今年の正月は映画「永遠の0」を観に行った | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

2014年1月1日、00:00 帰省中の長男と妻と三人で善峯寺の除夜の鐘をつく為の列の中に居た。
11時25分にに自宅を出発しても、今年は、山門下の立体駐車場まで列が延びていた。
毎年、最初に並んだ108人にご住職からお供物のおさがりが配られる。108、そう、人の煩惱の数である。除夜の鐘をつく数は、参加した人の数だけなので、この数にこだわっておられるのだろう。
今年もおさがりを頂こうと11時45分の開門に合わせて早く出発したにも関わらず、お供物は、50人ほど手前で無くなった。
鐘をついて、ご開帳された千手観音様に昨年なんとか無事に過ごさせていただいたことへの感謝と今年一年も無事過ごさせていただけるよう願をかけた。
帰宅したら午前1時、それから風呂に入り、二階の自室の床についたのが1時半、テレビをつけると、懐かしい「朝まで生テレビ」。朝までやるらしい。田原総一朗氏が相変わらずコメンテーターを突っついていた。中国、韓国、米国の実情を話し合うらしいが、阿部首相の靖国参拝の件で、相変わらずグダグダ言っていた。
眠いので録画ボタンを押して、2時30分には眠りに落ちた。

朝、9時ごろ目覚めると、毎年31日の夜遅くまでおせち料理を作る妻が、今年は、少しでも楽ができるようにと、私が気を利かしてネットで注文しておいた、おせち料理を食した。 
三段重ねの豪華版で3ヶ月前に予約をすると、値段ははっきり覚えていないが、かなり安価で買えた。
30日に千葉から届いたそれは、24時間かけてゆっくり解凍して、1日に食することになっていた。
味と色も濃くて私は結構旨いと思うのだが、見栄えは京料理のそれではない。
長男と妻はブツブツ文句を言いながら60種類のおせちを摘んでいる。妻の作った藤野家流味噌仕立ての雑煮も同時に食しながら、自宅に届いていた年賀状を楽しんだ。

年賀状は、松室の工房にも届いているはずなので、食後、さっそく工房に出向いた。
書き漏れがあったと、長男と妻もあとで追いかけて来て、そこで、年賀状の書き漏らし分20通程度を私が印刷した。

三人で松尾大社に初詣をしようと思っていたのだが、あいにく、時おり降るはげしい雨にその初詣は後日にすることにした。

長男が、「永遠の0」を観に行かないかと私を誘うので、京都駅前のTジョイ京都シアターで15時5分からの上映をネット予約した。
毎月1日は、映画サービスデーということで1000円、シニア割引をを使うまでもなかった。二人で2000円。

14時に出発しても、さすがに正月。何処かの神社に初詣なのだろう、京都駅までの道が混んでいて、着いたのは上映時間ギリギリだった。急いで昼飯がわりにフライドポテトとコーラを買い、シアター10に入った。

映画は、百田尚樹氏の原作を迫力のあるゼロ戦の空中戦を見事なCG合成技術VFXで描き、物語の主人公である宮部久蔵の元戦友たちとの関わりと彼の生き方を、その孫たちの取材による回想話でつづる。
劇中では、宮部久蔵の家族の運命や葛藤。それに取材をする孫たちの祖父の生き方や特攻隊に関わった人たち対する畏敬の念を活字どおりに淡々と描いていた。それなりに読書したときの感動が蘇った。

しかし、原作で最後に書かれていたエピローグの中で「特攻した宮部久蔵の無駄死に」を描かなかったことで、百田氏の言いたかったことの深くて大きな部分が抜け落ちていたのではないかと思った。

それと、海軍参謀本部が、すでに勝算がないと分かっていたにもかかわらず、将来日本を背負ってたつ優秀で有望な青年たちの命を「特攻隊」という絶対帰還することのない無謀で無茶苦茶な作戦を立て、死を厭わない勇猛心、すなわち「武士道」「大和魂」を、「参謀本部の最後の面子と意地」を米軍に見せつけるだけに利用した当時のエリート集団の身勝手な作戦。
人としての基本人格よりも頭脳の優秀さだけで採用され続ける官僚たち。その官僚主導構造は今も日本を動かしている。現代にも通ずる問題点として書かれていたはずである。

また、左巻きのA新聞社か、M新聞社なのだろうか、姉の付き合う男が、「特攻はテロと同じだ。」と云う記者として書かれていた。この戦後自虐史観を信じて疑わない男の発言を借りて、戦前戦中には、戦争を煽り、戦後においては、自虐史観を植え付けてきたことの「罪」が、今のマスコミにあることを書いていたはずなのに、映画では、その記者の発言を弟の友人に置き換え、さらっと描いていたのが、気になった。

しかし・・・、

誇り高き日本男児の武士道精神と優しさ、そして美学。国民が何を美しいと感じるかで、必然的にその国の文化が形成される。 

後の日本人に、あの戦争をどう伝えていくかといった点では、この映画、多くの日本人にやっぱり、観て欲しいと思った次第である。