66歳、2度目のカテーテル検査 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

カテーテル検査
※資料画像 カテーテル検査

 


 昨日、10月20日は、今年の1月18日に地元の桂病院でカテーテル経皮冠動脈形成術(心臓冠動脈の大掃除)を受けてちょうど10ヶ月が経過する時で、その時の手術で血流がうまくいっているかカテーテル検査(10ヶ月点検)を受けました。
朝8時半に、車に妻を乗せ桂病院へ。 
本人は帰宅時の運転はできないということなので、妻にお願いすることになります。

総合受付を通さず、直接循環器科窓口で身長・体重・血圧を測り待っていますと、カテーテル室担当の看護師さんが迎えに来てくれました。
10ヶ月前に受けた時も同じ看護師さんだったと記憶していますが、黒縁の眼鏡がよく似合う50歳前くらいの爽やかな笑顔の方で、我々患者は、不安の中、ちょっと救われます。
その日は、3人が検査を受けるそうで、一番バッターは、私ということでした。

この桂病院は、カテーテル手術室が3部屋もあって、多い時には一日に7人の検査をすることもあるそうです。
3人が広い病院を数分歩いてカテーテル室に着くと、さっそく上半身裸になって紙の手術着に着替えます。
着替えると、その足で用を足し、50畳ぐらいの回復室という大きな部屋に歩いて行きます。

その広い部屋は、カーテンで4.5畳ぐらいの7つの部屋に仕切られ、それぞれの仕切りの中には、リラックスできる高級リクライニング回復椅子が設置してあり、その日はほぼ一日、その椅子で過ごすことになります。
私は1月に経験していますので、不安感はありません。

私の場合は、左手手首の動脈からカテーテルを入れるので、右の腕には、検査時に撮影する為に造影剤を注入するのですが、それを尿で排出させるための水分補給の点滴針が挿入されます。スポーツドリンクのような成分と聞いています。
点滴針の挿入は、いつもそうなのですが、2度目のトライで成功です。

私の腕は、肉が固いうえに、血管が細く、奥にあるそうです。新米看護師泣かせです。
たいていの看護師さんは、「ごめんなさい、ごめんなさい、痛いでしょう・・・。」と言いながら、うまく挿入できないので焦ります。
ひどい時には3度のトライでもうまくいかず、過去には、ついには先輩を呼びに行くというったことも結構ありました。
ですので、2度目のトライで挿入できたということは、経験豊富な看護師さんだったからだと思います。さすがです。

準備ができたら点滴棒を引っ張りながら、隣にある手術室に歩いて行き、体の巾位のけっこう狭い手術台に自分で乗ります。
胸や足に、心電図用のコードが付いたパッドを貼り付けてもらい、右腕には点滴針と血圧計、人差し指には酸素濃度計。
体に手術用の不織布でできた上掛けを掛けられると、始まりです。
左手首の辺りをしつこく消毒します。なにせ、動脈に穴をあけるわけですから、ばい菌は厳禁です。

「藤野さん、今日はよろしくお願いします。」と担当の執刀医が、名を名乗らず私に挨拶をしてくれますが、大きなマスクと特殊な眼鏡を付けていますし、どのDrなのかお顔が識別できません。「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。」

「局部麻酔をします。はい、ちょっとチクッとしますよ~・・・」 「おいおい、結構痛いやないか・・・。」と小声でつぶやく私。
その直後から、私の手首の辺りでは慌ただしく何かが始まっていますが、麻酔のおかげで私には感じませんし、見えません。

私の身体をカメラと聞いていますがそのビニール袋を被せた30cm四方ぐらいの大きな箱が2個、心臓辺りを被写目標に顔面すれすれに動き回ります。これは、もうロボットです。
たぶん、モニターには、私の体の内部が映っているのでしょう。

医師は、私の右側に立ち、体越しに左手首の穴からカテーテルの操作をしますので、そのカテーテルを操作する仕草が私の体を通して手に取るように分かります。
けっこう早いスピードでカテーテルを入れていく医師の手の動きに、「こんな早いスピードでどんどん入れても、血管って大丈夫なんやぁ・・・。」と妙に感心しながら、結構リラックスしている自分がいます。

30分~45分ぐらい経ったでしょうか、「はい終了です。結果はまた午後になったら言います。」といって担当医師は手術室から出て行った模様です。

午前10時前、自分の椅子のある回復室に戻ると、私より後で手術室に入った74歳のご婦人はすでに回復椅子に座わっておられます。
後で同じ年と分かったのですが、私と同い歳の老けた66歳の男性は、まだ検査中でした。

その後、まもなく、検査を受けた3人がその部屋に揃うのですが、私の向かいはその私と同じ年の男性です。
今朝、循環器科窓口でお会いした時は、70歳代ぐらいにお見受けしていたのですが、いろいろお話する間に66歳ということがわかり、「あんた、老け過ぎやでぇ~(^o^)」と同世代のよしみといいましょうか、ついつい親しげに話してしまいます。

その後、傷口も塞がり帰宅する4時ごろまで、彼の病歴やら年金生活をしている今の心境やら彼の今までの人生を聞くことになり、同じ時代を、私とはまったく違う生き方で生きてきた一人の男の人生を、感じさせてもらうことになりました。

向かいのリクライニング式の回復椅子に座り、ウトウト仮眠する「老いた同級生」が、鏡に映るもう一人の自分の姿にも重なります。

あらためて、目の前の同い年の男性も私も人生の大半を過ごしたわけですが、その人生のプロセス(過ごし方)の違いが何だったのか、ゆらゆらと揺れ動く蜃気楼の中に居るように自分の人生を振り返ってしまいました。

500cc入り、二本目の点滴が終わり、私が一番最初に医師に会います。
モニターを観ながら「今のところ、何事もなく無事に推移している」と説明され、あとは半年に一度、心電図などでチェックすることになりました。やれやれ、ホッと一安心。

部屋の他の二人は、やはり手術をしなければならないらしく手術日(治療日)の予約をしています。

帰宅許可がでて、部屋を出る時、その落ち込み加減の同級生に「元気でね、頑張ってね」と声をかけました。
すると、「お互いに!」と若々しい笑顔が返ってきました。