高野睦子です。
かなりド派手なコケかたをした昨日。
虎ノ門の大きな道路でタクシーから降りた途端転んだのですが。
スローモーションで転倒し、膝から落ち、ずるずるずる・・・と地面に叩きつけられ最後は耳まで打った。
割と反射神経が良いので、よく転ぶけどここまで派手な転倒は20年くらい前に新宿駅の階段の1番上から踊り場?まで落ちたとき以来。
しかし、当時は恥ずかしすぎて何事もなかったようにスタスタ歩き出したけれど、寄る年波に勝てずか。
「い、いたい…」と言って倒れた形のまましばらく立ち上がれなかったら工事のお兄さんたちが助けに来てくれました。
やっとの思いで部屋にたどり着き、全身チェックしたら膝が派手に擦りむけてスカートは血だらけでした。
が、それより疲れの方が勝ってうたた寝し、起きたらむっちー到着。
「処置的なことなにかしたん??」と聞かれたけど、「生のままの方が早く治ると思って」と言ってマシンガントークが始まったらすっかり傷のことは忘れておりました。
帰宅してお風呂に入って飛び上がった。いたーーーい!
というわけで今に至ってますが、絆創膏貼らないと治りが早いですね。
そんなことはさておき。
昨日はむっちーの下半期リーディングをお願いしました。
毎度楽しみにしているこのリーディング。
だって本当にこう言っちゃなんだが当たる。
「そんなことあるのかなー」とか思いながら過ごしているけど見事にそうした事象がやってくる。
なので昨年くらいからすごく意識をするようにしています。
というのはこうしたものは生かすも殺すも自分次第。
「良いことがある兆し」はそれほど期待せず、「これは注意」にはかなり手を打つようになりました。
私は行き当たりばったりに生きていますが、昨年あたりから注意深くなることをカードに促されて来ている。
他のことも2期連続促されてきた。
なのでかなりテコ入れしてきたんですよねー。
占いや鑑定に限ったことではなく、人の進言には誠実であろうと努力しています。
現代人って忙しいでしょう。
忙しい相手が私のために放った言葉は流してはいけないと思っている。
もちろん上の空で聞き流すことも、受け止め切れないことも、理解し切れないこともあります。
が、「そう言ってくれてたな」と覚えている場合は極力努力するというお話。
仲良しのもっちーが算命学で私を見てくれるときにいつも「お母さんを大切に」と言ってくれるんですね。
でもふと「してるつもりだけどまだ足りんのか?」と考えてみた。
感謝って意外と派手に演出した方がいい時もあるんじゃないかという仮説を立てた。
で、昨年スペインに連れて行ったと言う経緯があります。
おそらくもっちーの度重なる進言がなければ、母の招待旅行はなかったでしょう。
だからママはもっちー大好き(笑)。
コンサルとか講座とかも、受けたからには結果を出したい。何かしらの形として一つでいいから「受けた価値」を残したいと思っている。
それは私にとって嬉しいことだけど、してくれた方にとっても嬉しいことではないだろうか。
仕事は報酬をもらったから嬉しいわけじゃなく、報われたときに本当にやりがいを感じるものだから。
だからある意味、受講する側の場合も結果にこだわっているし、成果が出たら「出ました」と報告するようにしているのです。
何が言いたいのかというと、運気ってみんな知りたいと思うけれど、聞いた後の方が大切で、その聞いたことをどう活かし、どう実践し、どう実らせるのか?が伴っていないと、せっかくの誰かの言葉が空に浮いてしまう。
先述した通り、忙しい誰かが私のために使った時間、放った言葉。
これはなるべくなら余すことなく使い切りたい。
ブロッコリーの芯まで食べるような感覚ですかね・・・。
先日三島大社で引いたおみくじが「今は辛抱、ただただ努力の時期」で末吉でした。その数日後、赤坂氷川神社で引いたおみくじには驚くほど同じことが書いてあったのに大吉でした。
運気ってそんなもんかもしれない。
「努力を重ねられる」ということを「あ〜あ、めんどいな〜〜もっとパッとしたこと言われたいもんだ」と思うのも、「今の自分が未来を作っている」と思ってワクワクするのも自由だもんね。
というわけで転んだことで「運が悪いのか??」と思った私が考えたことです(笑)。。
コーヒーとケーキの会。
次回は8月14日です❣️