ある日のお見立て〜あるものってなんだ〜 | 明治神宮前 あなただけのスペシャルジュエリーを。

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今日はお店でお見立てをさせていただいたのですが。

お客様にヒアリングしたとき「今がとても幸せ。いつでも自分の周りにある幸せに気づいていたいし、ありがとうって思える私でいたい」ということをおっしゃっていました。

 

最近私がずーっと考えていたこととリンクしたのでブログに書いてみようと思います。

 

「ありがたい」と思う感覚。

これはある意味発想の転換なのかもしれない。

 

ないものにスポットを当ててしまうと本当に苦しくなります。

あれがない、これがない、足りない、欲しい。

そしてそれを持つ人を見て嫉妬に近い感情が生まれてまた苦しい。

 

たくさんあります、ないものって。

 

でも、視点を変えて「あるもの」を探してみると、これもまたたくさんあるのです。

 

あるんだけど、自分にあるものってつまんない。

劇的ではないし面白くないし。

 

欲しかったものと違う…ということもあるかもしれません。

ないものねだりという言葉、隣の芝は青いという言葉があるように、人はないものに憧れ、ないものに価値を感じやすい。

 

それでもあるものに光を当ててみる。

それをじーっと見つめてみる。

 

大きな主張はしないけどそこに確かにあるもの。

それを感じてみる。

 

私は自分の身長が高いことがず〜〜っと嫌でした。

小学校6年生で163センチあったので中学生になってフォークダンスが地獄だった。

背の順で並んでぐるぐる回ると小さい男子と踊るのが苦痛だったのです。

 

高校時代のあだ名は「壁」(笑)。

友達も大きかったから3人で並ぶと壁みたいって意味ね。

 

本当に嫌で嫌で、毎晩ベッドの板に頭をぐ〜〜っと押しつけて「もう伸びるな」と念じてみたりしました。

 

皮肉なことについ10年くらい前まで伸び続けて169センチあります。

ヒール履いたら180近い日もある。

 

が、この身長問題。ある日解決したのです。

大学時代お付き合いした彼が「身長が高い女性が好きだ」と言ったんですよね。

高身長をバカにされ続けた私にとって(笑)そんなことあるんだ!!って思ったけど、彼が私のコンプレックスをいとも簡単に氷解してくれました。(感謝感謝)

 

以来、誰が何を言おうと悩みであった身長が私の”あるもの”に変わったんです。

 

例えば

器用にスイスイと何事もできない→”ないもの”

でもその代わりコツコツ積み上げる努力ができる質→”あるもの”

 

というように、何でも表と裏があり表裏一体であり、短所は長所になり得るし、とかなんとか。

 

私にとっては身長事件がそれ以降の「ないもの」をうまく変換するきっかけになりました。

 

そして主婦になって。

私の当時のママ友は土地柄もあってか石を投げると地主さんでした。

お金と土地がふんだんにある人々。

 

でもね、彼女たちと深く付き合ってみると華やかな生活の裏に抱える悩みはそれぞれにあって、その重みを見るたびに「持ってる物の裏に抱える闇」みたいなことを意識して見るようになりました。

 

彼女たちからしたら私の自由さ、身軽さは本当に羨ましい要素でした。

どこに住んでもいい。誰に文句言われることなく好き勝手に家族だけで生きている。

守るべき土地もなければどうしたら税金で財産が無くならないか?を悩まなくてはいけないこともないわけでお気楽。

 

こっちから見ても「いいな〜〜あんなにお金持ちで」と思いつつも、義両親との関係や親族の集い、地域との関わりに加えて家族の問題・・・と見ているだけで胸が苦しくなりました。

 

これはお互いに宿命というのか、そういう生き方を選んだわけで「あっちがいい」なんていうのはナンセンス。

誰もが自分の持っているカードを強くしていくしかない。

 

彼女たちとの関わりで、私は”あるもの”の裏、その背後にどれだけの物事があるのか?を考える癖がついたのですが、そういう視点で見ると人生ってすっごいラッキーもものすごいアンラッキーもないような気がしていて、結局人は死ぬ時に帳尻を合わせていくんだなと思っている。

 

これは例に出すとえげつないから出さないけれど、何不自由なく本当に心から幸せを感じて生涯ハッピー、という人生。

あるんだろうけど見たことない。

 

転落するか。転けても這い上がるか。下剋上なのか。一発屋だけどまた落ちるのか。

わかりませんが波があって当たり前なのが人の人生であり、波瀾万丈まではいかなくても一定を保ち続けるというのはそれこそ自然ではないわけです。

 

で。

昨日の話に戻りますが、「ありがとうと思える自分でいたい」というお話。

 

どうせ波がある。先のことなんて見えない。

 

でも「たった今」のことならば自分でできる、選択することも行動することも。

 

そのたった今の私が”あるもの”にスポットを当ててありがとうって思って生きるのか、”ないもの”を見ては嘆くのか。

 

これは大きな違いだと思っていますし、未来だって大きく変わってくる。

 

感謝という言葉はすごく難しいなと私は思っていて、「感謝」という言葉が浮ついて聞こえる時があるのです。

 

なんていうのかな〜〜。

 

感謝ってそんなに大それたことじゃないと思うんです。

そうじゃなくて小さなことへの敬意だとか配慮だとか。

それが感謝につながるんじゃないだろうか。

 

例えば、朝コーヒーを飲む時。

ミルが正常に動く。お湯が普通に沸く。コーヒー美味しい。

ありがたい。

そしてコーヒーが美味しいと思えることもありがたいですね。体調悪いと飲みたくないし。

 

 

予定通りの電車にすんなり乗れた。

ありがたい。

 

私が私であること。

ありがたい。(気に入らないことは山ほどあってもありがたいのです。)

 

ふと目が合ったリングにいつもありがとうっていう思いを伝える。

 

働いて節だらけ欠陥が浮き出た手にもありがとうって思う。

 

とかなんとか。

 

一方でないものにスポットを当てると・・・

 

コーヒー飲む時間がない。💢イラッ💢

電車混んでて隣の人が配慮ない。あのおっさん臭い💢イラッ💢

どうして私は私なんだろ  💢イラッ💢

リングが汚れてる 手がむくんでるからキツい💢イラッ💢

手が汚い、おばさんの手だわ💢イラッ💢

 

これ全部妄想で書いているけどそれでもしんどい(笑)。

 

同じことが起きているけどあるものに焦点を当てるのか、ないものに当てるのかで全然違う。

 

でね。昨日のお客様と話していてわかったことがある。

”あるもの”にスポットを当てている人といると呼吸が楽になる。こちらがリラックスします。

空気が緩やかに流れる。

 

ないものにスポットを当てる人といると緊張感が走る。

 

別に「この人はここにスポットを当ててる人だ!」とか選別してませんよ(笑)。その時々で変わるものですし。

 

でも思考って体に出るし、その波動・波長は目に見えなくても確かにそこに存在するわけです。

 

 

”あるもの”にスポットを当てているとそういう波動が出るでしょう。

そこに共鳴してそういう”あるもの”が寄ってくる。

 

ないものも同じ。

 

だから自分が放つもの、出すものって何を出すか?発しているのか?を意識しないと、望まぬ人間関係や環境に身を置かざるを得なくなる可能性もあります。

 

ちいさなこと、本当に身近なこと。まずは自分の体とかね。

そういうところからありがたさを探して行ってみたら良いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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