4,いい子からヤンチャへ、粋がってた10代 | 起業女将の " ぶっちゃけで ごめんあそばせ "

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みんな幸せになるために生まれてきました。事実は一つですが、捉え方で幸福度が変わりますよ
感じたこと、思ったことを言葉のサプリとして綴ります。

 

1, 好きを仕事に!女将って何してる人?

2,「たまたま」「なりゆき」の話

3, 深窓の令嬢になり損ねた話

今日は「女将、10代の時に浸る」です。

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いい時代に生まれたなぁ~って思います

日本の高度成長と共に育った感じ。
 

まだ戦後の名残があって、

軍服着た傷兵さんが駅前で物乞いしてたのは悲しかったけど、

今はマンションだらけのイカリスーパーの辺りも

当時は菜の花畑
 

まだ田んぼがいっぱいあって、

肥溜めもあったからハエも多かったけど

スーパーなど無く、商店街のおばちゃんが急の雨で傘を貸してくれたり、、

固形石けんで髪を洗ってたのがシャンプー剤のいい匂いに感激したり。
 

家に白黒テレビがやってきて、カラーテレビになり、

チャンネル回すからリモコンになり・・

手動の絞り器が付いてる洗濯機が二槽式に、そして全自動へ
 

中学の時 ソニープラザの大阪初出店で、

Hallmarkのかわいいスヌーピーの便せんや封筒・・

可愛い容器の化粧品たちを初めて見た時は小躍りしたもん
 

「一生懸命働けば 良い暮らしが出来る」と大人たちも夢があったのよね

今の閉塞感とは大違い。
 

ゴーゴー喫茶って知ってますか?

ディスコの前身です

同伴喫茶ってのもあったなぁ
 

また神戸には何軒もJAZZ喫茶がありました。

その中の「BAMBI」や「ニーニー」というJAZZ喫茶に高校時代は入り浸ってました。
 

亡くなっちゃったけど、のちに作家となった中嶋らもさんたち 長髪の灘校生たちの溜まり場でした。
 

ブルジョワvsプロレタリアだの、学生運動で血判を残して散った先輩の話だの、マルクス 小林多喜二だの

小難しい話をしてはった。
 

私はといえば、孤独や挫折とは無縁だったのに

高橋悦子「二十歳の原点」に引き込まれ、太宰文学を読みあさり、

一方、ほわんとしたパリの香りがするフランソワーズサガンを読破。
 

学校をサボるヤンチャだったけど、

「私は単なる遊び人の軟派じゃないのよ」とひとり粋がってた気がします。
 

そんなお気楽なJK、高二の秋

・・突然の父の自殺・・
 

忘れもしない1971年9月24日金曜 秋分の日

ダンパがあった神戸のサンボーホールの公衆電話で

門限に遅れる言い訳の電話を家に掛けたとき告げられた母の言葉

・・「パパが死んだのよ」
 

タクシーに飛び乗った

なにも言ってないのに運転手は異変を感じたのだろうか?

まだ市電があった国道二号線の線路のレーンを急いで走ってくれた。
 

すでに親戚が来て泣いてる中を通って父の元へ・・

冷たい頬に手を当てたら、心臓のあたりが動いた気がした。。。
 

「人って悲しみを超えた時、涙なんて出ない」ことを知った

お骨拾いの時まで 一滴も涙出なかったなぁ
 

でぇ 

父が亡くなったことでの私の懸念は ただ一つ・・

「今の学校(私学)にこのまま行けるのかなぁ?」
 

ヒドイよねぇ

母の苦悩など微塵もよぎらず 自分のことしか考えてなかったんだから・・・
 

専業主婦だった母が後継者となり、それはもう猛烈に大変だったらしいけど、商才があったのか 会社の業績は上がっていき、

私は 無事チャラチャラ女子大生を続けられたのでした。
 

・・つづく・・
 

こんな私の

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