やしきたかじんが1月3日に亡くなっていた | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

「たかじんのバー」、「たかじんのそこまで言って委員会」など、私好みの本音トーク番組を仕切っていた男、やしきたかじんが、1月3日に亡くなっていた。
このニュースが、昨晩臨時ニュースで流れた。関西ローカルでは、高視聴率男と言われるぐらいだったそうだ。

治療のため一旦休業していたが、昨年秋に交際中だった32歳の一般女性と3度目の結婚をして話題になっていた。
なので、そろそろ復帰するものと思っていた。

彼は、歌手だそうだが、正直、私は彼の歌唱テクニックにおいては、荒々しいトークを売りにしている姿とギャップがあり過ぎてあまり好きではなかったし、素直に聞けなかった。彼のトークも「本音トーク」というだけで、他には特にその話の内容も記憶に残っていない。

しかし、その「本音」という部分では、どのタレントよりもその「本音」が伝ってきたし、彼の己自身の現実逃避から来るのだろうか、酒の力を借りた破滅的な言動の裏側では、誠実で能力のある人には素直に接していた。
歌で見せる彼のもうひとつの顔、繊細で女々しい弱い一面や人一倍の優しさを覆い隠すように、数多くの飲酒による危なっかしい武勇伝は、生身の男として魅力的でもあった。

彼の破天荒な生き様そのものが演技だったのかもしれない・・・。

彼の芸能人としての初期(60年代後半)は、私の図案家としての弟子時代とも重なる。

彼が駆け出しの頃、京都のラジオ局、近畿放送(KBS京都)の深夜放送のDJを務めていた。
私が、たまたま写生をする為に岡崎の京都市立動物園に行っていたその時に、お隣の岡崎グランドで、その深夜放送の公開録音をしていたことがあった。
その公開録音で、DJだったたかじんが観客をいじっていた。
その頃の私は体重が52Kgしかなく、先輩のひとりから「お骨の生焼けみたいだな」と云われていた。
ひょっろと背が高く色白で長髪だった。今の風貌からは誰も想像できないと思う。

私が人だかりの最後部から、顔を覗かせ中心に居るDJのたかじんを見ると、そのたかじんと目が合った。
すかさず、彼が私を見て言ったセリフは「なんや男かいな!女の人かと思うたがな!」だった。私が24、5才の頃だった思う。
芸能人から直接声をかけられたのは後にも先にも、その内容はともかくやしきたかじんが最初だった。

その後、笑福亭つるべ等、これから登り坂の芸人たちとのからみで、カリスマ的性分を土台に話芸を磨き、我々のようなラジオを聴きながら仕事をする人達の心を掴んでいった。

1949年10月5日生まれ、1950年10月9日生まれの私よりまるまる1才年上の64歳。食道がんでこの世を去ったことになる。 合掌。