トランセンデンス を観てきた | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

 


ウォーリー・フィスター監督、ジャック・パグレン脚本による2014年のイギリス・中国・アメリカ合衆国のSF映画である。
昨日、兼ねてより楽しみにしていた映画『トランセンデンス』を、京都駅の近くにあるTジョイ京都に朝一番(9:10上映開始)に観に行った。※中国は出資しているが、映画のその内容には、その匂いはない。

Tジョイはイオンモールビルの5階にある。
以前来た時のように、ビルの外にある長いエスカレーターで上がれば良いと思い込んで行った。しかし、イオンモール自体がまだ開店前。シーンと静まりかえっている。

もちろんその当てにしていたエスカレータも止まったまま・・・。

9時10分からの上映と言うことで、8時45分には到着したのだが、さて、どこから5階まで登るのだろうと、当たりを見回してもそれらしき入口は閉まっている。

しばらく立ちすくんでいると、何人かの人達が足早にビルの際を足早に歩いていく姿が見えた。
着いて行った。
すると、映画を早朝に観る人用のエレベーターが動いていた。さすがである。
めったに街中には出歩かない私は、初めて見る物経験するもの、何にでも妙に感心してしまう。

それに飛び乗り5階まで上がる。駐車場の通路を通ると映画館の入口だった。朝一番の上映といえども、結構な人が入っていて賑わっていた。
前日にネットで予約してシニア価格の1100円を支払ってある。これは経験済みである。
プリントして来た予約席の引換券のバーコードを券売機にかざし入場券に代え、390席の最大収容の「シアター10」に入った。上映15分前でも席には誰も居ない。
前日の予約席状況では、たったの4人だった・・・。
結局映画が始まる頃には、30人くらいは入っていただろうか。ほとんどガラガラ状態だった。ロードショー直後だというのにこんなものなのだろうか・・・。

さて、この映画『トランセンデンス』、楽しみにしていたのだが、この奥深いテーマにしては、テーマが描ききれていない。
単なる娯楽映画並の出来で、今ひとつ、腑に落ちないところも多々あった。

あらすじはこうだ、世界初の人工知能PINN(ピン)を研究開発するコンピューター科学者のウィル・キャスター(ジョニー・デップ)とその妻エヴリン(レベッカ・ホール)は、コンピューターが人間の能力を超えることができる世界を構築する為の技術的特異点を目標に活動していた。
しかしそのさなか、ウィルは反テクノロジーを唱える過激派テロ組織RIFT(リフト)の凶弾に倒れてしまう。
エヴリンは夫を救うべく、死の際にあったウィルの意識をPINNにアップロードする。
彼女の手により人工知能としてよみがえったウィルは、軍事機密から金融、経済、果ては個人情報にいたるまで、ありとあらゆる情報を取り込み、驚異の進化を始める。

やがてそれは、誰も予想しなかった影響を世界に及ぼし始める。

人工知能と化した科学者の姿を通して、行き過ぎたテクノロジーがもたらす危機を描いている・・・・。

と、ウィキペディアにあった。映画を要約するとこのとおりなので、コピペで済ませた。

テーマが素晴らしい。
人の意識がコンピューターに入り、ネットに繋がったその人格を得た人口知能は人類の知り得た全ての情報を一瞬にして獲得する。
コンピューターが自我を得る時代が来る。人の意識が機械に移植されるのか機械が人格を得るのか・・・。
人にとっての便利さだけを追求するようにプログラミングされた人類は必ず『究極の便利』に到達する。
柔な肉体と決別する日が来るに違いない。その時代はすぐそこまで来ている・・・。私の日頃の持論だ。

だから、期待して観に行った・・・・のだが、

我々日本人と西洋人の神に対するイメージがあまりに違い過ぎ、過激派テロ組織RIFT(リフト)の意識が今ひとつ理解できない。

ウィルの意識でコントーロールされた人工知能PINNは、ほぼ神に近い存在だから、この過激派テロ組織RIFTは、脅威と捉え、この人工知能を破壊しようとする。
我々、鑑賞するものは、まず、どちらが正義なのか理解できないまま鑑賞する羽目になる。
これは、映画を見終わった後にも尾を引き、何やらスカッとしないのだ。

いづれにせよ、西洋人の『神』は畏敬の念を越え、神に対する恐れ、その絶対神に対し服従しなければならないといったそんな感覚が心の奥底に潜んでいるのだろう。絶対神は、あくまでも一人でないといけないのだ。

我々日本人の『八百万の神々』は、畏敬の念、感謝の気持ちが先に有り、直接的に『神の怒り』を恐れるといった観念は「ばちがあたる」程度で、さほどないように思うし、日本の神々はそこいらじゅうにおわすものなので、トイレの神様だって居るし、当然ながらネットの神様だって居ることになる・・・のだが・・・。

この映画の脚本家は、意思を持った人工知能を作ることは、やはり「神に対する冒とく」と捉えているのだろう・・・。

「コンタクト」という私の好きなSF映画もこの『神の怒り』を恐れる過激派テロ組織が未知の建造物の制作を邪魔をするシーンがある。

科学と宗教は相反するものなのか、同じものなのか、つまり科学の進歩に宗教が着いていけるのかどうか、宗教者はそろそろ真剣に考えなければならない時期に来ているのだろう。

この映画を観て感じたのは、結局このことなのかもしれない。