どうしようもない韓国や中国の反日感情 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

『人の不幸を願う感情の中で一番醜い心とは嫉妬心であり、また人間関係、国家関係において一番問題の解決が困難なのがこの嫉妬心ではないかと思います。つまり怨みや憎しみの感情であるならば謝罪することで和解することができることもありますが嫉妬心が原因の場合には如何に謝罪したとしても何も問題は解決しません。

それは日本が不幸になることだけを願っているのであって日本に謝罪を求める気持ちではないことが原因です。
ただそれを自分に都合良く話をしているだけで心の底で願っているのは日本が破滅して不幸のどん底に落ちることだけなのです。

そのことが分かっていないぼんくらな政治家は謝罪の大切さばかりを説きますが、相手が嫉妬心から嫌がらせを繰り返す場合には謝罪はまず、効果はありません。
逆に相手は謝罪を当然のことであると受け止めて、際限なく、謝罪を求め続けることになり、問題の解決を更に困難とする結果となります。』

この文章は、検索すると、いろいいろなところで転載されています。出所は分かりませんが、私もある人からのメールでこの文章の凄さを知りました。

そういうことです。

阿部首相はこのことに気付いています。
国民の代表である首相が神の御前で謙虚になり、「平和」を堂々と誓い、祈る姿は美しい。
誰もが感じることのできる「美」ではないでしょうか。

首相の参拝の意味を否定するなど、日本人ではありません。
確かに相手に対して気遣いも美徳ですが、今となっては、よけいにややこしいことになるにちがいありません。
「河野談話」や「村山談話」が、最悪の例です。

とにもかくにも謝罪が何よりという靖国参拝を反対する論者は、ぜひ、「神道」という宗教を越えたところでの日本人の習慣、慣習、美意識、を今一度確認して頂きたいと思うのです。

ちなみに、国防総省や国務省の高官を歴任し、長年にわたり、日米関係のかなめの役割を果たしてきたキャンベル氏は、安倍総理の靖国神社参拝について、自らの考えを次のように述べました。
「失望した」というアメリカの声明の真意についてこう説明しています。

「アメリカの役割は、緊張を和らげ、それぞれが冷静になるよう求めていくことです。あのメッセージは日本に向けてのみ出されたものではないのです。
アメリカ政府が、日本から距離を置いたり、日本を非難していると受け止めないでください。」

ごもっともです。

でも、こうしないと彼らは際限なく非難し続けるだけですので、ただただ、聞いているということは出来ようはずはありません。このままでは、明るい日本の未来を担う若者や子ども達も同じように、聞き続けなくてはなりません。
この子達のためにも、大人は毅然とした態度で積極的な平和構築に立ち向かうのが最良の策だと思います。