五月晴れの公休日。
前から気になっていた西中野渡船と小紅の渡し、それから7月に閉店する岐阜高島屋に行ってみることに。
本当は球場巡りと絡めて行ってみたかったけど、西中野渡船の運休日が多くなかなか野球とセットで行くことができなかった。
そうこうしているうちに、高島屋の閉店が近づいてきた。
高島屋のほうはベイスターズの長良川開催と絡めたいところだったが、あいにく試合日は8/6なので閉店したあとになってしまう。
そんなわけで時間のあるうちに、そして暑くなる前に行ってみることにした。
地元駅6:40-(名鉄/急行)→7:16一宮
一宮 7:25-(名鉄尾西線)→7:41玉野
朝ラッシュ帯の電車に揉まれ、玉野7:41着。
これまでの混雑が嘘のようにのんびりした駅。
一宮からの路線バスもあるが、バス代の節約のために玉野まで電車で来て、あとは走ることにした。
降りるのは荻原でもよかったけど、こちらから行くほうが歩道がしっかりしてそうなので玉野まできた。
Google Mapで下調べしたとおり歩道があって走りやすく、途中からは「尾張水道みち」という水路の上を行く道を行くと走りやすかった。名古屋から遠く離れた場所なのに名古屋市上下水道局の看板があってびっくり。
西中野の渡船場に近づくとこんな案内図があった。
渡船の由来も記されてあり勉強になった。
中野村は元々1つの村だったのが江戸年間の大水で2つに分断され、その分かれてしまった集落を結ぶのが目的で始められたのだそう。
……………
営業は8:30からなので、その間に少し写真を撮る。
船は愛知県側に2艘あり、うち1艘を使っている。
岐阜県側の船着場はやや下流にあった。
現在この渡船の上流には新濃尾大橋が建設中で、この橋が完成すれば……という噂もある。一宮市が観光用に残すのではないかという憶測もあるみたいだけど、まだ実際のところはなんにも決まっていないらしい。
そのうちに8:30になったので小屋のおじさんに渡しをお願いしに行く。
客は私ひとり。救命胴衣を付け、エンジンがかかり船は出た。
木曽川の川幅は広く、思ってたより野趣味がある。
おじさん曰く、冬の晴れた日なんかは御嶽山がきれいに見えるらしい。
その他、江戸時代に薩摩藩が治水に尽力した話などを聞かせてくれた。約2分ほどで岐阜県側着。
こちらからは旗を上げて船を呼ぶ仕組み。去年11月にもここに来たがあいにく運休日だった。
ここから羽島方面へ走ってもよかったが、近くの石田バス停から100円で乗れるコミュニティバスがあるのでこのバスに乗って羽島市役所駅に出た。
石田9:00=(羽島コミュニティバス)=9:15羽島市役所
羽島市役所9:22-(名鉄竹鼻線)→9:39笠松
笠松9:43-(名古屋本線)→9:52名鉄岐阜さて、小紅の渡しへは北側から行くか南側から行くか。
色々調べてみたが、北側から行くほうがバスが少ないよう。ちょうどいい時間のバスがあったので北側ルートから攻めることした。
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名鉄岐阜10:04-(岐阜バス)→10:21島大橋東
途中、大縄場大橋という橋を渡るが、東側のスペースがあまりないところに無理矢理作られた橋なので、取り付け部がループ状になっていて面白かった。
小紅の渡しは島大橋東バス停から歩いて20分。小走りに行って10分ほどで着いた。
渡し場は西中野より分かりやすい。
ちょうど南側からご婦人2人を乗せてきたところ。申し出ることもなくすぐに船に乗ることができた。客はまたしても私ひとり。
さきほどの木曽川に比べればこちらの長良川の川幅は狭い。30秒ほどで対岸に着いた。
船は北側に常駐してるので、こちらからは「呼ベル」で知らせる方式
堤防に上がる道を行くと、キツネを見かけた。北海道以外でキツネを見たの初めて…
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さて、目指す高島屋までは3キロほど。旧中山道を走って行こうかと思ったけど、11時近くなって暑くなってきた。バスは15分おきにあるし、結局バスで移動することにした。
東鏡島10:56=(岐阜バス)=11:05千手堂
千手堂から少し歩いて岐阜高島屋着。
名古屋に高島屋ができる前は、名古屋の若者がこぞってこの岐阜の高島屋にDCブランドの服を買いに来た時代があったらしい。
僕が名古屋に来たのはそんな時代から10年ほど経った1999年だったけど、その頃でも高島屋、パルコ、近鉄百貨店があって、若者も多く活気のある街だった。入って最上階の11階に上がる。
レストラン街の通路を利用して、岐阜高島屋の歴史を辿る写真展が行われている。
岐阜は本当にオシャレな街だった。
ただ、鉄道好きだから肩入れするわけじゃないけど、路面電車を剥がしたのがこの街の潮目だったのかなぁ、と。
未だに「金公園に丸窓電車が保存されています」と書かれているようでは、結局市民の路面電車への関心は薄かったんだろうと思わされる。
ひととおり館内を巡ったあと劇場通りに出る。
1998年。ピークは過ぎていたかもしれないけど、その頃の岐阜はまだまだ賑やかな街だった。
岐阜は来るたびに、自分が若かった頃と街が賑やかだった頃を思い出されてほろ苦い気持ちにさせられる。
このあとフォロワーさんおすすめの鳥倉で今夜の惣菜を買って帰途に就いた。