『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン。角川学芸出版)の読書メモ | キジバトのさえずり(鳩に執着する男の語り)

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本家→「知識の殿堂」 http://fujimotoyasuhisa.sakura.ne.jp/

・94~95ページ
 
「蓮は最も汚い泥の中で育つのに、その花は純粋で、汚れがありません。だから、誘惑の中にあっても、純粋な心を保ち続ける人の魂のことを、蓮の花に喩えるのです。
 蓮の花が寺の仏具に刻まれたり、描かれたりするのもそのためです。そういうわけで、仏様の絵にも、かならずと言ってよい程蓮の絵が登場します。極楽浄土で仏様の祝福を受けた人たちは、金の蓮の花の台に安座することでしょう」
 
(*藤本注・蓮にそんな意味があるとは知らなかった。蓮のように俺もなりたい)
 
 
・190ページ
 
 お盆とみえて、この墓場にも、新しい墓石の前に新品の白い盆灯籠が見える。今晩は華やかな町の夜景でも見るかのように、墓場にも煌々と光が灯ることだろう。しかし、灯籠のかかっていない墓も数知れずある。古いそれらの墓は家が絶えたか、子孫が土地を去り、名前さえ忘れ去られたものだ。故人を呼び返してくれる人もいなければ、懐かしんでくれる地元の人もいない――そんな影の薄い、遠い過去の人たちの墓である。その人たちの生涯に関わることは、もうすべてとうの昔に忘れ去られてしまったのだ。
 
(*藤本注・20代の頃、近所にある某寺院で、小泉八雲と同じような気分になった。敷地内の墓所に、打ち捨てられた女郎の墓が無数に積み上げられていて、鉄線でぐるぐる巻きにされているのを目にしたのだ。胸が詰まって涙がとまらなかった。そして、同時にこうも思った。俺はきっと、墓に入ることができないから、こんな惨めな光景を後世の人にさらすことはないだろう、と)
 
 
・242ページ
 
 日本の諺では、こう伝えられている。「犬は三日飼えば、その恩を三年は忘れない。しかし、猫は三年飼っても、三日でその恩を忘れる」。更に、猫はいたずら好きである。畳を裂き、障子に穴をあけ、床柱で爪を研ぐ。しかも、猫は呪われた動物なのだ。仏陀が入寂の際に、猫と毒蛇だけが涙を流さなかったことから、この二匹の動物だけは極楽浄土に行けないと言う。これらに限らず、まだほかにもあれこれと理由があって、出雲では猫はそんなに可愛がられていない。たいていは野外に追いやられ、そのまま野良猫として一生を送らざるを得ない。
 
(*藤本注・猫が苦手な俺を喜ばせる一文だ)
 
 
・249ページ
 
 ほかにわが家を訪れるのは、多彩な色の甲虫と、「頭に御器をかぶった」という意味のゴキカブリと呼ばれる小さな油虫だ。ゴキカブリは人間の目を食べるのが好きだと言われているので、眼の病を治してくれる一畑様(一畑薬師如来)の目の敵でもある。したがって、ゴキカブリを殺すことは、この一畑様へ功徳を積んだことになると考えられている。
 
(*藤本注・ゴキブリが大嫌いな俺を喜ばせる一文だ)
 
 
・260ページ
 
 テテ ポッポー
 カカ ポッポー
 テテ ポッポー
 カカ ポッポー
 テテ――
 
 西洋の鳩ならこんな鳴き方はしない。日本の山鳩の声を初めて聞いて、心に新たな感動を覚えない人はこの幸せな国に暮らす資格がないといえよう。
 
(*藤本注・同感だ。キジバトのさえずりは本当、素晴らしい)
 
 
・日本人の微笑は西洋人に不快感を与える。親しい人が亡くなったことを伝えるときや、何か失敗を犯したときに場違いな笑みを浮かべることがあるからだ。しかし、この微笑は、相手のことをおもんばかってのことで、前者の意味するところは、こうだ。
「あなた様におかれては、私どもに不幸な出来事が起こったとお思いになりましても、どうぞ、お気を煩わされませんようお願いいたします。失礼をも顧みず、このようなことをお伝えいたしますことを、お許しください」
 そして、後者の意味するところは、
「ほんとうに、私は悪いことをいたしました。あなたがお怒りになるのも、もっともです」
 ということなのである。
 
(*藤本注・いつもへらへらしている東洋人、という、西洋人の感想をよく耳にする。東洋人は、悲しいときも反省しなければならないときも、へらへらと笑う。いや、笑ってしまう。その意味するところが分からなくて、俺は東洋人であるにもかかわらず、いつも困惑していた。しかも、俺自身が、悲しいときも反省しなければならないときも、微笑を浮かべてしまうのだから始末に負えない。意味も分かっていないのに、微笑する作法だけは身についている。しかし、この小泉八雲の意見を知ってから、やっと理解することができた。そして、やるせない気持ちにもなった。西洋人と同じように、日本人の微笑を理解不能と思っていた時点で、俺はすでに、本当の日本人ではなく、近代化した日本人のなれの果てであったのだ)