

少年法と言う法律があるらしいのだが、たぶん輝かしい未来のある子供の将来を鑑みて、一時の若気の過ち的配慮からその法律が制定されたのだろう。
「本人を推知することが出来る報道をしてはならない」という少年法第61条の規定によるものだ。
行き過ぎた喧嘩や物欲しさからくる窃盗、恐喝。我々の時代なら無免許運転、事故等々、幼いが故に犯してしまう罪があった。大人たちは、なぜそんなことになったのか、比較的容易に理解できた。反省すれば許せた。

しかし、最近の少年による犯罪は、いや少年に限らないかもしれないが、ほんとうに理解できない残忍な犯罪が増えたように思う。

私は、未成年の犯罪でも、特に猟奇的な殺人においては、この保護目的の「少年法」の枠組みに入らないのではと思っている。

少年を罰することができないのなら、その子供を育てた親の責任はどうなる? 親に罪はないのか? 

もし、私がその犯人の親なら、被害者家族や友人関係者の前で土下座をして謝る。

子を育てた経験のある大人は、こういった事件報道を聞くにつれ、「親はいったい何をしていたのだ?」といった素直な疑問が即座に浮かぶ。

マスコミはどういった申し合わせをしているのか知らないが、この18歳の猟奇的で残忍な殺人を犯した主犯格の少年の身元や育った環境を報道しない。
何も興味本位に報道しろといっているのではない。
やはり、なぜ、そんな子供が育ってしまったのか、今後そのような事件が二度と起こらない様に、大人も子供も皆で考えるべきと思うからだ。

一部の報道では、今流行りのラインといった通信手段で、親が気付きにくい。また、子供のコミュニティに介在できないような今までにない閉ざされた通信手段が、事件の当初の起こりをより、わかりにくいものにしたと言われている。

我々の子供のころのコミュニティとは、まったく違った「付き合い」があるのかもしれない。
友人と意識しない間に広範囲な付き合いが構築され、被害者である田舎から転校してきた13歳の未熟な少年には対応し切れなかったのかもしれない。

何れにせよ、現代社会のひずみであることは確かだ。

現代における多種多様な価値観。ネットを通じた新しい人間関係の仕組みや、未熟な少年には不必要な情報が複雑に絡み合った負の結果なのだろうが・・・。

ネットでの誹謗中傷や興味本位の情報だけではなく、マスコミの使命感をもった報道姿勢次第で、世の中が良く変わることもある。

将来のある子供たちの為にも、今回の『事件の本質』をきちんと取材し報道して欲しいと思う。