『鴿たより風船はなし』(荒井第二郎。恵愛堂)の読書メモ | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

本家→「知識の殿堂」 http://fujimotoyasuhisa.sakura.ne.jp/

鳩たより・風船はなし

***

・1ページ

希臘の頃よく長途の旅行をなす人は鴿に使をなさしめたりといへり


・2~3ページ

欧州各国に於て鴿を飼養して軍事警報の用に供することは近く一千八百七十年より七十一年に至る普仏戦争の時に於て仏国にて使用せしより大に世人の注意する処となり各国に於て軍用鴿信の方法を設けたるものゝ如し
仏蘭西に於て巴里の囲みを受けたるとき鴿を使用せしことは歴史上に徴して人の知る所なりこのとき仏蘭西にては専ら風船を利用して囲みの外にありし味方と交通をなし其風船を挙げたる物数は六十四個なりし但し六十四個は一時にこれを挙げたるものにあらず一千八百七十年より七十一までに年挙げたる数なりこの風船の中に揚ぐるごとにこれに載せたる鴿の物数は併せて三百六十羽にてありし然るに其風船の達したる地にて放ちし鴿の巴里に帰り来りしは三百二羽なりしと時しも厳冬の季節にもあり風船の着するに任せて其地にてこれを放ちたるものなればかつて慣習せしめしものにもあらざるに各二百十哩に過る遠距離より放ち帰されたるに鷲鳥の攫搏を免れ敵軍の銃射を受けず恙がなく巴里に於ける己れの飼はれたる籠の中に帰り来りしものは九十八羽なりしといゝ其中に七十五羽は顕微書信を持ち来れり此の顕微書信といへるは普通に認めたる文書を写真を以て極めて縮小したるものにて鴿の齎し来りし其書信の数は公信十五万通私信百万通の多きに達せりこれを顕大して普通の活字を以て印刷すれば実に五百冊の書籍をなすに至るへしといふ殊に一千八百七十一年一月二十一日其和議を整ふる数日前に巴里に達したる鴿信の如きは唯一鴿にして四万の書信を齎らし来れりといふ

↑本文中に風船とあるが気球のこと。


・14~15ページ

一千八百八十九年一月廿四日を以て国内に軍用鴿信を設くるの布告をなし左の条々を定めたり
第一条 養鴿の諸費は人民の負担となす但し其鴿の数の増減するにより差異あるものとす
第二条 養鴿の事は瑞西国内に於て必らすこれをなすへし
第三条 協会に於て養鴿費を請求するときは陸軍将校の指図を受け軍用鴿信の方法を遵守せしむへし
第四条 毎年尋常競争会の外に一度は九十哩より百二十哩に至る競争会をなす
第五条 鴿信協会は参謀本部へ必ず届出を出すへし但し鴿の書信をなしたる数及ひ協会を結へる人員の物数等を示すへし
第六条 競争会の度毎に其詳細を公報すへし即ち各鴿に付き其出立の場所其到着の場所を報道すへく其時に於ける大気の温度風の方向等は必すこれを記載すへし而して其到着所に鴿の達せさる又これに依て其鴿を失ひし等其細詳をも参謀本部に報告すへし
第七条 協会に於て年に六回以上軍用鴿信の務をなしたるものは参謀本部より次の補助金を受くるものとす其割合は百羽を飼ふものには十四弗二百羽を飼ふものには二十四弗三百羽を飼ふものには三十二弗とす


・18~19ページ

欧州各国にて軍用鴿信の組織は前に述るか如くにして仏蘭西に於て巴里の囲みを受けたるときこれを使用して其効用を著せしより各国は初めて其利益あることを知る物の如し故に其軍用鴿信を組織せしは皆一千八百七十年の後にありこれを支那の歴史に徴するに鴿を軍事に用ふることは宋史夏国伝に曰く仁宗慶歴中に桑択元昊を征す道傍に数銀泥合を得たり中に動躍の声ありあへて発せす総管任福至りてこれを発けは乃ち懸哨家鴿百余其中より起りて軍上に盤旋す是に於て夏兵四合福力戦軍設すといへり今日懸哨の語あるを以て之を見れば家鴿を哨兵線に於て使用せしものならんか知るへからす


・26ページ

本邦の神社には鴿を飼ふこと多しされと児女の玩弄となるに止り豆を売る老媼の纔かに口を糊するに足るのみ昔より鴿は霊鳥として八幡大神の使役したまふものなりといひ伝へ戦時大将の神に祈るや白鴿飛出てゝ神霊を現する等の事は史伝口碑にも存すれとも鴿を放ちて書信を通する等の事は本邦に於て更に聞かさることなり支那にては鴿を使用すること多く


・53ページ

千八百七十年より七十一年普仏戦争の時に於ては六十四箇の風船を囲みを受けたる仏軍より揚けたり尤もこの風船を揚けしは夜間なりし其中五箇は敵手に落ち一箇は大西洋に於て行方知れすとなり一箇は北海に漂遊して十五時間を経て諾威に落ちたり「ガンベツタ」氏の巴里の囲を免れ出てたりしも其風船の一に乗りて逃れたるなり又風船に乗りて巴里に入りたるものもあり実に風船は後来に於て戦争に実用をなすへきものなり