国産初のジェット旅客機MRJが初飛行に思う。 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

MRJ

 


今朝の新聞では、「国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が11日午前、初飛行を果たした。」というニュースで賑わっている。

この今の技術大国日本で、どうして国産初のジェットエンジンなのか、若い人達は理解できているのだろうか?

あの世界に誇る優秀な戦闘機「零戦」を作った三菱重工が戦後70年を経て、やっとジェットエンジンを自ら開発し、搭載した小型の旅客機を作ることになった。

そして、昨日、ようやく名古屋の澄んだ青空に飛んだ。

戦後直ぐGHQは、日本に航空機の設計、資料、航空機本体、全てを没収し、その脅威となる日本の優秀過ぎる技術力を封鎖した。

日本のそれまで培ってきた航空機製造技術はたちまち封印されたが、同じ頃、GHQによって与えられた「日本憲法」と同じように、5年後の朝鮮戦争勃発によって、米軍の航空機の整備や修理を請け負うことになった。

かろうじて、その航空機の技術は生きながらえた。

日本国憲法が、不戦に関わる全てを禁止したのにも関わらず、その4年後の朝鮮戦争勃発で米軍がお留守になった日本の治安維持の為に警察予備軍という自衛隊の元を作ることをGHQは容認した。

先日、世界の常識となっている独立国の権利、「集団的自衛権」を、この平和憲法にも適応するとした解釈が、国会を通った。

これと、同じようなことが、航空機製造においても、長い空白の時を経て、ようやく作らせて頂けるようになった。
(と、表現したほうが良いのかもしれない・・・。)

初めてのジェットエンジン。

少しずつではあるが、『重い戦後』が終わろうとしているのを、なんとなく感じたのは私だけではないと思う。