過労死になる前に・・・。 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

日の丸
7月にやっと結婚した長男の結婚披露宴のゲーム賞品で使うために作った熨斗の画像から「しあわせおすそわけ」

 


東大卒で電通という大企業に勤める24歳のOLさんが過労で自殺した事件で、「残業100時間で過労死は情けない」とネットで発言した大学教授が、学校に処分を検討されているそうです。

24歳と言えば我が工房にも同じような年恰好の女性が弟子入り志願をしてきますので、他人事ではないように思い、ちょっと考えてみます。

私たちクリエイター等自由業の世界では、年がら年中過労は普通です。
仕事を受ければ「過労」。仕事が無ければ不安感で「疲労」という、その繰り返しの中で、優れた技術力を培いながらその自由を生き抜く根性、精神を鍛えていきます。(というか慣れていきます。)

また、その自分の仕事を消化し、経験を積む中で、己の適正な労働時間というものも構築していきます。
たぶん、上昇志向の中小企業のオーナーさんをはじめ、起業した人や個人事業者も同じようなものだと思います。
ですので、労働基準時間なんてものはありませんし、残業といった概念も存在しません。

私などは、66歳になる最近まで休日ですら意識したことはありません。

でも、最近やっと日曜日を意識し、待つようにはなりましたが・・・。

先日、34歳でやっと結婚した私の息子は、大学院を卒業して高校時代から思いを膨らませていた「水処理」の大手会社に勤めています。
卒業当時、私はサラリーマンの世界は全く知りませんので、何のアドバイスもしてやれません。
ただ、一言こう言ったのを覚えております。

「サラリーマンは、自分の人生を会社のために切り売りするプロフェッショナル。一流企業であればあるほど得体の知れない「会社」に自分の人生を捧げることになる。」とまぁ、こういった意味不明のことを言って、はなむけとしたのです。

これは、「もし、私がサラリーマンになれば、そういう姿勢で臨む。」ということだったのでしょうけど、それは今でも「男の生き様」としてそう思っております。

サラリーマンになったら、その会社の為にとことん貢献すること。これがプロのサラリーマン。プロフェッショナル。

それでは、労働時間を国の定めた8時間とし、それ以外は残業として、その代価を会社に請求する割り切った姿勢、いわゆる公務員や労働者的な姿勢は、プロフェッショナルではないのでしょうか?

確かに会社の生産部分を専門的にサポートするといった意味では、そこではプロなのでしょうけど、母体である会社の運営に関われば、その姿勢のままでは通用しません。
意地悪く表現するなら、会社をうまく運営・経営できていてこそ成り立つ「仕事」ですので、その場所に身を置いたということは、公務員でない限り、経営状況に左右される仕事であるという認識・覚悟も必要だということです。

今回、東大を卒業して大手の「電通」に入社し、過労で自殺した若い独身女性のことですが、私は、この労しい事件をただただ哀れには思いますが、この教授の発言内容はともかく、その真意は理解できます。
むしろ、学校側の安易な謝罪姿勢に、この事件の本質を歪めるのではないかと懸念さえしています。

彼女、さぞかし、苦しんだ結果なのでしょうけど、苦しさから脱する方法は「死」以外に他に幾らもあったはず。

「辞めれば良い。」なぜ、そんな簡単なことができなかったのでしょう・・・。これがこの事件の本質だと思います。

アドバイスをする人は居なかったのでしょうか・・・。

東大卒というプライド、電通という大企業に採用されたというプライドが彼女の内で魔物に育っていったのでしょうか。
ネットに溢れた彼女のツイート内容からもそのプライドの高さがうかがい知れます。

やはり、高学歴や大企業には、得体の知れない恐ろしい魔物が潜んでいるようです・・・。

で、先に登場した、我が息子。 
結婚前には、深夜0時前に帰宅は当たり前だったようです。(なので、結婚が遅れたそうですが)

そして今、やっと漕ぎ着けた新婚2か月にも関わらず、水処理プラント建設現場への一週間単位での単身赴任が繰り返し続いているそうですが、本人は自分の設計した水処理のプラントができて行く過程を身近で確認、監督することは、設計者にとって必要不可欠なことと認識していますし、充実感も感じているはずですし、スキルアップにも繋がります。
そして、そのことは新妻も理解し、旦那の将来に期待しているのでしょう。たぶん・・・。

もし、新妻がそのことを理解し得なかったらどうでしょう・・・。息子は苦しむでしょうし、死にはしないと思いますが、もしかしたら転職も考えるかもしれません。 
(実は親として、自宅に居ないといったそんな状態では孫の顔が見れないのでは・・・と、また心配しております・・・。)

ちょっと、きつい環境であっったとしても、傍にいる人が優しく寄り添い元気づけ、支える。

この生活環境さえ構築してあれば、少々、いや、どんな無理のある仕事であっても乗り越え、心とのバランスのとれた豊かな人生となり得るのではないでしょうか。

バランス、調和。大切だと思います。